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<title>泰阜村長のblog 「私はこう考えます。」</title>
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<title>「人生意気に感ず」デーブおめでとう、西武おめでとう</title>
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<description>　９月２６日夜、札幌ではあったが、埼玉西武ライオンズの優勝が決定し、渡辺監督の胴...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　９月２６日夜、札幌ではあったが、埼玉西武ライオンズの優勝が決定し、渡辺監督の胴上げがあった。もちろん、勝って胴上げしてほしかったが、レギュラーシーズンでの優勝決定の瞬間であることには間違いない。ベンチで泣きながら抱き合う打撃コーチデーブ大久保と渡辺監督の姿に感動した。あのデーブがいる、デーブが泣いている、テレビの中に飛び込んでいっしょに泣きたいような気持だった。&lt;br /&gt;
　平成６年に村長に就任した私は、ソフト事業をやろうということでいろいろ考えた。私は、山村育ちで都会を知らず常に「山村コンプレックス」を持っていたし、今でもある。その一つに、田舎にいるといわゆる一流とふれあう機会が少なく、常に半周遅れのような気がするのである。田舎にいても一流に接することができることが必要ということで、まず少年野球の指導にプロ野球選手を頼もうと考えた。その年引退した選手では、パンチ佐藤が有名で、パンチを頼もうということで接触したが予定がいっぱいで断られ、その時、巨人を引退した大久保博元ことデーブ大久保なら交渉可能という結果だった。もともと巨人ファンであったので、では、大久保選手をお願いしようということになり、平成７年５月の連休だったと思うが、第一回デーブ大久保野球教室が実現した。それが終わり二年目、今度は、誰を頼もうかと思っていたら、子供たちがもう一度デーブを頼んでほしいという。私は、野球教室は年々違う人を頼むものだと思っていたし、頼まれた方も二回もいやだというはず、と考えたいた。ところが、デーブは、喜んで二回目もきてくれた。その時のあいさつで、今度は誰にしようかと考えていたが、皆さんの希望でデーブに、と言ったので、いまだに、「村長は、私を代えようとした」といわれる。その後、毎年泰阜へ足を運んでくれる。&lt;br /&gt;
　そして、昨年が１３回目のデーブ大久保野球教室だった。１０回過ぎ、デーブがでかい優勝カップをくれて「デーブ杯野球大会」も開催されて三年目。今年も、日本シリーズになればいけないが、その時は、元巨人の橋本投手が行きます、ということのようだ。もう、私の手は完全に離れ、保護者やデーブ世代の子供たちが高校野球から社会人になりデーブを囲んでの野球教室であり、大交流会になっている。&lt;br /&gt;
　一回目茅野へ迎えにいき車できてもらった。デーブいわく「どこの山の中へ連れていかれるかと思った。二度といやだなあ。」ところが子供に接し「これほど真剣に、目を輝かせて野球に取り組み、一生懸命やろうとする子供たちはいない。いま都会では、野球教室慣れで、我々のいうことを真剣に聞かない。泰阜の子供に接し、あらためて野球の原点に戻れた気がする」という。そして、泰阜からプロ野球の選手を、と本気でいう。&lt;br /&gt;
　毎年、子供たちを保護者を、プロ野球観戦に招待してくれる。今年は、もちろん西武球場、練習のときグランドにおろしてくれて、球広いをさせてくれたり、本物の練習を見せてくれたという。デーブいわく「もうお金じゃない」と、泣かせることを言ってくれる。昨年、西武のコーチ依頼があったとき、悩んだようだが、一軍の打撃コーチになるということは、子供たちにとっても誇りかもしれないと考えたようだ。彼は、泰阜の子供たちにいう「プロも同じ練習をしている。私は、君たちにプロと同じことを教えている」と。&lt;br /&gt;
　そのデーブがコーチになり、「アーリーワーク」という早出練習、徹底的な練習を秋季練習から今日まで、休みなしに続けている。デーブは、途中やりすぎて足を痛めた。それでもやめなかったというか、若手がやめさせてくれなかったのだ。渡辺監督の自由奔放野球が選手の力を引き出したことは事実だが、選手の力がなければ、引き出すこともできない。中島などほんと一流の遊撃手になった。中村もホームランの数の三倍以上も三振しているが、ホームランを打てる打撃技術を身につけたからこそ、監督が狙ってこい、といえる。言った以上、責任は、監督にある、これがわかっている渡辺監督だからえらい。指導者は、誉めなければ、ということが言われる。世の中勘違いがあり、何でも誉めりゃいいような雰囲気がある。そうでなく、苦しい、人並み以上の努力をして、結果を出した時に「誉める」ということでなければならない。努力もしないやつが結果だけ出してほめるなどとんでもないこと。もちろん、少年野球や社会人のスポーツのように、そのレベル、段階で上達したとき、うまくいったときに誉めてやることは、指導上必要で、ここでいうプロの世界とは違う。役場の職員は、行政のプロ集団である。今日の会議がうまくいったといって課長が部下を誉めるようなことではない、そんなことは当たり前。行政も、新しいことに挑戦し、何年も苦労しながら一つのプロジェクトをやり遂げたときに始めて誉める、それがプロの世界。渡辺監督や黒江コーチは、それがわかった上での自由奔放野球で開花したと思う。&lt;br /&gt;
　デーブに始めてであったとき、頭のいい人なんだろうなあ、と思った。これが第一印象。毎年、色紙にサインをもらうが、帽子をとってありがとうございます、といってから「我慢」と書いてくれる。５年後、１０年後のチームづくりのために始めた指導が、一年目で開花した。シーズン当初、勝てないとき、職員に「批判されるのであろうが大変な仕事に就いたものだ」と話をしたが、杞憂に過ぎなかった。彼の指導、打撃理論が優れているのだろう。それは、野球教室の指導ぶりでわかる。打撃コーチは、１０人のうち９人駄目にして、一人育てりゃたいしたもの、といわれる世界のようだが、やはりコーチの実力がないと選手がかわいそうなのだろう。&lt;br /&gt;
　デーブは、テレビ番組でアナウンサーが泰阜の子供たちの手紙を読んだとき涙を流してくれたが、今回の大泣きの姿をみて、「人生意気に感ず」という私の大好きな言葉がほんとに似合う男だと思った。短い人生、誰のために、何のために生きるのか、お金のためや自分の老後のためにがんばっているだけじゃ悲しい。&lt;br /&gt;
　付け加えるが、数年前、フジテレビの取材をかねて、デーブ野球教室に、渡辺久信氏、駒田徳広氏も来てくれたことがあった。少年野球のあと、大人で試合を行った。私も使ってくれて、渡辺投手のチームで内野を守った。そのとき、ヒットを打った私をみて渡辺氏が「いいバッティングしているね」といってくれた（と思う）。彼の眼力は、正しい。私の草野球人生での唯一の誇りである。&lt;br /&gt;
　こころからデーブおめでとう。日本シリーズに出なければ、野球教室に来てくれるのかもしれない。複雑な心境で応援しよう。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2008-09-29T11:16:10+09:00</dc:date>
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<title>小学校の運動会をみて考えた</title>
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<description>　台風の影響で天候が心配されたものの、朝には雨があがった９月２０日に二つの小学校...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　台風の影響で天候が心配されたものの、朝には雨があがった９月２０日に二つの小学校の運動会が行われた。学校のことだから前日に延期を決めるのでは、と思っていたが、グランドを手入れしてでも実施してくれてほっとした。２１日が雨となり、結果的にこの選択は、吉、であった。何としても土曜日に、という意欲があったとすれば、それが誰のためであったのか、それはわからない。でも、行事は、予定通り行われた方がいい。&lt;br /&gt;
　さて、南北に二つの小学校があるので、午前、午後と二つの小学校を訪問する。立場上、来賓祝辞などを申しあげるので、交互にできるよう配慮しているつもりである。今年は、北小学校であいさつをして、午前中北小学校運動会を見学した。陽射しが強くなった。いつも思うのだが、子供や保護者は、炎天下に座り、来賓は、テントの下。主人公は、子供なのに、これでいいのかなあ、と思う。来賓は、炎天下で、子供たちがテントの下の方がいいのでは、と思がどうなのであろうか。&lt;br /&gt;
　本題に入るが、北小学校の高学年が「騎馬戦」を行った。私は、感激してみた。いま、学校現場や保育園、さらに福祉現場全体にもいえるが、「リスク」対策が大きな課題になっている。危険なことに挑戦し、もしケガでも負ったらどうなるのか、すなわちその責任は、誰がとるのか、ということ。昔は、それは、わが子の責任、本人の責任ということで問題になるケースはほとんどなかったのではないだろうか。しかし、最近は、管理者としての責任を考えると危険なことはできない時代になった。&lt;br /&gt;
　もちろん、介護現場など、あきらかに介護技術が未熟であったり、時間がなく手抜きによっての事故がおきることも否定できない。これが問題にされることもあるが、過失責任は負わなければならない。&lt;br /&gt;
　総合的に考えると、過失のないようにやるけれど、それでも起きてしまった事故をどうするか。それは、受け入れていただく以外にない、という理解ができる社会であってほしい。が、いまは、その責任を問うことの方が重要になってしまった。というより、そういう社会を作り上げてしまった。確かに、人命にかかわるとそれは大変である。一方、私たちが生きるということは、常にリスクと共存していることでもある。一例でいえば、車で通勤しているが、車に乗る以上、最大死亡事故までに遭遇するという覚悟を持っていなければならない、と私は思う。&lt;br /&gt;
　公園のブランコが落ちて事故があった場合、その責任は、公園管理者である市町村の課長であり、最終責任はトップである。遊具があった方がいいという善意なのだが、責任を問われるなら、危険なものは設置しない方がいい。サッカーの試合中に、落雷で亡くなったのは、監督の責任。となると、雷がなれば、野外での競技は、やらせることができない。プールなども使わせない方がいいのかもしれない。現場では、こんな考え方がどんどんエスカレートしていく。&lt;br /&gt;
　話をもとに戻すと、小学生の騎馬戦である。帽子を取るだけとはいえ、ひっかいたり、落馬での事故も想定できる。こんな時代にあえてやる競技でもないのでは。組体操で十分では、と考えて当たり前と思う。それでもやったのは、たぶん勇気ある教師が一人いたのだろうと推測できる。それを認めた教頭、校長もいた。私は、社会の中で生きるには、常にリスクと共存しているという現実を知り、また、どんなにがんばっても負けるという事実を体験する必要を感じている。運動会など小さなことではあるが、応援合戦に負けて泣き、紅白対抗で負けて泣く子供の時代にこんなことを経験させることを教育というのではないかと思う。北小学校で騎馬戦ができたのも、日頃の保護者、子供との信頼関係が厚いのだろう。リスク対策が叫ばれるが、それは「信頼」という二文字によって解決される。というより、リスク管理などという仕事に時間を割く必要もなくなるであろう。南小学校では、先生たちがお揃いのＴシャツを着ていた。校長も教頭も。教員一丸という感じを受け、これなら保護者の信頼もあるだろうと思った次第。&lt;br /&gt;
　さて、この北小学校では、我々が保護者の時代から、運動会のあと教員、保護者、来賓含め「慰労会」が行われる。二次会は、校長住宅である。私は、校長住宅まで皆勤であるが、何年か前、若い女性の体育主任（運動会担当）の先生が、大成功に終わった運動会に感激し、涙を流しながら校長住宅で何度も乾杯した。そんな純粋な先生の気持に、汚れた私の心もきれいにさせられた。今年も騎馬戦で、最後引分けというときでピストルを撃った先生の気持ち聞きながら酒を飲んだ。私は、性善説に立っているが、多くの人間は、悩みながら、考えながら、答えの出ない社会で悶々としながら生きている。そんな心の奥底は、酒でも飲まなければ語れない。ただし、大事なことは、それを聞いても忘れることである。この慰労会の参加者も減少傾向。そういう時代なのだろうか。社会を維持していく大切なものが失われていくような気がする。社会のルールはあっても、そのルールは、法律の条文で守っていくのでなく、人間同士の理解で守られていく。気の合った仲間だけで、またわが子だけで社会が構成されているわけではない。それをぎくしゃくさせず動かすには、潤滑油がいる。社会の潤滑油を「酒」と思っている。&lt;br /&gt;
オイルが切れれば、車も壊れる。オイルは、少ないけれど重要なのである。農機具も動かす前に、注油が必要。&lt;br /&gt;
伝統ある慰労会も継続してほしいと思うが、統合もありどうなるのであろうか。&lt;br /&gt;
　慰労会のあいさつで、校長が、いい運動会ができたのも教員のおかげとその努力を誉めた。日頃は、どうも教師は、うまいことを言いすぎる、だから管理職としての指導力にかける、と思っているのだが、この日は、素直に聞くことができたので、それを受けて「私も明日からたまには職員を誉めて・・・」なんてあいさつをした。&lt;br /&gt;
　あれからほぼ一週間、結果はどうか、まだ誉めるところまでいかないなあ・・・・・。私の思うように成果が上がらないしぬるま湯というか職場の湯加減も良すぎる。職員を誉めるには、まだまだ時間がかかりそう。ということは、まだやめるわけにはいかないのだろうか。&lt;br /&gt;
　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2008-09-26T11:37:02+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2008/09/post-6c1a.html">
<title>福田総理大臣の辞任から政治家を考える</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2008/09/post-6c1a.html</link>
<description>　９月１０日に泰阜村の最高齢者になる馬淵たかねさんの１００歳のお祝いに、長野県下...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　９月１０日に泰阜村の最高齢者になる馬淵たかねさんの１００歳のお祝いに、長野県下伊那地方事務所長がきてくれて、長野県知事の賞状と金杯が渡された。１００歳は、実は、総理大臣からの賞状と銀杯が贈られるのだそうだ。それは、私が代理で手渡したのだが、平成２０年９月１５日総理大臣福田康夫　となっており、それを代読した。あれ、もう辞めたのでは、と思ったのだが、現在の総理大臣は、福田さんでいいんですよね、という感じ。考えようによっては、貴重な賞状でもあるが、あの辞任会見をした総理大臣の賞状を手渡すのもおかしな気がした。前置きはこれくらいで昨年は、安倍総理。今年は、福田総理と二代続けて辞任するというのも、大変なことだ。でも、地元新聞のインタビューで、私は「大変だったと思う。御苦労さまといいたい」といって、福田総理の気持ちは理解できると返答した。無責任なんだろうが、行き詰ってもうできない、と思った人が辞めるというのは、理解できるような気がする。一国の総理大臣と山村の村長を同じレベルで考えてては、失礼だが、山村村長には、それなりの苦しみもあり、辞めたいと思うこともたくさんある。しかも、若くしてその立場になったので余計そんなことを思う。ただ、安倍総理辞任のときにどう書いたのかわからないので、もしかしたら整合性がないかも。でも、気持はわかる、という感覚はたぶん同じだと思うが。&lt;br /&gt;
　今回、街の声のなかに、「私たちだってこれだけ苦しい中でがんばっているのに、総理大臣が大変だといって投げ出すなんて・・・・」というのがあって、これが庶民の本音だろうと思う。総理大臣だけがえらいのでなく、いつ倒れても不思議でないほど働いている人はたくさんいて、そんな国民からみれば、もっとずたずたになるほどやってから、辞めるといってほしい、と思うのでは。福田さんのあの表情、一記者の言葉にむきになるなど、あの雰囲気からは、とことん努力したという印象はなく、やはり無責任では、ということだと思う。&lt;br /&gt;
　さて、最近は、政治主導ということがいわれるが、政治家と官僚とどちらが悪いのか、と思う。そんなことを考えていたら７月６日の中日新聞の視座でジェラルド・カーティスという客員教授（コロンビア大学）が、ひどいのは政治家か官僚か、という論文を書いていて、なるほどと納得した。居酒屋タクシーの話なのだが、官僚が反対だからできない、と自民党の政治家が恥ずかしげもなくいう。自分の責任を逃れるためにすぎない。それに、いかにも自分にリーダーになる資格はないと白状しているようなものである、と指摘し、最後に、居酒屋タクシーはひどい話だが、官僚が遅くまで働いている間。政治家は、クラブやカラオケで遊びながら、役人の悪口を言っている。こちらの方がもっとひどいのでは、ないだろうか、と締めくくっている。&lt;br /&gt;
　そうなのである。私もそうだが、口だけで世の中を動かそうとするだけで、政治家に、法律をつくったり、現状を分析する力などないし、そんな時間もない。だから、政治家は、優秀な官僚を使う、ということで力を発揮すべき。官僚には、この教授がいうように、もっと高度な知識、専門知識をもった人を増やし、きちんとした政策や法律を作ってもらうべき、その指示をするのが政治家で充分。いま政治家が主導権を持つ、という言い方や意識が何か間違った方向で考えられているのではないだろうか。&lt;br /&gt;
　政治家は、だからわからないことはわからないといえばいいし、疲れたら疲れたといえばいい。福田さんも、私の力の限界です、といってほしかった。民主党のせいにしたってしかたない。一国の総理大臣なんだから。&lt;br /&gt;
そんな意味で「謙虚さ」こそ政治家の一番大切なものだと思う。私もそろそろ限界なんだろうなあ、と思う。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2008-09-11T16:42:08+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2008/08/post_735e_1.html">
<title>職員にいう「我々は、評論家ではない」</title>
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<description>　北京オリンピックが終わった。始まって早々の北島選手の金メダル獲得では、ほんとう...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　北京オリンピックが終わった。始まって早々の北島選手の金メダル獲得では、ほんとうに鳥肌が立った。本番で実力を発揮する、できる人の心臓を覗いてみたい。女子ソフトもすごかった。オーストラリア戦で、７回二死からホームランで同点にされたが、普通あれで流れはオーストラリア。それを食い止めた上野投手の気迫、精神力も、言葉が出てこない。同じ「とうしゅ」でも日本の党首に気迫や精神力を教えてやってほしい。&lt;br /&gt;
　なでしこジャパンもすごかった。一方、柔道の選手選考、マラソンの選手管理、選考等もう少し考えてもいいのではという感じもしたがどうなのだろうか。&lt;br /&gt;
　さて、本題に。オリンピックが終わって、一番批判されているのが、星野ジャパン。特に、星野監督に対する批判は、単なる批判を通り越し、批難、中傷の類といえるだろう。コーチ陣の顔ぶれ、選手選考、本番での選手起用すべてにわたって攻撃されている。負ければ、こんなもの、と承知しているだろうが、世の中ほんとうにそんなものである。勝っていれば、称賛の言葉が与えられたと思うのだが。&lt;br /&gt;
　野球の結果が出る前、８月９日に職員全員参加しての集りで、平成２０年度の後半を乗り切るために、ということで、職員に「我々は、評論家ではない」という話をした。自称、野球評論家の私で、野球のことは一応詳しいと思っているが、子供の影響もあり野球を通じて何を学ぶか、ということも考えられるようになった。&lt;br /&gt;
　役場職員というのは、よき泰阜村にするために、住民が安心して暮らせるために、日々行政サービスを提供している。しかし、こんな小さな村の役場でも、縦割という弊害がある。それは私の仕事ではない、ということを言いたがる。また、自分以外の仕事を批評する。それも建設的な意見ならいいが、その仕事を揶揄したようなことをいう。つまり、評論家になっている。私がいうのは、平成２０年度の方針や予算を決まるまでは、我々は、議論が必要、評論家になることも必要。しかし、スタートした以上、もう評論家ではいられない。このことをあえて言わなければならないのは、住民は、役場職員を選んだ気持はないが、村長や議員は、私が応援して選んだという意識があり、職員が聞いてくれないときは、村長に話がある。役場職員に足を引っ張られているような話があったり、村の重要事業を批判しているような話を聞く。疲弊が続く山村を引っ張るのは、行政だ、と私だけがかけ声をかけてもこれではどうしようもない。山村の戦いは、桶狭間である。それだったら東京と戦えるかもしれない。それだけの軍団にしたいと思っているのだが、足元からこういう状況もあるということである。&lt;br /&gt;
　星野ジャパンでいえば、私は星野。職員は、選ばれたプレーヤー。チーム一丸となっても負けるような試合が続く。これは泰阜も同じ。プレーヤーが、プレーヤーを批判し、作戦を批判しているようではチームにならない。戦う前から勝負にならない。我々は、単年度で勝負している。もうすぐ５回が終わる。いま一度「我々は、プレーヤーで評論家ではない」といったのだが通じただろうか。一丸となって戦っても負ければ、星野ジャパン同様、批難ごうごうである。しかし、それは受け入れなくてはならない、そのためにも評論家ではだめなのである。評論すれば、負けた理由を並べるだけのことである。岩瀬をなぜあそこで使ったのか、それは、最善の策として監督が決めたのである。結果について、評論されていいのだが、我々は、評論する立場にないことを理解しなければならない。&lt;br /&gt;
　この日は、土曜日で球技大会のあとだったが、義理で１～２名の職員が欠席しただけで全員参加。私の飲むときは飲む、という方針でありながら、まだ車で来る職員もいる。飲む席に飲まない（身体が受け付けないのは別）という態度が、私では理解できない。帰りが心配という理由なら、泰阜だって、タクシーもあり、電車も走っている。たまには、旦那や奥さんが迎えにきたっていいのだが、一度も見たこともない人もいる。女性職員なら、たぶん我が家では旦那も迎えに行っていると思う。&lt;br /&gt;
　統率とれないこのいい加減な組織、これも将が将なので仕方ないのかもしれない。&lt;br /&gt;
　たまには、愚痴もこぼしながら、後半戦を戦わなくてはならない。今年は、打つ手打つ手がうまくいかないことが多い、落合監督と同じ気持ちなのかもしれない。&lt;br /&gt;
　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2008-08-29T11:26:41+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2008/07/post_c05a.html">
<title>高校野球長野大会が終わって</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2008/07/post_c05a.html</link>
<description>　自称、野球評論家なのですが、甲子園をめざした高校野球長野大会も終り、少し気落ち...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　自称、野球評論家なのですが、甲子園をめざした高校野球長野大会も終り、少し気落ちしている。それは、長野大会決勝で佐久長聖高校が敗れたことが原因でもある。子供が佐久長聖高校野球部に所属したということもあるが、監督でもある中村先生や平出部長の「全員野球」という精神を知れば知るほど、中村先生がベンチで指導できるうちにもう一度甲子園にという思いが強い。今年は、ほんとうにチャンスだった。春の選抜に二校が出場し、この二校に松商がからむ展開だと予想された。しかし、春の北信越大会では、松商を破り佐久長聖が優勝した。春の優勝校が甲子園に行くケースは少なく、いやな予感もあったが、注目の長野日大上村投手を打ち、長聖が勝ち、にわかに甲子園が近づいた気がした。いま一つ注目された東海第三の甲斐投手と松商が準決勝であたり、&lt;br /&gt;
もしかしたら東海がと思ったが、やはり松商が勝った。やはり、長聖高校のライバルは、松商学園である。わが子の時も松商に負けた。今年も負けた。勝負の世界は、厳しいものである。&lt;br /&gt;
　さて、今回の話は、これからである。泰阜村は、少年野球をはじめ野球が結構さかんである。現在西部ライオンズの打撃コーチで活躍しているデーブ大久保こと大久保博元氏が１３年も毎年野球教室に訪れていることも大きく影響しているが、これについてはまた別の機会に書きたい。&lt;br /&gt;
　今年の下伊那農業高校のエース木下君も泰阜出身である。春の北信越でも南信の代表にもなった。二回戦で長野高校（長野は二試合目）と対戦することになり、松本球場へ応援に行ってきた。公式戦で木下君を見るのは、初めてであったが、成長した姿をみて感動、スタイルもいいしなかなかのイケ面のようである。まっすぐは、１３０キロ台だと思うが、コントロールもよさそうでまとまった好投手という印象をうけた。一回に長野の３番に本塁打を打たれ一点を先取されたが、二回に二点とって逆転。その次長野の攻撃で同点に追いつかれ、なお二死満塁という場面でセカンドゴロを二塁手がエラー（トンネル気味にみえたが）し、二点が入り逆転された。このプレーで二塁手が落ち込んで（私にはふてくされた態度にみえたが）いるようにみえた。確かに、多くの観客は、あのゴロを&lt;br /&gt;
とっていればと思ったと思う。しかし、野球にエラーはつきもの。エラーがない試合は勝つし、エラーしたり、チャンスで打てなければ負ける。でも、三年間苦労してやってきたんだから、エラーしても「すまん」だけでもっと前向きな姿をみたかった。いままでには、彼のファインプレーで勝った試合もあったかもしれない。それでいいではないか、と思う。その二点も確かに問題だったが、まだ４－２。私には、次の回の守りの方が問題であったとみた。次の回も長野の２番が出塁した。ここで３番（ホームランを打っている）を迎えたが、守る下農は、バンド守備体制をとった（私にはみえた）。ところが、長野高校の攻撃スタイルは、信頼のクリーンアップは、いつも打たせてきたと思う。これは、事前の調査でわかることである。バンドなしで落ち着いて打たせてとる投球をしてほしかった。バンドを警戒して四球、連打がからみ決定的な追加点を与えた。その後は、もう流れを変えることができず、コールド負けを喫した。確かに、長野の２～５番打者は、よかった。あてにくるようなことはなく、スイングしていた。でも、木下君が抑えられないバッターではない。一人打たれても連打を食わなければいいのであるから。このようなバッターと対決するには、ねばり強さが必要である。徹底的に低めをつく、コースを丹念にねらう。点差ほどの力の差は、なかっただけに、悔いが残る。下伊那農業高校の捕手で４番の松村選手が印象に残った。肩も強く、打撃もよかった。これからも活躍してほしい。飯田下伊那の高校が弱いと嘆くが、わが子も佐久へいった。今年の長聖のレギュラーに二人飯田下伊那の選手がいた。これら選手が残ればというかもしれない。しかし、どんな素質があっても、スポーツは、よき指導者に恵まれなければ絶対（あえて絶対という）に伸びないし、勝てるチームにならない。公立高校の限界を越えなくてはならないが、いまの長野県高校教育会をみていても、飯田下伊那の高校にそれなりの指導者が着任することはないだろう。教員試験というハードル、事故のときのリスク管理、教員の異動等とても公立高校では無理としかいいようがない。サッカーの小嶺、岡工バレーの壬生（長野県ではつぶされたが）のような人は、まれである。長聖の中村先生など、無名の高校を甲子園に連れて行ったが、これも稀であろう。そんな個人を迎え、励まし、すべての責任は校長がとるからがんばれといえるような教育会にならなければ無理である。&lt;br /&gt;
　この試合を含め二回しか球場へ行けなかった。特に、７月１９，２０日は、いけず残念無念。&lt;br /&gt;
　それにしてもトーナメントという試合方法は、ほんとうに難しいと思う。こんなはずではない、と思っても、試合の流れを変えないとあっという間に終わってしまう。流されないチームこそほんとうの実力をもったチームなのだろうが、そんなチームはなかなかない。&lt;br /&gt;
　泰阜卒ががんばる阿南高校もある。阿南高校が活躍すれば、わが地域は、最高なのだが。今年の秋から、阿南高校に注目したい。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2008-07-23T10:52:58+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2008/07/post_2888.html">
<title>公共工事と入札方法</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2008/07/post_2888.html</link>
<description>　６月２３日泰阜村で計画している２０年度事業の高齢者交流研修センター（兼住宅）の...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　６月２３日泰阜村で計画している２０年度事業の高齢者交流研修センター（兼住宅）の建築工事の入札を行った。この工事は、木造の建物で、居室、交流場所等があり、総工費で１億５千万円近いものであった。発注者は、村であり、この契約（入札）は、村の権限で実施するものである。&lt;br /&gt;
　この建設をめぐり、まず、設備を担当する会社等から、分離発注をしてほしい、という要請があった。また、飯田下伊那の建築業者からは、ぜひ地元の会社で仕事ができるように、という話しもあった。&lt;br /&gt;
　昔から入札というと「指名競争入札」が一般的であった。私が役場へ正式に採用になったのが昭和４６年であるが、その当時から、入札と言えば「指名競争」だと思っていた。ところが世の中の変化とともに、入札にかかわる談合（指名された業者が打合せをしてあらかじめ落札業者を決めておく、また落札額もおおむね決めておく）が指摘されるようになり、その摘発もされた。要するに、自由な競争が行われないので価格も高いし、一部有力者の思いのままで公正でないということである。&lt;br /&gt;
　公共工事の発注をめぐり、談合が摘発されたり、それをめぐり業者と役所の癒着が指摘されるようになった。これらを背景に、指名競争入札は「悪」ということになってしまった。長野県でも、田中知事登場以来、特に、この問題は取り上げられ、いち早く一般競争入札が導入された。これにより落札額が下がり、評価も高かった。&lt;br /&gt;
　しかし、私は、この一般競争入札による仁義なき戦いは、よくないと考えてきた。確かに、公正で透明性の高い入札で、しかも安くいいものができれば、発注者としてもうれしいことである。しかし、公共工事をはじめ、土木建設業に携わってきた人のことを思うと安定的な仕事の配分もまた必要なことであると考えている。この考えが談合のような悪の温床であると指摘されるが、問題は、適正な価格で公正な入札ができればどんな方法でもいいのであろう。そして、その地域が持つ技術力でその仕事ができるなら、お金や人材の地域内循環でこれまた地域活性化策といえると思う。&lt;br /&gt;
　そんな思いもあり、今回の入札では、本体と設備は、分離で発注し、入札方式は、指名競争入札とした。&lt;br /&gt;
　一般競争入札の導入を国、県から指導されている現状からすれば、潮流に反する入札会であったかもしれない。しかし、この圏域（飯田下伊那）に会社や営業所を持ち、いままで実績を積み上げた会社で、この仕事ができる企業が複数あるとするなら、その皆さんで競争してくれればいいのではないだろうか。&lt;br /&gt;
問題は、指名を受けた業者が、公正で適正な入札会にする気持ちがあるのかどうか。つまり、業界側もこの気持ちを理解するなら、それなりの改革をしなければならない。今回の入札結果からではわからないが、とにかく、業界側も自己利益だけ考えたような要望をしていればいいというものではない。本気でいい入札（契約）方法を考えなくてはいけないのであろう。&lt;br /&gt;
　今一度いえば、この地域で出来る仕事をこの地域で消費する、という循環を、談合とは無縁のところで作り出せばいいのではないだろうか。&lt;br /&gt;
　この問題に関しては、さらに書いていきたい。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2008-07-04T12:06:27+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2008/06/post_90ee.html">
<title>メタボ健診（特定健診）では医療費は下がらない</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2008/06/post_90ee.html</link>
<description>　平成２０年５月８日付の朝日新聞「私の視点ワイド」でメタボ健診＝医療費抑制は期待...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　平成２０年５月８日付の朝日新聞「私の視点ワイド」でメタボ健診＝医療費抑制は期待できないという、私の意見が取り上げられた。医療関係の仕事に携わっている方々から励ましの言葉を数件いただいた。それに関連し、日本経済新聞では、５月２８日の「蘇れ医療」の６回目で、私のコメントを載せてくれた。&lt;br /&gt;
　泰阜村が集団検診を廃止したのは、平成元年のこと。これは、当時の診療所網野医師の方針を村が取り入れたもので、というか、網野医師の強い方針で決まった。当時も長野県の直診（市町村直営の診療所、病院）医師の間では、検診の有効性を認める人は少なかったが、しかし、自治体の方針として決めるところまではいかなかった。まだまだ、検診は、保健の分野では、もっとも大きな仕事でもあったし、検診さえ受けていれば健康というような雰囲気であった。&lt;br /&gt;
　網野医師が検診を考えるようになったのは、実は、検診を受けた人が３年続けて亡くなったことがあり、それを疑問に思ったからである。その後、検診というものを徹底的に分析、研究した。検診に熱心であった保健婦も、網野医師の研究に協力する結果となったが、冷静に考えれば考えるほど検診の効果について、疑問だらけということになった。たとえば、泰阜で集団検診を受けながらも亡くなった人の事例は、見落としであった。明らかにがんでありながら見落とされたケースがある。これを解決するのは、精密検査の割合を高くする以外にないということ。&lt;br /&gt;
つまり、正常と判断する以外は、すべて精密検査に回すことになる。となると、受診者の半数は、精密検査となる。また、検診の有効性を考えて、集団検診をやっている自治体は皆無であった。検診を受けていれば、健康であり安心とみんなが思っていただけで、科学的な根拠はなかったということである。また、バイアス（偏り）という問題がある。これは、健康に意識がある人は、検診も受けるが、意識のない人は、受けない。該当者の５０％が受診すれば、まあまあ。７０％も受ければ最高。つまり、受けない人のグループができる。その人たちは、健康に関して意識も低く問題なのだがアプローチできない。この皆さんは、呼びかけても受けないのだからしかたない、受けない人が悪い、ということになる。&lt;br /&gt;
　ちょうど泰阜村では、時を同じくして在宅福祉に力を入れており、科学的に有効性（検診の有効性は、死亡率の減少によって証明される）が確認されていない検診に力を入れるより、その財源やマンパワーを福祉に回した方がいいと考えるようになった。これは、網野医師のあと診療所長として活躍している現佐々木医師も同じ方針で１０年間継続している。&lt;br /&gt;
　以上では、言葉足らずであるが、健診についてどう整理しているか、まとめておきたい。&lt;br /&gt;
　①豊かになった時代、病気の発見、健康を守るということは、基本的に個人の問題として考えるべき。行政は、情報提供。もし、健康対策をやるなら健診（二次予防）でなく、一次予防に返るべき（たとえば栄養）。となれば、病気を発見したい人は、医療機関できちんとした検診（たとえば、人間ドック）を受けるべき。泰阜村では、基本検診として診療所で対応する。&lt;br /&gt;
　②ただし、科学的に有効性が証明されている、子宮頸がん、乳がん（一部）等については、婦人科検診を実施している。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　泰阜村で集団検診を廃止して２０年経過した。この２０年間で泰阜村の胃がんや肺がんが増加したということはない。脳卒中の死亡が多く、その対策をやりたいということでそれに取り組んでいるが、その成果は、来年あたり保健師がまとめてくれると思う。胃がんがなぜ増えないか。この立役者は、保健師のがんばりでもなく検診技術が進んだわけでもない。冷蔵庫の普及にほかならない。特に、海なし県の長野では、冷蔵庫のおかげで塩分摂取量が減り、胃がんばかりでなく脳卒中にも貢献している。戦後、感染症対策もやって、それなりの効果はあったが、効果の大きな要因は、豊かになって栄養や環境が改善されたことと同じようなものであろう。&lt;br /&gt;
　今回、国は、医療費対策、大きくいえば社会保障費を２２００億円しか増やせない状況のなかで、なりふり構わず「特定健診」に舵をきった。検診の有効性が証明されない中で、これしか思いつかなかったのであろう。&lt;br /&gt;
　しかし、誰が考えても、血糖値やヘモグロビンＡ１Ｃの上昇を抑えたり、中性脂肪を抑えたり、肥満を防止することで医療費が減るとは思えないのでは。いったんは、医療費はあがるという意見もある。また、数値の悪い人に保健指導をするというが、こんな厳しい世の中で、一日１時間も運動したり、好きなたばこをやめるような優等生が幾人いるのであろうか。もっといえば、どんなに健診うけて保健指導をしてもらっても、誰もが老いて死を迎える。医療費が一番かかるのは、終末期である。健診を真面目にやっている人や保健指導を受けている人が老いない、死なないというなら私もその効果をみとめよう。しかし、高齢化率３８％の村でずっと福祉に取り組んできたが、いまだに１００歳以上生きる人など稀である。つまり、人間も生物であり、生老病死、生まれて老いて病気になって&lt;br /&gt;
死んでいく。これは、どうしようもない現実であり、これを認めることから出発してほしい。&lt;br /&gt;
　元気なまま死なない。病気になって死を迎える。それが糖尿病が原因のいろいろな病気であってもいいのではないだろうか。若くて亡くなる人もいるが、相対としては長寿社会である。これ以上、長生き社会になってどうなるのであろうか。&lt;br /&gt;
　私の言っていることは、ごく当たり前のことである。それだけに、特定健診の受診率が低く、また保健指導の効果がないと後期高齢者保険の支援金を増額するなど、まったくナンセンスな話である。さらに、個人の健康感に国家が介入するような話で、これまた時代に逆行しているといわざるをえない。医療費を下げるなら他の方法もあろう。それが無理なら、国民にお願いし、消費税を上げて、診療報酬もきちんと上げて、いい医療を提供した方が国民はよほど幸せである。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2008-06-02T10:31:18+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2008/04/post_6a18.html">
<title>道路財源諸税の暫定税率復活について</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2008/04/post_6a18.html</link>
<description>　４月２８日の午後５時から４５分間、西新宿一丁目で二回目の「地方の道路整備のため...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　４月２８日の午後５時から４５分間、西新宿一丁目で二回目の「地方の道路整備のために財源確保を」というチラシを配布した。この時間若者が多く、このチラシを受け取る人は、少なかったが、それでも手を伸ばし受取ってくれる人もいた。&lt;br /&gt;
　よく泰阜村長は、道路財源を守るような保守的な考え方でなく、暫定税率廃止、一般財源化賛成ではないのか、といわれる。世の中の体制に批判的な人間と思われているのだが、一応、鈍い判断力ながら、すべての問題は、自分の頭で考えて白黒つけるようにしている。この道路財源については、泰阜村で考えると「継続すべき」ということになる。&lt;br /&gt;
　なぜか。泰阜村の道路改良が遅れ、いまだ大型バスが通行できないこと、いまその改良が行われ、もう３年くらいで通行できる見通しがついたことなど、今まで何回も訴えてきた。&lt;br /&gt;
　つまり、道路財源諸税が制定され約５０年。暫定税率で加算されて３０年間。この間、泰阜村の村民で自動車等の所有者は、ずっと関連税を負担してきた。しかし、道路整備、道路改良は、人口の多い都市から始まり、我々地方の道路は、なかなか手がつかなかった。戦後泰阜の歴代村長は、選挙のたびに、道路整備だけを訴えてきた。そしてようやく、地方道路へも道路特定財源を臨時交付金として直入する方法が取られ、この１０年ほど、道路整備がすすめられてきた。その地方でもさらに優先順位があり、国道が先で、県道はあと。県でも、通行量が多い県道から始められたので、泰阜のような過疎の山村は、ここ５年程前から本格的に始まった。&lt;br /&gt;
　あと３年ぐらいで修学旅行に行く子供たちも、泰阜村から大型バスにのって行けるようになるという期待が高まっていた矢先の暫定税率のストップである。日本の基礎的なインフラ整備である道路のために、我々山村住民もいままで税金を支払ってきたということ、いよいよ泰阜では、これからというときに、もう道路はいらない、無駄な道路をつくる必要ない、という声が高まっている。先に道路ができた地域の皆さんも、せめて山村の道路整備がある程度進むまで支援してくれていいのではないか、これこそ「思いやり」というものではないのか、と思う。それを訴えたい。&lt;br /&gt;
　今日、衆議院で再議決されると思う。もちろん、世論は、復活反対の方が多いだろう。当然であるが、誰かが負担しなければ、山村の道路は未改良のままである。もし、道路がいらない、と主張する人も、おそらく何らかの形で道路を使用していることと思う。その道路整備のお金は、我々山村住民もずっと負担してきて、それを先に活用したということを忘れないでほしい。だから、世論に反しても勇気をもって再議決してほしい。&lt;br /&gt;
　さらにいえば、今日は、租税特別措置法の復活。しかし、もう一本法律を通してもらわないと、地方の道路整備ができない。財源特例法で、１０年道路整備を継続する法案で、来年から一般財源化する首相の方針と整合性がとれないという批判があるが、それはこれからよくつめてほしい。したがって、５月１２日以降、なるべく早く再議決をしてほしい。２回再議決が必要だが、自信をもってやってほしい。&lt;br /&gt;
　総じて、私の私見を述べれば、あと５～１０年で、地方のほんとうに必要な生活道路は、整備されると思う。その時は、特定財源でなく、一般財源としての新たな税金を考えるべきである。ただ、グローバルな時代に対応するため、空港も港湾も含めた整備を図るための財源とするなら、新たな法案で特定財源を継続すればいいであろう。&lt;br /&gt;
　また、使い道も国民に納得できるものにすることは、当たり前のことでいまさら触れる必要もない。天下りで、何千万円もの退職金を何回ももらうなど、とんでもない話。ただ、その話と道路改良は、わけて考えていただきたい。&lt;br /&gt;
泰阜村長として、衆議院議員各位に自信をもって再議決に臨んでほしいと伝えたい。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2008-04-30T11:41:29+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2008/03/post_b83f.html">
<title>イージス艦の事故</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2008/03/post_b83f.html</link>
<description>　日本の防衛費は、５兆円といわれている。私も自治労組合員であったころ、防衛費を削...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　日本の防衛費は、５兆円といわれている。私も自治労組合員であったころ、防衛費を削減せよ、という訴えをしたことを覚えている。１９６０年、１９７０年の安保反対闘争以後、日本社会は、豊かになると同時に、安保反対や憲法９条問題、自衛隊の問題など、あまり議論されなくなった。それは、激しい学生運動もやった、あの団塊の世代が、社会の中心となる時代と重なっている。私も、自治労組合員から、立場が変わって村長となった。&lt;br /&gt;
　そんなことで、政府与党を応援することもあり、自民党の国会議員を応援することもある。もちろん、課題別ではあるが。そんな意味では、いい加減な人間になっていて、子供からも批判される。&lt;br /&gt;
　そんないい加減な人間ではあるが、２度と戦争をやってはいけない、という強い思いは、多くの国民の皆さんと同じであろうと思う。&lt;br /&gt;
　今回のイージス艦の事故で、まず思ったのが、国、国民を守るべき自衛隊が、善良な国民を犠牲にした、という事実である。こんなことが許されるのか、ということ。そして、その時、イージス艦乗組員全員で、漁船の乗組員を本気で助けようとしたであろうか、ということであった。&lt;br /&gt;
　たぶん、イージス艦側は、漁船の方がよけるであろう、と思ったに違いない。山間部で暮す我々は、出合いがしらの事故が多いので、カーブでは注意する。そんなところで暮していると、見通しのいい海で、しかも荒れていたわけではなく、天気もよかったという。そんなところで衝突することなど考えられない。なぜ、回避できなかったのだろうか。&lt;br /&gt;
　行方不明のお二人、また家族の皆様には、ほんとうに慰めの言葉もない。受け入れられない現実を、どうしたらいいのだろうか、私では答えが見いだせない。国会では、情報が混乱していることや防衛大臣の責任ばかり追及しているが、５兆円もかけて維持している、日本の自衛隊のあり方やそれを動かしている国会議員自身の責任を考えてもらいたい。&lt;br /&gt;
　シビリアンコントロールという言葉の意味は、役場職員でも知らない人の方が多いと思う。いま、自衛隊がほんとうに武装蜂起したら、日本は軍事国家になるのではないだろうか。&lt;br /&gt;
　私は、日本が他の国から攻撃されたら戦う。それは、わが村をわが村民を、国家、国民を守るための当然の行動だと思う。その心をあえて表現するなら愛国心である。&lt;br /&gt;
　今回の事故のニュースを聞いた時、訓練されているプロの自衛官に、実は、国家、国民を守る、という「心」がないのでは、と思った次第である。&lt;br /&gt;
　私は臆病でそんなことはできないし、情況も知らずかってなことをいうことをあえて許していただけるなら、漁船の親子を助けるために、自衛官が海に飛び込んで助けようとした、いったことがあったとしたら少し救われたかもしれない。ヘリコプターを三機も飛ばして、上司に報告にくる時間があったら、すぐ助ける行動はできなかったのだろうか。やっていたのかもしれない、でもそれが伝わってこないことが残念でならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2008-03-03T10:06:48+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2008/01/post_66f9.html">
<title>新年を迎えて日本の政治を思う</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2008/01/post_66f9.html</link>
<description>　遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。今年は、子（ねずみ）年。子年...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。今年は、子（ねずみ）年。子年は、いい年が多いと聞くので、平成２０年は、いい年としゃべり、書いていますが、どうもスタートの感じは、それほどでもないような気がします。確かに、スタートから飛ばすと息切れするので、終わってみてどうかということで期待したいと思っています。&lt;br /&gt;
　さて、郵政民営化の選挙で自民党が衆議院で圧倒的多数となりました。そのせいもあると思うのですが、もしかしたらそれ以前からかもしれませんが、新しい法律や制度があまり議論されなく成立しているように思えてなりません。たとえば、「後期高齢者保険」がそうなのですが、日本が本格的な高齢社会を迎えるにあたっての医療費をどうするのか、また被保険者にどのように周知するのか、本質的な議論がなされたのかどうか、疑問です。法律が施行されてみて、これでは困るようなことがあります。&lt;br /&gt;
　国会の審議をみていますと、審議時間だけが確保されれば、あとは採決ということです。提案する政府与党が圧倒的多数でしたから、提出さえすれば通るということでした。これも時には必要でしょうが、国民生活に直結するようなことは、本質的な議論をしてもらわなければ困ります。&lt;br /&gt;
　ところが、参議院選挙で野党が多数になりました。今度は、法律が成立しなくなりました。これもまた困る話です。国会議員が困っているだけならいいのですが、国民が巻き添えになるとなるとほんとうに迷惑です。&lt;br /&gt;
　道路財源をめぐって対立しています。その財源に関しての私の考え方は、いまさら説明の要もありませんが、民主党が「ガソリン引き下げたい（隊）」などと称して、がんばろうと言っている姿をみると、もっときちんと議論してくれ、といいたくなります。&lt;br /&gt;
　私は、いまでも郵政民営化に反対です。山村に住むものにとって、民営化後の郵便局をみてもいいことはありません。ＪＡの合理化もそうなのですが、国や組織にとってはよくても、住民サービスの視点ではいいことはないのです。そこを議論してほしい、とうことです。解散した小泉首相が、かっこいい、潔い、立派だという評価と郵政民営化の本質とは、別の話だったのです。&lt;br /&gt;
　いまの政治は「ポピュリズム」、大衆迎合主義というのでしょうか、選挙民の反応に振り回されているような気がします。負担は少なく、サービスは多く、と考える人が多いのは、当たり前です。日本の教育も、まず自分の幸せを考えるようになっています。自分以外の人の幸せを願う、忘己利他（もう（ぼう）こりた）の教えは、比叡山だけしかなくなってしまったようです。だから、道徳教育の復活も理解できるところです。仁、義、礼、智、信などという言葉も、言葉として知っているだけでは意味がありません。自分の地域は、これ以上の道路は要らない、という所もあるのでしょうが、まだ大型バスも通行できない自治体もあるということに思いを馳せる社会であってほしい。&lt;br /&gt;
　話はそれましたが、多くの人が反対しても、国家のため、国民のためやらなければならないことがあります。医療、福祉、年金などは、負担増なくしてサービスの継続は無理です。必要財源を提示し、そのサービス内容も明らかにして消費税をあげるべきです。後期高齢者保険の保険料や高齢者医療の窓口負担を急に先延ばしするようなら、最初から法律をつくるな、といいたくなります。もっと本質的な議論をしてからにしてほしい。&lt;br /&gt;
　ガソリンもしかり。この厳しい財政状況の中で、２兆６千億の収入を減らし、穴埋めするような方策があろうはずがない。歳出の合理化で１兆円浮かすと、藤井氏はいうが、どこを減らすのか説明してほしい。直轄事業の都道府県等の負担もなくすといっているが、その分事業費が減る。公共事業３％カットを継続していて、さらに直轄事業を減らせば、災害列島日本の治山治水はどうなるのか。ガソリン高騰の折、２５円下げるべきという声のほうが世論調査で多いので、そうすべきだというのだったら、政治家はいらない。ＮＨＫに政策を任せた方がいい。&lt;br /&gt;
　例えば、今後１０年間の暫定税率は、長すぎるというなら、当面５年にして、その５年間に道路財源のあり方を与野党で協議する。その結果が、一般財源としての環境税という結論であった、ということなら理解もできる。&lt;br /&gt;
　政治とは、国民の幸せのために真に必要なことを、反対があってもやっていく、ということだと思う。道路改良がこれからということもあり、最近の道路財源をめぐる国会議員の発言を聞いていて、次の選挙しか考えない国会なら審議などしてくれなくてもいいと思うこのごろです。&lt;br /&gt;
　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2008-01-21T16:43:39+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2007/12/post_8abf.html">
<title>中学三年生との「村政を語る会」</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2007/12/post_8abf.html</link>
<description>　１２月１７日、泰阜村役場において、中学三年生との村政を語る会が開催された。いま...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　１２月１７日、泰阜村役場において、中学三年生との村政を語る会が開催された。いままで中学２年生が議場で「模擬議会」を行っていたが、それより、総合学習の成果として、村への提案を聞いてほしいという趣旨で開催された。中学三年生が、５班に分れ①泰阜村ＰＲビデオ上映②小学校統合問題③少子高齢化問題④借金返済問題⑤福祉の更なる充実を願って、という項目で、それぞれのチームが発表し、議員、教育委員、幹部職員が感想を述べ、村長は、最後１０分間感想を述べた。&lt;br /&gt;
　①は、ドラマ風のビデオだったが、これだけのものを中学生ができる時代になったのだなあ、という感想と同時に女生徒の方が大人になっていると思った。ただ、画面では、そこが泰阜のどこだかすぐわからないところもあり自分の観察力のなさも感じた。②の小学校統合問題では、小学校高学年、中学生、保護者や学校の先生のアンケート集約がもとになっての発表。学校の先生へのアンケートというのはよかった。ただ、難しい問題で、答えもいろいろあり、学校統合がいかに問題多いか、という現れ。しかし、中学生として、小学生から怖いと思われているようなので交流会を開き仲良くする、という積極的な意見があり、頼もしく思った。バス通学も当たり前になっており、体力がどうか、という問題意識はあるのだが、では自分たちはどうかという視点がほしかった。③少子高齢化問題では、ＩＵターン者へのアンケートを実施してくれた。これは、本来なら村がやるべきことなのだが、よくぞやってくれたと思って聞いていた。少なくとも戦後教育の中で、学校全体として、こういう問題に正面から取り組んだことがなかったと思うが、生まれ育った自分たちの村をどう評価していくのか、答えはないもののこの感受性豊かなときに考えたことは、将来きっと役立つと思う。２０年早くやっていれば、山村ももう少し変わっていたと感じた。この問題は、木下副議長の意見＝環境を整備することも大事だが、自分がこの村に住むという決意が先＝がすべてだと思うが、これは村に生きると決めた大人の意見。④借金返済問題、これも面白かったが、自治体財政は、単年度決算で単純といわれているが、そうはいってもやはり詳細になると難しい。それでもしっかり勉強されたことに敬意を表したい。こんなこともいままで考えられなかったことではないのだろうか。この問題が、そんなに簡単に解決の道を示されては、村長や議員、職員の存在価値が疑われるが、少し我々のほうが理解が深くよかった。⑤福祉の更なる充実を願って、これが一番よかった。ボランティアの実践の裏打ちや障害を持った高齢者との交流もあり、我々もなるほど、と思わされた。この年代から、人間を尊敬することや高齢者を大切にすることを学べば、ほんとうにいい社会になるのであろう。戦後、こんな教育がされておれば、いまの施設収容型だけの介護にはならなかったと思う。&lt;br /&gt;
　こんな提案をいただいて、私が１０分間、感想を述べることになっていた。時間は守る方なのだが、５分延びて１５分しゃべった。信濃毎日新聞の松崎記者が終了後、生徒も村長、議員等もこれだけ本音で語る会はめずらしい、といっていたが、私もつい説教調になっていたようだ。いくら学習したといってもまだ中学生、そんなに真剣にいわなくてもほめておけば、ということでよかったのだが、どうもそれだけではおけなかった。まだ中学生ではなく、もう１５歳、世の中の理屈をわかる年代として、つまり一人の人格者として認めてあげなくてはならない、と思っている。それが説教調にさせた。内容に、ひとつ、二つふれておくと、感想でも書いたとおり学校統合でバス通学の話があったが、自分たちのことに対する評価がほしい、ということ。当初、南は出さないといっていたスクールバスを途中から回すようになった。自分たちは、そんなバスに乗らなくても歩く、というような考え方はないのだろうか。また、借金返済問題で、道路改良はじめ、何項目か経費削減提案を出してもらった。それは、なかなかいい点をついていた。しかし、自分たちでまずできることはないか、という視点があってもいいのでは、というようなこと。&lt;br /&gt;
　つまり、提案を他人に納得させ、実行させるには、自らもそれに関しての律し方を示さないと響かないということである。いまの社会は、自分はコタツにあたりながら、早く雪をかいてくれ、と役所に電話するような時代である。自分は、バスに乗ったり、親に送ってもらうが、他の人は歩いてください。私は、寒いのでストーブを使ってますが、あなたは灯油を節約してください。というような気持ちはさらさらなかったと思うのだが、何となくそう聞こえたような気がした。お金の節約なら、お昼はみんなで弁当持っていくので学校給食をやめましょう、といわれれば、私は、感激してそこまで考えていてくれるのか、と言葉もなかったと思う。何とかしなければと考えるであろう。&lt;br /&gt;
　次の日、役場の朝礼で、あんなに言わなくてもよかったと反省している、と述べた。ただ、あそこでしゃべったことがすべてで、あいさつはあいさつで、陰に回ってあんな提案をしてとんでもない、などというようなことは言わない。&lt;br /&gt;
　就任以来、対立の続く村の行政運営を任されやってきたことは、主張は堂々公式の場できちんという、かけひきのようなことは絶対によくない、ということだった。たとえ、中学生でも私の感じたままをストレート、まあカットボールくらいだったが、そのまま述べた。&lt;br /&gt;
 議会の一般質問で、答弁はいらないといっても、一言追加させてもらうこともある。何もそこまでといつも思うのだが・・・・。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2007-12-19T15:14:28+09:00</dc:date>
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<title>黒田投手のＦＡ</title>
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<description>　広島カープの黒田投手が１００勝を達成し、しかもＦＡ宣言せず、広島に残ったことに...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　広島カープの黒田投手が１００勝を達成し、しかもＦＡ宣言せず、広島に残ったことに感動したことを過去に書いた。その黒田投手が、大リーグドジャースへの移籍を発表し、来年からは大リーグのマウンドにあがることになる。日本なら巨人が獲得に動き、クルーン、グラインシンガー、黒田となったかもしれない。日本の球団でなくよかったと思っているが、海外へもいかず広島でずっと投げていたら、私はさらに感動したと思う。&lt;br /&gt;
　しかし、あれだけの投手が自分の力を最高の場面で発揮してみたい、挑戦してみたいという思いもわかるし、それを悪いというわけではない。これにより過去の選択の評価が落ちることもない。これは前にも書いたとおりである。&lt;br /&gt;
　私は、野球が好きで、行政もよく野球にたとえる。野球と一緒にするのは、不謹慎かもしれないが、公務員にもＦＡを、ということが言われるようになった。山村のできる職員が給与の高い、大きな市へ引き抜かれるようなことがおきるかもしれない。泰阜村のようなところでは、これに太刀打ちできない。&lt;br /&gt;
　しかし、可能性としてその逆もあるのだろうと思う。大きな市の優秀な職員が、給与は下がっても山村のために働いてみたい、といって山村に移籍する。人間は、何のために働き、何のために燃えるのだろうか。&lt;br /&gt;
　構造改革以来、世の中の価値基準がどうもお金一辺倒になった気がしてならない。お金から離れ、人生意気に感じるような場面をみたいものだと思う。&lt;br /&gt;
　もちろん黒田投手は、お金ではなく、挑戦だと思う。&lt;br /&gt;
　広島は、新井が阪神へということで、投打の柱がいなくなった。大リーグからすごい選手を獲得するお金もないのであろう。来年は、どうなるのだろうか。高卒の若い、安い選手を鍛えて、あの巨人に対抗するのであろう。&lt;br /&gt;
　結果は、見えている。しかし、同じ人間、努力しだいでわからない。過疎の山村も、ほんとうに厳しい時代になった。でもがんばるしかない。そう、広島球団がモデルなのである。雑草軍団でいいではないか、広島にがんばってほしいものである。黒田投手も雑草軍団出身として、大リーグで活躍してほしいものである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2007-12-19T13:58:28+09:00</dc:date>
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<title>道路特定財源諸税の暫定税率継続を</title>
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<description>　道路特定財源の堅持を！これについては、記載のとおりである。しかし、今年は、この...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　道路特定財源の堅持を！これについては、記載のとおりである。しかし、今年は、この道路財源について、様相が一変してしまった。それは、７月の参議院選挙で、民主党を中心とした野党が勝利し、参議院においては、自民党、公明党の与党は少数派になってしまったことに起因している。運の悪いことに、時限立法である暫定税率の適用期限が来年３月で切れるという時期と民主党勝利が重なった。その民主党のマニフェストでは、揮発油税等の道路財源は廃止し、新たな税金（環境税等になるのでしょうか）で対応するといった趣旨のようで、これに沿えば、当然この時限立法である租税特別措置法には、反対することになるのでは、と素人ながら推測する。道路特定財源の一般財源化という声が数年前から出るようになり、小泉改革でも一般財源化に道筋を開いたような議論がなされた。結果として、本四架橋公団の赤字返済を道路財源で肩代わりし、その返済が終わった時点での数千億円が余ったということになり、一部が一般財源に回せるというような話から、完全な一般財源でなく、道路に関係したような財源に使われることであった。そのころから、厳しい財政状況を反映して一般財源化議論は、表舞台になった。昨年１２月、政府与党は、議論の末、この問題について一定の方向を出す、閣議決定された。&lt;br /&gt;
その概要は、道路特定財源諸税の暫定税率は、継続する。真に必要な道路整備を行い、その上での余剰財源は、一般財源化する、というものである。つまり、真に必要な道路整備に、道路財源すべてが使われれば、一般財源に回るところはない、と解釈できるから、ご安心くださいという決着だった。そのために、今後の道路整備中期計画を策定するということで、いろいろな意見が集約され、もうすぐ発表される。その計画実現には、道路財源がどのくらい必要か、ということで財源が議論されるはずであるのだが。&lt;br /&gt;
　これら暫定税率（本税の倍、ガソリンでいえば、１リットル２４．３円が、４８円６０銭となっている。地方税も５円くらいさらに上乗せになっているが）は、継続される前提で考えられているのだが、これが継続されないとなると、道路整備の根幹にかかわることになる。&lt;br /&gt;
　泰阜村の主要地方道は、県道であり、いま急ピッチで改良が進められている。この改良費は、国が半分、県が半分というシステムになっている。たとえば、１億円の事業費と発表されると、それは国が５千万、県が５千万円。&lt;br /&gt;
長野県の話では、道路財源として３００億収入があるが、半分の１５０億は、道路関係の借金返済にあて、残り１５０億円を維持、改良にまわしているとのこと。これが、単純に半分になれば、借金返済で財源が終わり、いまやっている改良は、ストップするという。村でも、譲与税として入る道路財源が２５００万円ほど減ることになる。&lt;br /&gt;
　暫定税率が継続されるか、されないか、泰阜村に大型バスが通行できる日が近づいてきたのに、その日が限りなく遠のく結果となってしまう。&lt;br /&gt;
　これはなんとかしなくては、ただ陳情しているだけではいけない。そこで、田舎の道路整備は無駄ではないか、という意見がけっこうある都会で、実情を訴えることにした。一山村が、少しぐらいビラまいて、単なるパフォーマンスという笑い声が聞こえるが、いてもたってもいられない状況になってしまった。田舎の生活道路はまだまだ整備されていない。この暫定税率が継続されるかどうか、これは大きな政治問題。どうかご理解をいただきたい。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2007-11-09T16:40:08+09:00</dc:date>
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<title>日本シリーズの中日優勝に思う</title>
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<description>　日本シリーズは、中日が勝った。短期決戦では、チームのいいところが出たほうが勝つ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　日本シリーズは、中日が勝った。短期決戦では、チームのいいところが出たほうが勝つが、今シリーズも中日のよさばかりが目立った。私には、落合監督というのは優れた頭脳の持ち主だとみえる。それは、彼の采配は、奇策でもなんでもなく、理論があり、選手を納得させると思うからである。&lt;br /&gt;
　今シリーズでは、なんといっても最終戦のパーフェクト投手山井を代えたこと、これが話題を呼んでいる。私は、９回は岩瀬だろうと思っていた。この投手交代については、球団に抗議電話があったり、多くの意見が飛び交った。&lt;br /&gt;
　野球を外から見ている人は、結果論でものをいう。もし山井続投で、ホームランでも打たれたら、なぜ岩瀬を出さなかったというであろうし、岩瀬が抑えたからよかったものの、岩瀬が打たれたら、さらに批判は強まったであろうと思う。しかし、この試合を含め、勝敗の責任は、監督でしかとることができない。落合監督は、そこのところが明確である。我々は、あくまで野球を好きで、あのハイレベルのプロ野球を楽しんでいる。それは、捕手のリード、監督の采配を含めて、野球そのものを楽しんでいる。だから、落合野球を、なるほど、といってみればいいのであるが、いつのまにか、自分の意見が正しいと思うようになってしまう。&lt;br /&gt;
　小笠原を５回ツーアウトで代えたときも、含めて、非情なおれ流采配、といわれるのだが、いいではないか、と思う。こんなことに共感するのは、実は、最近の行政も同じようなことがいえるからである。&lt;br /&gt;
　とにかく、世の中、文句がいいやすくなった。言われて当然ということも多くあるが、この人から、そんなことは言われる筋合いはない、と思うことがよくある。また、野球と同じように、行政も結果が問われる。しかし、選択したすべての結果がいいなどということはない。一生懸命やっても、だめなときもある。それは、私の責任だ、と思っているのに、それを責められても答えようがない。言わなくてもそれは了解されている社会であったと思うのだが。&lt;br /&gt;
　落合監督が「ベンチの中でしかわからないことがある」といったが、最近は、「お前に任せた」ということが少なくなっているのではないだろうか。私なども、支援者から、選挙のあとは任せた、しっかりやれ、ということをいわれると大変ありがたいし、責任を感じる。逆に、いちいち注文をつけられると、何のために支援してくれたのか、と思うようになる。&lt;br /&gt;
　落合監督を見ながら、いいたいやつはいえ、雑音に惑わされず、決められたルールのなかで、最高目標を目指してがんばるだけ、という覚悟を感じる。私にそれだけの覚悟や能力があるのだろうか、と思うと残念ながら落合監督には及ばない。&lt;br /&gt;
　山井を代えて岩瀬に、日本一になるために、組織として最良の選択をする。山井個人の記録より、チームの勝利の方が大事、それを選手も理解しているのであろう。そして、結果はすべて監督の責任、というこれほどの明確なメッセージはない。こんなトップと組織になりたいものだ、これが日本シリーズの感想である。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2007-11-06T11:11:38+09:00</dc:date>
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<title>安倍首相から福田首相へ</title>
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<description>　私は、平成６年の村長選挙で、当選したら村長室から出ます、と約束しました。いまで...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　私は、平成６年の村長選挙で、当選したら村長室から出ます、と約束しました。いまでいえばマニュフェストなんでしょうが、そんな小さなものまでいれた後援会だよりを出しました。その中には、村長と話す会の開催、村長や役場職員、議員ばかりを表彰するような村の表彰規定の見直し、なども入っていました。運よく当選して、その後一週間で、村長の机を事務室に移しました。村長室は、いま応接室として使っています。使用頻度からいえば、もったいない空間ですが。その応接室に安倍総理大臣と私が握手している写真が入った額がおいてあります。&lt;br /&gt;
　今年の５月２１日、平成１８年度後半で、構造改革特区や地域再生計画の認定がなされた自治体に対し、首相官邸で、安倍総理大臣から認定証の交付がありました。泰阜村の地域再生計画も該当していました。今回は、首相じきじきに交付というので、地元の町村長会を欠席して、東京へ向かいました。首相官邸などめったは入れないと思いますが、案内がいなければ迷うような広さ、かといって余分なところを見学するというわけにもいきません。一生に一度であろう首相官邸入りが実現しました。&lt;br /&gt;
　安倍総理到着し、あいさつのあと、それぞれの市町村長に認定証が交付され、その都度首相との記念撮影が行われました。そのときの認定証のなかにその写真を飾ってあります。がんばる地方応援プログラム等地方支援も打ち出し、７月の参議院選挙に向けて自信満々（？）だったと思います。お互いいい顔して写っていると思っています。そのときの安倍首相の顔と辞任表明の顔、特に総理最後の病院での会見の顔と比較すると別人のような気がします。参議院選挙も数は減るだろうが、あそこまで負けるとは思っていなかったであろうし。&lt;br /&gt;
　小さな村の村長と首相と比較しては失礼だが、もうやめた、という心境になった安倍さんの気持ちは理解したいし同情したい。しかし、泰阜の村長でも、もうやめた、といったら怒られるであろう。それが一国の首相である。参議院選挙で小沢をとるか、私をとるか、といって、小沢にとられても辞めなかった人が、国会（国権の最高機関）でこれからの日本にためにがんばります、とあいさつしたあと、もうやめた、では無責任極まりない、と批判されて当然であろう。それだけの人物だった、といえばそれだけだが、育ちのよさだけでは、風雪に耐えられないことがよくわかった。盛田和夫氏が西郷隆盛を高く評価し、その教えを信条としていると書いている。その盛田氏が、西郷隆盛も最初からあれだけの人物ではなかった。彼は、苦難を経たからこそ、胆力がついたといっている。特に、島流しで、牢獄に入れられそれに耐えたことをあげている。そんな苦難に出会いたくないが、安倍総理もやるといった以上ここを乗り切れば、道も開けたのかもしれない。&lt;br /&gt;
　安倍首相をかばう人もなく、福田首相へとバトンタッチされた。議員内閣制で、大統領と違うので、リーダーシップというより、チームワークで仕事をやると考えると、福田首相は適任では、と思う。&lt;br /&gt;
　人間など勝手なもので、私も昨日と違う適当なことを今日はしゃべって生きている。今年の９月議会では、蛇口をひねれば水が出る、これは当たり前だが、そのために職員が努力している。それは当たり前なんだが、行政というのは、そういうもの、という話をした。つまり、取り立てて何かを、ということでなく、平穏なうちに毎日が過ぎていく、その日々の努力がまず大事。福田首相は、常にそういうようなことをいいそうな雰囲気を感じる。それを安定感というのか、リーダーシップがないというのか、この評価は次の衆議院選挙でわかるのであろうか。&lt;br /&gt;
　今回のこの首相交代劇をみて、やはり世の中先のことはわからない、と感じた。何があっても落ち込まず、日々努力していれば、いいときも来ると考えよう。そして、もっと感じたのは、健康、体力。政治家のもっとも大事なことは健康である。ただ、私は、村民の皆さんとの酒を断ってまで健康を考えて村長をやりたくないが、今日まで一日も休まず仕事ができたことに感謝したい。&lt;br /&gt;
　国民の痛みのわかる首相であってほしいことを願いながら福田内閣の活躍を祈ります。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2007-10-02T10:17:46+09:00</dc:date>
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