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<title>泰阜村長のblog 「私はこう考えます。」</title>
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<title>おめでとう！なでしこジャパン</title>
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<description>　女子サッカーワールドカップでのなでしこジャパンの優勝は、震災で苦しむ日本に勇気...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　女子サッカーワールドカップでのなでしこジャパンの優勝は、震災で苦しむ日本に勇気と感動を与えてくれた。国民みんなが感激したと思う。サッカーは、男子のスポーツと思ってきた年代ではあるが、今回のなでしこの活躍は、ほんとうに感動した。&lt;br /&gt;
　私がほんとうに観戦したのは、スウェーデンの試合と決勝のアメリカ戦。ドイツ戦は、ニュースでしかみていない。実は、ドイツ戦のとき、おそらく負けると思っていたし、ここまで来ただけですごいこと、と思っていた。ところが、延長の末、ドイツに勝ったという報に、思わず拍手。これは、応援しなければということでスウェーデン戦をみた。先制され追いつき、さらに後半の２得点は、ほうとうに拍手、拍手。そして、決勝。アメリカ選手の大きさ、ドリブルでの速さ、川澄という選手が速いと思っていたが、それ以上にアメリカの選手は速かった。立てば、首一つ、大げさにいえば、胸あたりまでしか届かない日本選手。これだけ見ても苦戦は、想像できた。アメリカの怒涛の攻撃がなかなかゴールを割らない。日本がなんとか先取点をと思っていたが、結局アメリカが先に１点。ここまでか、と思ったときに、宮間選手の同点ゴール。拍手。そして延長戦、ここでもだめかと思ったときの沢選手の同点ゴール。沢選手のゴールは、素人の私にもほんとうに技術の高いキックに見えた。&lt;br /&gt;
　ＰＫ戦での沢選手のあの祈るようなシーンが特に印象に残っている。&lt;br /&gt;
　日本の勝因は、マスコミで報道されつくされているのだろうし、私たちでは、想像できないほど厳しい練習の成果だろうと思う。それにしても、優勝という結果に、１８日の朝は、なんとも高揚した気分だった。&lt;br /&gt;
　すべてを自分の村の行政と関連付ける癖がついている。今回のなでしこの活躍は、日本女子の体格、特性をきちんと把握、分析し、自分たちができることを愚直にやりぬいた結果だと思う。身長が足りないから、足が遅いから、比較してもどうしようもないことを理由に、負ける理由づけを「私」ならするのだろう。うちの職員もそうなのだと思う。３０年もかかって世界の頂点に立った。そういえば、過疎と言われて４０数年、そのなかで、私は、何か結果をだせたのだろうか。&lt;br /&gt;
　もう一度自分たちの村の実力を分析し、その力をどのように発揮すれば、前進できるのか、やらねばならない。こんなことを教えてくれたなでしこジャパンであった。&lt;br /&gt;
　あの沢選手の明るく堂々としたキャップテンシー。選手を鼓舞するために自ら先頭に立つ姿は、ほんとうに立派であった。やっぱり、私自身が走り回らなければ、とも思った次第。女性を鍛えることは、大変難しいという。それをやってきた佐々木監督もまたすばらしい。&lt;br /&gt;
　私は、わが村の弓道女子チームに「なでしこ泰阜」という名前を推せんし、チーム登録するが、泰阜村役場もなでしこ泰阜にしたいなあ、と思ったが、今の状態では、本家に失礼ということか。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2011-07-21T13:22:30+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2011/04/post-50a4.html">
<title>東日本大震災に深く考えさせられて</title>
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<description>　３月１１日の午後、議会の常任委員会に出席していたが、３回のゆれのあとテレビをみ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　３月１１日の午後、議会の常任委員会に出席していたが、３回のゆれのあとテレビをみた。名取市へ津波が押し寄せる映像が最初だったが、私の眼には、それはフィクション映画のように映った。それが現実の出来事である、と思えないような大災害であった。&lt;br /&gt;
　私は、身勝手な人間だということがわかったのですが、最初に思ったのは、「ああ泰阜でなくてよかった」ということでした。その後、壊滅的な被害を受けた市町村、とりわけ町、村のことを考えると、私がその町村の長だったら、どうするのだろうか、と考えさせられた。自分の能力では、町の再生ができないのではないだろうか、これが本音である。それだけに、テレビに出演する記者や評論家のようなことはいえない。&lt;br /&gt;
　今回の大震災の対応が難しく、複雑なのは、原発の破壊があったからである。福島原発が、女川のような程度だったら、原発に対する評価は、全く違ったものになったような気がする。世の中の歴史は、常に、紙一重の世界で大きく違うことを改めて痛感させられた。&lt;br /&gt;
　この大震災に関しては、村としてもその能力の範囲で支援をしていこうと考えているが、これは当たり前のことで、明日は、わが身であるということ。この小文の中では、支援うんぬんでなく、この大震災をどのように考えてこれからどんな日本を想像したらいいのか、考えたみたい。&lt;br /&gt;
　毎日、３．１１のことが書かれている新聞の中で、４月１０日付信濃毎日新聞の姜尚中（カン・サンジュン）東大大学院教授に聞く、という紙面での姜氏の言葉が印象に残った。それは、今回の震災は、戦後という時代の終わり、を現実のものにした。戦後という時代は、東京的なものを地方に増殖させることが豊かさにつながるということであり、ほとんど根拠のない科学技術へのオプティミズム（楽観主義）を、みんなが共有していた、という。広島、長崎を経験しながら、原子力の平和利用という逆立ちの論理がまかり通った。そして、東京的な豊かさを支えていたのが福島という地域社会であったことも白日の下にさらされた、という。&lt;br /&gt;
　姜氏は、だからこそ３．１１以前には戻れないと思う、と述べている。復興、復旧でなく、新生という言葉でなければならない。&lt;br /&gt;
　私は、戦後の山村の村づくりが「東京に追いつけ、追い越せ」という開発型であった。しょせん、東京なんかに追いつけるはずなどないのに、まさに東京的なものに近づくことこそが成長、発展、豊かさの享受と考えてきた。姜氏から離れるが、今回の震災でものづくりの現場で部品が供給されない事態となった。世界のトヨタのジャストイン方式、つまり、在庫を持たずに必要なものを必要な時につくる、という考え方に疑問を呈す人も現れた。&lt;br /&gt;
　いつかこの成長、発展万能主義、科学技術の進歩が自然界を制するといった考え方がつまずくのではないだろうか、と漠然と考えていた私にとって、今回の科学者の想像を超える大震災は、人間の生き方をもう一度考え直すことになるだろうとも感じていた。まさに、姜氏のいう東京的なものを地方に増殖させてきたこの流れを断ち切ることが「新生」になるのではないだろうか、と思う。&lt;br /&gt;
　東北的なものをつくりあげるには、時間がかかるだろうし、気が遠くなるのかもしれない。しかし、その東北的なものを考え、作り上げていくことに長く、長く支援していくことこそが我々にできる支援であろうと思う。&lt;br /&gt;
　そして、やはり泰阜は、泰阜的に生きる以外にない、ということ。これが、今回の震災からとりあえず学んだことである。&lt;br /&gt;
　&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2011-04-13T10:50:04+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2011/02/post-2342.html">
<title>平成名古屋の乱に思う</title>
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<description>　「乱」と呼ぼうか、「変」と呼ぼうか迷ったが、政令市の議会が住民パワーで解散させ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　「乱」と呼ぼうか、「変」と呼ぼうか迷ったが、政令市の議会が住民パワーで解散させられたのだから「乱」ということにした。２月５日、トリプル戦の前日名古屋へ行ったのだが、そこで河村、大村コンビの遊説を聞くことになった。大村候補の演説は終わり、河村候補の演説を聞いた。地方自治経営学会で河村氏の講演を聞いているが、ドラゴンズの帽子をかぶりマイクを握る河村演説は、楽しかった。&lt;br /&gt;
　私は、長く行政現場にいるので、減税は、いい政策だが、これだけ行政需要が高まっている現在では、無理で増税が必要と思っている。河村氏は、市民に向かって「税金を納めている方が苦しんで、税金で食べている方が楽しているなんて、とんでもない。根本から変えにゃいかん。名古屋市議会議員は、一人１６００万円もらっている。それに政務調査費が３００万円、これでええんか」といった調子である。私の隣にいた人も、聞いているみんなが「そうだ」という。わかりやすい主張で、みんなが議員なんてとんでもない、といった顔をしている。選挙前から大村、河村とも圧倒的優位が伝えられているが、こりゃ間違いないと思った。民主党が推す石田候補も犬山市長時代の取り組みはよく知っていて、いい候補だと思っていたが、結果的に勝負にならなかった。&lt;br /&gt;
　さて、この名古屋の乱を冷静にみたとき、私自身が学びとることがあるのだろうか。それは、きっと「庶民の心」から離れない政治をしなければということではないか、と思う。自分が立候補したとき、いまでいえばマニフェストに書いたことは、村長室から出るとか福祉バスを運行させる、役場職員や議員を表彰するような村の表彰規定を代えるといった単純なことだった。最近は、目線という言葉も使われるが、むしろ目線というより「心」、その心がどこにあるのだろうか、という感覚を忘れてはいけない、と思う。長く役所にいると、役所文化の中で生きるようになる。&lt;br /&gt;
　民主党が主張する「公務員人件費２０％削減」は、いまやるべきことだと思う。財政が破たんしているときに、まず自らの給与を減らさなくては、誰も協力してくれない。あの日本航空だってやっている。消費税も上げていいけど、その前にやることあるのじゃないの、ということである。&lt;br /&gt;
　そういう私も規定が許す範囲で、村職員の給与を抑えているが、削減まではできない。村のラスパイレス指数が長野県で下から２番目に低いというが、それは、ただの指標であって、村職員の給料表は、国家公務員のものを採用している（全国の自治体が）。その運用を少し変えているだけのこと。だから阿久根竹原前市長の主張は、それなりに説得力もあり、それをやったのだからすごいことでもある。少なくとも私ではできなかったし、できないことである。&lt;br /&gt;
　庶民の心は、その給与だけのことではない。たぶん、長や議会議員が特権階級にみえることと思う。我々にそんな気持ちはないのだが、それだけに問題だ。ポピュリズム、大衆迎合主義と訳していいのでしょうか。大衆迎合&lt;br /&gt;
政治を私も批判しているが、大衆を説得できる政治を目指さなくては、消費税アップも社会保障対策もできない。&lt;br /&gt;
　名古屋の乱の論評は、いろいろあるが、小さな村の責任者としても、多くのことを考えさせられる。&lt;br /&gt;
　河村氏の演説のなかで、永田町の新しくなった国会議員会館をベルサイユ宮殿と揶揄し、あんなところにいては何もわからん、と。私も思う。これだけ厳しい財政といいながらあの議員会館は、何だろうと。しかも、入館がさらに厳しくなって、時間ばかりかかる。庶民の心と離れたことは、実は、いっぱいあるのである。&lt;br /&gt;
　きっと泰阜村にもいっぱいあると思う。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2011-02-07T11:04:33+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2010/12/post-8c18.html">
<title>平成２２年を振り返って</title>
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<description>　今年は、年男で、還暦を迎えた一年でした。男の厄年でもあったのですが、そのせいか...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　今年は、年男で、還暦を迎えた一年でした。男の厄年でもあったのですが、そのせいか、あまりいい年ではなかったように思います。しかし、８月村長選挙もあり、当選させていただき、村の仕事では、新小学校の開校、高橋尚子さんを迎えたロードレース大会等それなりに実施できたので、一般的には、いい年でない、なんてわがまま言っていると思われるのかもしれません。&lt;br /&gt;
　「いい年でなかったような」というのは、私の思うように仕事が進まない、組織が動かないというジレンマなのです。長く村長という職にあり、６０歳を迎え、職員も私より若くなりました。思い通りになるはず、なのに。確かに、私の言うことは、よく聞いているし、予算に計上した仕事は、それなりにこなしている。言葉を換えれば、当たり前のことは、おおむねちゃんとやっている。役場の仕事は、それでいいのでは、とも思う。&lt;br /&gt;
　しかし、地盤沈下が進む過疎の山村では、それだけでは困る。予算書に載らない新たな芽出し、書類にならないけれどエネルギーを感じるような動き、そんなものを肌で感じたい。&lt;br /&gt;
　全国的に注目されるデイサービス「夢のみずうみ村」の藤原代表は、ハートフル、パワーフル、スマートフルといい、人間の温もりをもって、まず行動、そして考えろ、考えろ、考えられないのはだめ、と言います。そういうことなんだと思う。考えるより先に行動し、そして考えなければ。これが足りないのだろう。トップがこうして愚痴をこぼすのは、トップの指導力がないことを証明しているようなものですが、私も反省し、来年以降そんな力強い役所にしなければなりません。&lt;br /&gt;
　一方、役所を離れると、村民の中には、意欲的な人、グループの活躍もあります。ＮＰＯ法人ジジ王国が農村レストランをやろうと動き出しております。この農村レストラン、民宿の場所は、泰阜のいわゆる限界集落の極みで、原住民では考えられない発想です。また、ゆずチョコレートを中心に取り組むゆず姫生産組合も、法人化し、ゆずを活用した菓子づくりで成果を上げています。ガソリンスタンドを運営している地域振興センター、老舗のＮＰＯグリーンウッドも苦しいながらも前向きに取り組んでいます。高齢者協同企業組合も理想を失わず、新たな老後を追求しております。地域おこし協力隊の川上君も挑戦しています。二つの太鼓グループもがんばっていて、そのうち一つ泰阜太鼓は、１５周年記念発表会を行いました。　泰阜村消防団も若い連中ががんばっています。&lt;br /&gt;
　冒頭述べたように、私は６０歳を過ぎ、老いという事実に直面しています。塩野七生氏は、老いとは、自分が自信をもってできることを選んでいき、それ以外のものを潔く捨てていく過程と言っています。流行の言葉でいえば、&lt;br /&gt;
まさに断捨離なんでしょうか。私は、何もできないくせに未練がましい人間であることもわかりました。&lt;br /&gt;
　それでも、一年間休まず働けたことに感謝し、支えていただいた多くの皆さんにも感謝し、御用納めといたします。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2010-12-28T16:35:14+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2010/11/post-38b3.html">
<title>今年も野球シーズンが終わって</title>
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<description>　自称、野球評論家としは、やっぱり野球の感想を書こうかと。今年のプロ野球は、後半...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　自称、野球評論家としは、やっぱり野球の感想を書こうかと。今年のプロ野球は、後半、ほんとうに楽しく、おもしろかった。その大きな原因は、セリーグ巨人が、夏以降急降下したからである。シーズン当初は、やっぱり巨人か、であった。もともと巨人ファンであるが、ＦＡ制度以降、もっとも選手補強をしたのが巨人であり、生え抜きを使わないチームに愛想を尽かしたという感じである。ようやく生え抜きも見られるようになったが。その巨人が優勝できない姿を見て、その原因は、何であろうかと考えることも楽しい。それにしても、落合中日が、その戦いスタイルを変えず、最終的に優勝したこともすごいことであった。私は、落合監督の談話を聞くのを楽しみに、中日をみている。一方、パリーグは、ほぼ優勝間違いないと思われた西武が、リーグ優勝目前に連敗、またＣＳでも、終盤にロッテにやられた。リーグ線のソフトバンク戦、あと一勝でというところの大事な場面で、打たれる姿は、日本シリーズの中日とダブってみえた。いままでなら結果論で、いろいろ言ってみたいのだが、西武の終盤の試合と日本シリーズは、これが勝負なのだ、と素直に思った。浅尾を代えておけば、とか、河原を早く交代させれば、なんて評論することは、失礼だと思うような試合でほんとうに感動した。&lt;br /&gt;
　職員によく野球の話をする。我々の仕事も結果論で評価されるが、どのような結果でも、あそこまでやってくれれば、というような仕事をしたいものだ。しかし、落合監督がいうように、負けたということは、何かが足りなかったということ。それを見極め、乗り越えなければ、と。我々もきっとそうなのだろう。ここまでやれば、だけでは、やはりいけない。結果として、成果を納めなければ。&lt;br /&gt;
　公務員は、この一球がはずれたら負ける、というような場面で仕事をすることがあるのだろうか。それは、公務員ではなく、政治家、つまり、村でいえば、村長の仕事で、方針が決まったら全力を尽くすということなのだろうか。&lt;br /&gt;
　佐久市で市民会館の建設をめぐって住民投票が始まった。政治判断をするときに、住民の真意を尋ねるという意味では、一つの手法だと思う。いまひとつの手法としては、議会議員の判断を出してもらう、ということがあるのではないだろうか。私は、市町村合併の時に、アンケートもやらない、これは、住民に判断させるには、あまりに情報不足であり無理だと考えたからで、私の方針は決めたので、あとは議会の結論をほしい、といった。その議会では、せめて一度アンケートをという意見があり、結局実施したことがあった。&lt;br /&gt;
　野球の話からそれたが、この終盤のプロ野球を見ながら、村長も議員も、そして公務員も、一球はずれたら負ける、打てば勝てる、そんな場面で全力をつくすことこそ使命ではないのか、と思った。&lt;br /&gt;
　最後に、西武が負けたのは、デーブ大久保を解任したからではと思っていた。菊池雄星選手の練習態度が悪く、気合いをいれたようだが、コーチの言い分よりスター選手をかばう球団の姿勢を、私は感じた。エコひいきといわれそうだが。これについては、裁判になっているのでその結論を待つことにしよう。&lt;br /&gt;
　そのおかげで、わが泰阜村の野球教室、大会は盛大にできてうれしかった。たかが野球だけれど、野球から学ぶことも多い。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2010-11-11T15:41:04+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2010/10/post-f9c4.html">
<title>政治家の言葉から考える</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2010/10/post-f9c4.html</link>
<description>　１０月２６日付の朝日新聞朝刊に、鳩山前首相の次期衆議院選挙出馬を辞める辞めない...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　１０月２６日付の朝日新聞朝刊に、鳩山前首相の次期衆議院選挙出馬を辞める辞めない発言に関し、かなり強烈な批判が載っている。総理大臣を辞める時、小沢さんを道連れにしたし、次期衆議院選挙にも出ない、と言い、政治家の引き際としては潔いと感じた。私同様、総理大臣としての仕事ぶりは別にして、引き際としては、立派と感じた人も多かったと思う。この鳩山さんがおかしくなってきたのは、今回（管と小沢の争い）の民主党代表選あたりからだった。道づれで小沢幹事長を引きずり降ろしたものの、代表選に出るといった小沢さんを支持するのは、理解できた。小沢あっての鳩山総理誕生であり、その恩義を感じているという気持ちのことである。そのうち小沢、管の調整役を果たそうとしたのだろうか。私には、伝書鳩のように見えたが、たぶん、あっちへ行き話を聞いてもっともと思い、こっちへ来て話を聞いてもっともと思い、考えているうちに、小沢対管の対立（？）というか、対決は、避けられなくなった。調整というより、火に油を注いだようなものだったのではないか。&lt;br /&gt;
　次に、今回の次期衆議院選挙への出馬である。まだ、やらねばならないことがあるという。それは、あるだろうけれど、あのとき辞めると言ったのは、一体何だったのか、ということになる。人間だから間違えたり、決意を変えることはたくさんある。私は、そういう朝令暮改的な人間が、人間らしくて好きである。それにしてもと思う。&lt;br /&gt;
　東京大学理学部で学び民主党の代表として君臨し、政権交代を果たし、圧倒的多数の国民の期待を受けて、総理大臣に就任した。その立場でできなかったことが、一政治家としてできるのだろうか、これが率直な疑問である。普天間の問題だって、もう一度日米安保条約を見直し、新たに日本の防衛を考えるといえば、できたのに、と思う。これは、政権交代したからできること。公務員給与のカットにしても、政権交代したときならできたのではないか。どうせ辞めるなら、鹿児島県阿久根市の竹原市長くらいやって、やめてほしかったと思っている国民も多いはずである。批判ばかりでなく、同情していえば、きっと性格がやさしい、うんと人のいい人なんだろうと思う。&lt;br /&gt;
　では、翻って自分はどうか。鳩山さんを批判する資格はなさそうである。４年前の村長選挙のとき、これが最後の４年といったが、結局それは反故にして５期目の今日を迎えている。先輩から、「政治家は、出処進退について先のことを語るな」とよく注意されていたにもかかわらず、その時の感情でしゃべってしまう。これがよくない。政策的なことでも、わかるまで説明しようと思ってしゃべる。多く言葉を使えば、使うほど、墓穴を掘る。決断は、黙って実行することが大切である。隣の村長に、公務員出身の町村長は、まず議論ばかりで結論出すまで時間がかかる。それでも結論が出ればいいが、議論するだけで時間の無駄だ、ということを言われるが、あながち外れていないように思う。&lt;br /&gt;
　鳩山さんが批判された新聞記事を読みながら、政治家の言葉は、大切であることと、しゃべっていいことと悪いことの区別をつけなければと。還暦を迎えても、イラ管ならぬイラ松で、一言言わないと納まらない性格も改善する努力をしなければとも感じている。悪気のない、優しい鳩山さんが総理大臣であるような国であってほしいと思うのだが、この難局、誰が総理大臣でもそう簡単に舵をきれるものでない。&lt;br /&gt;
　私は、村の仕事に関し、村長辞めてから回顧はいいが、いろいろ言うのだけはやめようといまから言い聞かせている。村長のときにやってできないことが辞めてからできるはずがないからである。それは、実行する力がなかっただけのことで、力の無さを内外に知らしめているだけになる。だから、管首相も阿部知事も私もやりたいと思ったことは、いまやる以外にない。片山総務大臣も、知事を辞めてからテレビでかなりのことを言ってきた。だから大変だと思う。政治家は、やはり今やろうとしているそのことだけを言えばいいのだろう、そうすれば具体的であるし、相手にも届くと思うのだが。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2010-10-26T15:00:26+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2010/09/post-8617.html">
<title>鈴木宗男を考える</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2010/09/post-8617.html</link>
<description>　最高裁判所の上告棄却が確定し、鈴木宗男代議士の刑が確定し、収監されることになっ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　最高裁判所の上告棄却が確定し、鈴木宗男代議士の刑が確定し、収監されることになった。異議申し立てをするというがこの判決は覆ることはないと思う。受託収賄などの刑だが、最高裁判所まで審議されての結論なのでその通りなんだろうと思う。しかし、この件に関しては、鈴木氏に同情している私が存在している。&lt;br /&gt;
　私は、役場職員、そのあと村長として４０年以上、行政にかかわり、地方政治をみてきた。国会議員を通じ、霞が関にも陳情にいった。そして、貧しい山村に生きてきた。「利益誘導」という言葉があるが、政治家が地元へ一円でも多くの補助金や一つでも多くの事業をとってくる、というのは、当たり前の政治活動だと、考えてきた。「この道路は、私がやった」というような話に対し、うちの家内は「自分のお金じゃなく税金なのに、自分のお金でやったように言うのはおかしい」という。全くその通りであるが、政治家にしてみれば、自分のためではなく、地域の要望に対し、他の政治家との戦いの中で、わが選挙区へ補助金を持ってきたのだから、そう言うのも、私は理解できるのである。&lt;br /&gt;
　田中康夫元長野県知事が誕生し、県会議員や市町村長の口利きや働きかけを廃止する、という方針にした。それがあった場合は、報告するよう義務付けた。それでほとんど無くなったようだ。ここでも「しかし」なのだが、私は、わが村の主要地方道飯田富山佐久間線の改良促進という働きかけがあった、と報告してほしいと言った。泰阜村の村民で県職員試験の一次に合格すれば、二次試験はよろしく、と村長から働きかけがあったと言ってほしいと。それもできないようでは、というか、しないようでは政治家ではないのでは、という思いを今でも持っている。&lt;br /&gt;
　北海道開発庁も沖縄開発庁も、早い話地域振興のための公共事業をいかにたくさん確保するか、これが地元選出代議士の大きな仕事であったし、今もそうであろうと推測している。その仕事を、地元の業者にやってもらう。設計価格で地元の業者が仕事を分け合うことを談合といって批判することは簡単だが、地域におけるワークシェアリングまで排除されるのだろうか。こういったことまで否定されているような気がしてならない。&lt;br /&gt;
　政治家のクリーンさ、というのは、何をもって判断されるのであろうか。私など、クリーンといわれなくても何とも思わない。一円でも補助金を多くもらえるならば、出来ることはなんでもやろう、と考えている。そんな意味でいえば、どろどろした政治の世界で生きているし、そういうものだと思っている。&lt;br /&gt;
　鈴木宗男氏は、北海道の振興のために、骨を折ったと思う。ただ、官僚を脅かしたり、政治資金としての正規の方法でなくお金を要求したり、もらったとすれば、それは間違いであったということ。&lt;br /&gt;
　最近の事業仕訳けで、カッコよく官僚や公務員を攻めている代議士より、地元のために、補助金を一円でも多くといって、省庁を頼み歩く政治家の方が、私は政治家らしいと思う。もしそれを「利益誘導型」の古い政治家という一言で片づける時代になったとしたら、私自身も古い政治家なのだと思わざるをえない。&lt;br /&gt;
　ただ、利益誘導あってこその政治といっても、その利益は、自分のための私利私欲ではない。ここがいい政治家と悪い政治家の分かれ目であることは間違いない。鈴木宗男氏があのように強く出て、あたかも脅かしているような手法をとったのは、ほんとうは弱い人間だったのだろうと思う。この下伊那郡の大先輩県会議員に、今は亡き松下逸雄氏がいた。下伊那の山村で育ち、村長になって、県庁へ行ったが、相手にされなかったという。そんな県庁をいつか見返してやる、と思い続け県会議員になり、たまに県の部長たちを怒鳴りつける姿をみた。鈴木宗男氏と重なるのだが、警察のお世話になったことはなく、私利私欲もなかった立派な松下先生に失礼だろうか。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2010-09-09T16:50:29+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2010/08/post-259f.html">
<title>参議院・県知事・県議補選そして泰阜村長選挙</title>
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<description>　７月１１日から８月８日までの間に、参議院、長野県知事、長野県議会議員下伊那選挙...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　７月１１日から８月８日までの間に、参議院、長野県知事、長野県議会議員下伊那選挙区の補欠選挙、そして泰阜村長選挙が実施された。選挙は、民主主義の原点といっても、これだけ多いと大変。というのは、期日前投票という制度になり、ずっと投票所を開いている。田舎の村にとって、これほどの無駄はない、と思うのだが、国が決めたことはやらなければいけない。投票率７０％を超えている自治体には、選択権を与えて、期日や時間を自由に設定できるようにしてくれれば、経費節減につながると思うのだが。政権与党も代表選挙にばかり熱中せず、少しは現場のことも考えて政治をやってほしい。&lt;br /&gt;
　さて、参議院選挙では、管内閣で過半数をとれる、というはずが、うまくいかなかった。消費税発言が影響したと個人的には思うのだが、各種評論を読んでいると、消費税だけでなく、政治と金の問題や鳩山内閣、つまり民主党政権の不安定さなど、複合的な要因らしい。政権交代一年で結果を出すのは、無理でもう少し長い目で見ることはできないのかなあ、と感じているが国民の選択だから冷静に受け止めることにしよう。&lt;br /&gt;
　長野県知事選挙は、政党で色分けされることになり、我々も難しいことになった。長野県民としていえば、政党対決などということではなかったはず。国会議員が応援に来るような選挙になってしまって、何か違うなあ、という感じを持った人が多かったのでは、と思う。私の思い過ごしであればいいのだが。南北に長い長野県は、それぞれの地域にそれぞれの課題があり、民主党だからいいとか自民党だからいい、という話ではない。また、田中、反田中といった話もでるが、世の中の動きをみていると、田中時代がよくて、そのあとが悪いとか、田中時代が飛んでもない県政で、そこへ戻っては困るなどといった見方は古く、もう時計の針が戻るようなことはない。つまり、新たな県政は、県民こそが作り上げていく、ということではないのか。選ばれた阿部知事を中心としてみんなでいい長野県にしなければということ、それが大事だと思う。&lt;br /&gt;
　県議補選は、下伊那の事情があって、下伊那南部から候補者を出したい、これが私ら南部住民の意思であった。そのため、私の名前なども上がったのだが、気持ちとしては誰か南部から、これはいまでも変わらない。故佐藤県議の後継者として川久保君が出たので応援したが、残念ながら吉川候補に一位を譲った。地元から生え抜きを、という点でいえば、吉川候補に一日の長があった。吉川県議には、下伊那のためにがんばってほしい。&lt;br /&gt;
　そして泰阜村長選挙。これは、私が県議補選うんぬんということもあって、態度表明が遅れたため、新人が出るタイミングを失ったのかもしれない。私の後援者は、松島が出ても出なくても、新人は腰を切らなくては、という。現実に選挙をやる候補にとっては、無投票の方がいい、これが本音であるが。ともかく、無投票で５回目の当選をさせていただいた。今回は、もう少し頑張れという声が多く、中には、絶対出なければいかん、と何回も声をかけてくれた人もいた。その意味では、無投票の中でも、今回が一番安定した選挙であったように思う。選挙の安定とその後の村政の安定とは関係ないが、ここが苦しいところである。期待されても期待に応えられないのでは、という不安が大きい。また、長くやっているのでマンネリ化も怖い。今回の選挙でも改めて感じたが、村民は、直接選ぶという点で「村長」は、俺たちの仲間。しかし、職員は、違う、ということ。そこで、初登庁で職員に「私は、職員の代表でなく、村民に選ばれたリーダーである」という言い方をあえてした。つまり、村長と職員の会話は、単に組織の長と社員の話でなく、村民の代表であるものの声、という聞き方を職員はしなければいけない。このことをを職員にわからせないと、あれは村長が言っていること、俺はそうは考えない、といった職員が現れる。そんな職員が肩で風を切って歩くようになると、あれじゃ村長もだめだ、となる。そして、住民との信頼関係を失っていく。&lt;br /&gt;
　それにしてもリーダー受難の時代である。発言などぶれてこそ人間らしいと思うのだが、説明すればするほどぶれると言って批判される。かといって、鳩山さんのようにすばらしい理想をしゃべっていても、現実の政策が動かなければ政治とはいえない。しかし、一つの新たな政策を実行することがいかに大変か、だからこそ長い目でみてほしい、これが政治家のもっとも言いたいことではないのだろうか。私も１６年間という時間を与えてくれた村民のみなさんのおかげで少しは村長という職にもなじんできたように思う。&lt;br /&gt;
　選挙は、終わったのでどうか長く冷静な見方をしてほしい、そして判断してほしいものだ。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2010-08-19T17:44:06+09:00</dc:date>
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<title>普天間基地の問題に思う</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2010/06/post-caea.html</link>
<description>　鳩山首相が辞任を発表し、鳩山内閣が総辞職した。首相と村長を同じに考えては、総理...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　鳩山首相が辞任を発表し、鳩山内閣が総辞職した。首相と村長を同じに考えては、総理大臣に失礼ではあるが、鳩山首相には同情している。まじめに一生懸命やろうとして、低姿勢に訴えれば訴えるほどリーダーシップがないようなことを言われてしまって、と。この退陣には、いくつかの理由があると思うが、最終的に普天間基地の移設問題が決定打になったと思う。確かに、抑止力をいまさら認識したとするなら、国会議員として防衛問題をどう考えてきたのだろうか、と考えてしまいますが。&lt;br /&gt;
　さて、１９６０年６月１５日は、安保反対デモの中で、樺美智子さんが亡くなった日でもある。１９５０年生まれの私は、その出来事が記憶にないが、１９７０年安保は、学生運動と重なり、私どもの青春時代である。樺美智子さんのこともその頃に強烈な物語として知ることになった。日本は、敗戦とともに戦争放棄を掲げ、戦力は持たない憲法を制定した。その後、安保条約、自衛隊の設置、ＰＫＯ，ＰＫＦなど、その変化は説明する要もない。&lt;br /&gt;
　普天間基地の議論の中で、改めて日本の防衛ということに対して、軽薄な議論しかされていないことに気づかされた。普天間の移設結論を５月までに出すといったのに出さない首相にリーダーシップがない。最低でも県外と言っておきながら、結局沖縄ではないか、約束を守れない首相。これらの指摘は、鳩山首相の言動という面では、その通りであるが、その議論の中になぜ沖縄を中心としてアメリカ軍の基地があるのか、そして、それが必要なのか、という話は、ほとんど聞こえてこなかった。もちろん国会でも少しは取り上げられていたが。&lt;br /&gt;
　私も冷静な識者の意見を新聞で読みながら考えさせられた。５兆円ものお金を使って、自衛力（戦力）を保持している我が国。その防衛力は、どのくらいのものなのか。すなわち、どのくらいの攻撃に耐えられるのか。現在の戦争を想定したときに、どの部分を安保条約に基づくアメリカ軍の戦力の応援を得なければならないのか、わからない。沖縄の米軍は、日本を守るためでなく、極東を抑えるために配置されているとしたら、それは「困る」沖縄以外を使ってくれ、と言えるのかもしれない。それすらわからない。&lt;br /&gt;
　どこの国でも、自分の国を守る気持ち（愛国心という中に含まれるのだろうか）は強い。攻められれば戦う以外にない。日本は、徴兵制もない。だから、自衛隊とアメリカ軍が守ることになるのだが、どのくらいの力があるのかわからなくていいのだろうか。&lt;br /&gt;
　憲法の精神は、非武装中立だ。護憲党の社会党は、村山政権、鳩山政権で組めるはずがない政権党と組んで社会党を破壊してしまった。私も自治労運動を通じ、非武装中立を支持してきた。これは、攻められたら自決するという覚悟で国家を維持するということになる。社会党は、そういわなければいけないと思うのだが。&lt;br /&gt;
　しかし現実の問題として、自衛隊と安保で守る日本を認めるなら、その戦力を分析し、だから「基地」をここにお願いしたい。その負担を受けてもらう代わりに、他の国民は何をするのか、そこの議論から始めたいものである。&lt;br /&gt;
　これを原点から考える、というのではないだろうか。いまの政治にもっとも足りないのが、こういった議論であることは現場で行政に携わっている人は、みな考えているはずだ。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2010-06-17T09:38:35+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2010/04/post-52ba.html">
<title>市町村合併の強力な推進の法律が終わって</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2010/04/post-52ba.html</link>
<description>　平成の大合併を推進してきた合併特例法、そのあと５年継続された推進のための特例法...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　平成の大合併を推進してきた合併特例法、そのあと５年継続された推進のための特例法も平成２２年３月３１日で期限切れとなった。当初、進まないと言われた平成の合併も終わってみれば、市町村数は、１７２７（平成２２年４月１日現在）に。３２００もあった市町村が１７２７になり、村の無い「県」が１３県になったのだから、総括としては、大成功といえるのではないだろうか。合併は、究極の行政改革といわれており、議員や職員数が大幅に減少し、あと５年後以降、交付税の算定替え特例が終われば地方財政にかかる経費は、減少するものと思う。その意味でも成功という見方ができる。&lt;br /&gt;
　泰阜村は、人口１９００人のまま、村として残ったが、冷静に市町村合併を考えると、障害除去だけの支援を受けながら、これから合併を考えてこそほんとうの合併といえるのではないだろうか、と思う。合併がいいとか悪いのでなく、あまりに短期間に、住民が冷静に考える余裕のないまま合併という道を選択したところが多かったのではないのだろうか。その点、飯田下伊那地域のように、広域連合による広域行政、機能分担をめざす定住自立圏による中心市との協定などで地域全体のことを考えた連携を模索しながら、次の時代をみすえる中で、広域行政でいいのか、一つの自治体がいいのか、苦しみながら結論を出すようなことが理想なのでは、と考える。&lt;br /&gt;
　今日（１６日）の朝日新聞が、主に、政令指定都市になった相模原市における土地利用計画の線引きの問題点を取り上げていて興味深く読んだ。土地利用計画で市街化区域になると都市計画税が課税されると同時に農地の固定資産税も上がり、新聞では、農地が２４６倍の税金になるところが出るという。住民の反対があって、線引き作業が進まないのだそうだ。政令指定都市は、権限も県並みで、いいことばかりだと思ったら田んぼや畑や山に囲まれた政令指定都市は、それなりに大変だということらしい。相模原市が目に付いたのは、神奈川県の津久井郡の中に藤野町があって、そこも相模原に合併したのだが、藤野町で合併に疑問を持つみなさんに招かれ少ししゃべったことがあるからです。私は、神奈川県にこんな山の町があるのか、と驚いたことを思い出す。そこが相模原市となり、政令指定都市となった。長野県の隣が、政令指定都市浜松の天竜区になったが、同じようなケース。泰阜の隣が天龍村、その隣が静岡県でそこは政令指定都市。かつての水窪町や佐久間町、龍山村などを知っている者としては、名古屋や横浜と同じといわれても、そうですか、としか言葉が出てきません。それでも、財力のある都市の傘下に入ることで、行政運営は、楽になるのだろうという思いも強くある。自治体には、財政力で解決できる課題もたくさんあるので、政令市に吸収されるようなケースは、いいのでは、これが感想でした。それだけに、この土地利用に関する線引き作業という話は、こんな課題もあるのだ、と驚いたのです。&lt;br /&gt;
　つまるところ、平成の合併は、いいとか悪いのでなく、予想もできないような形になったということで、現行法の中で解決できないことが起こった。結果として、誰が困ったのか、そこに住む、暮らす住民である、ということになり、それが一番の問題だ。最近の日本の政治をみて思うのだが、議論は、空中戦、現場をわからない人の議論としか思えない。やはり、政治を考えるベクトルは、まず住民があって、市町村があって、県、国という動きでないと国があって、県があって、市町村があって、最後に住民では、法律や制度だけが重要視され、人間が無視されているように思う。&lt;br /&gt;
　いったん、合併も一区切り。だったら、相模原の例ではないが、法律より先に合併した地域、とくに周辺部の住民の暮らしを見つめて、この時代にあった「政令都市法」をつくるような地道な作業をすべきではないだろうか。&lt;br /&gt;
　こういうことを「コンクリートから人へ」というのだと、私は思う。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2010-04-16T12:03:30+09:00</dc:date>
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<title>横綱朝青龍の引退に思う</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2010/02/post-0d8f.html</link>
<description>　貴乃花理事当選の中でも、封建的な相撲協会の改革、日本の文化としての相撲道の躍進...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　貴乃花理事当選の中でも、封建的な相撲協会の改革、日本の文化としての相撲道の躍進などに期待している趣旨を述べましたが、相撲道に関していえば、それは、朝青龍の存在を意識してのことです。高砂親方の指導力不足、つまり師匠と呼べない親方であることは、衆目の一致するところのようですが、その親方が会見で「朝青龍。そのまんま・・」と述べている。数々の問題行動も、まさに朝青龍らしい、ということで、それは、子供のときも、日本へきてからも、関取になっても、横綱になっても、そのらしさを失わなかったということでもあります。&lt;br /&gt;
　私は、村長に当選したとき、庶民のまま、このままの村長でいよう、と思いました。いまでも軽トラックで通勤していますが、いまでこそみんな当たり前だが、就任当初のころは、村長が軽トラックでは、という声も聞いた。集落へいけば、一区民で、区長のもとで与えられた役割を果たす。家では、わずかの水田を耕す。風呂の薪もつくった。つまり、村長という肩書に、自分を合わせることはやめよう、と考えてきました。そう考えると、朝青龍も横綱という肩書でなく、自らを「いままでにないタイプ」と称しているところをみると、自らのスタイルで戦ってきた、という自負があるようだ。これがいいのかどうか、ということになります。&lt;br /&gt;
　日本の伝統文化は、神に通じ、そこには、人間の奢りを超えた敬虔な思想がある。それを作り上げたきた日本人の心こそ、日本という国の礎ではないだろうか。私は、弓道をライフワークとしているが、弓矢は、狩猟道具から、戦の武器になり、鉄砲の出現でその役割は消えた。しかし、武器としてではなく、人間修養の道として発展させてきた。実は、武器の時代でも、それが仁の道であるという考え方があったのですが。そして弓道も経験を積めば積むほど問題にされるのが、射品、射格、これに人格を加え、品格が問題とされます。これは、弓だけではなく、柔道、剣道、その他武道も同じです。相撲もまさに、そうであると思います。&lt;br /&gt;
　武道では、勝負に勝っても、敗者にも気を配り、まずは、試合をさせていただいたことに感謝し礼をします。相撲も勝ち名乗りを受けて、互いに礼をします。その前に「ガッツポーズ」をすることは、礼を失していることになります。朝青龍が懸賞金を受け取るとき、いただく、という感謝の念はなく、自分の分け前をわしづかみにする、というようにみえます。つまり、内館牧子さんが言っているように、日本の文化に守られた伝統の相撲道で、一時代を築き、財をなしたのだから、その文化を守り、その心を理解すべきです。それが理解できなかった。それは、そのまんま横綱になったという問題とは、違います。相撲界の最高位についた横綱は、相撲道が守ろうとしてきたものは何か、なぜ、礼を大切にするのか、そのくらいのことは考える必要があります。わからなければ、教える人がいります。教えてもだめなら、やめる以外にありません。今回の朝青龍の引退（事実上の解雇）は、同情の余地がありません。&lt;br /&gt;
村長の仕事は、公共の福祉に資する、いってみれば、住民の幸せのために骨を折ることです。雪が降りました。職員に「自分の家の雪かきは、あとになっても、まず住民生活に支障があるなら、その除去のために動くことが先。公務員の仕事は、滅私奉公といわれる。まさに、私を捨てなければならない」といった話をした。私も村長としての品格もなく、そのまんま村長をやっていますが、自分のことではなく、住民サービスこそが行政の仕事、という考え方だけは、いつも確認しそれを成長させなければ、それくらいのことは考えています。&lt;br /&gt;
　朝青龍のあの戦いぶりをみていると、格闘技に向いています。ルールのしばりがない格闘技で、相手が倒れてもさらに攻撃したり、派手なガッツポーズをやってくれればいいのです。モンゴルへ帰り、銀行の頭取でもいいのでしょうか。しかし、相撲道に身を置いた人間として、相手を思いやる心や礼を大切にする行動をしてほしい、それがないとしたら、相撲に強かっただけで、相撲から何も学ばなかったことになります。&lt;br /&gt;
　さて、ヒール役がいなくなり、相撲人気が落ちる懸念がされています。落ちていいと思っています。これからが貴乃花をはじめ、若い親方衆が結束して、ほんとうに魅力ある相撲界にしてほしいと思う。弓道では、「人に感動を与える射」を理想としています。弓を引いてきて離すだけのことで、感動を与えることができるだろうか、それでもそれを求められます。私の腕では、一生そんな弓は引けないと思いますが、目標はそこです。相撲も時間をかけて、ほんとうに我々が感動するような取り組みを実現してほしいと思います。朝青龍を引き合いに出しての人気保持は、いまの政治にように、支持率やマスコミ論評だけに振り回される軽薄なものです。政治も相撲も、世の中全体も、もっと深いところで感動し、感激し、心から拍手を送るようなそんな本物の価値を探したいと思いながら新聞を読みました。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2010-02-05T10:25:05+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2010/02/post-458e.html">
<title>貴乃花親方理事に当選！これからどうなる？</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2010/02/post-458e.html</link>
<description>　持ち票７票と言われた貴乃花親方が１０票獲得し、理事に当選した。封建的な相撲協会...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　持ち票７票と言われた貴乃花親方が１０票獲得し、理事に当選した。封建的な相撲協会に、一石を投じて、破門されても理事に立候補した親方が当選したことに心から敬意を表したい。無記名投票になったという選挙方法も追い風だったかもしれないが、何より、相撲協会がこのままではいけない、と考えていた関係者がいたということもわかってさわやかな気分になった。さて、これからどうなるのだろうか。過去の事例を参考にすれば、破門されたり、無理に理事になった人は、閑職に追いやられるということらしい。理事会では、たぶん、貴乃花は、孤立するだろうし、その主張は、取り上げられないと思う。名古屋の河村市長はじめ、住民から選ばれたトップでも、反対派が多数を占める議会を相手に悪戦苦闘している事例は事欠かない。住民から選ばれたトップでもそのような状況になるのだから、封建的な相撲協会の理事会は、大方想像できる。しかも、理事長が貴乃花の行動をかなり批判しており、貴乃花も思ったようなことはできないと思われる。&lt;br /&gt;
　私は、謀反は、成功してこそ価値があると思っているが、しかし、成功しなくても、自らが一石を投じなければならないときに、結果を顧みず行動するという情熱、若さも高く評価したい。そう考えれば、これは、一門から破門されても立候補したということで第一段階は成功。次に、当選できないと見られていた理事に当選したことで第二段階成功。あとは、理事会でどんな行動がとれるかどうか。&lt;br /&gt;
　財団法人でもある相撲協会だから、理事会は、当然公開されるべきだと思う。もしかしたら、いままでも公開されていたのかもしれない。ただ、どうせ大した議論もされない、と思ってきたので興味がなかっただけでもある。しかし、この騒動を機に、理事会議論が情報として流れ、貴乃花理事の発言がマスコミ等で報道されれば、いいのでは、と考える。もともと利権渦巻く相撲興行の歴史があり、それをすべて否定するつもりもないが、一方で、日本社会は、相撲も武道もその倫理性を大事にし、その徳育的効果を大事に育ててきた。だから相撲道という言い方もされる。柔道、剣道、弓道みんな競技でありながら、勝ち負けだけがすべてではない、その取り組みの中で、仁、義、礼、智、信といった人間としての修養を最高目標に掲げてきたと思う。その相撲道を青少年に広め、相撲を日本文化の原点として考えられるような地道な取り組みをしていく必要があると思う。私のような素人でもそう思う。それだけに、横綱朝青龍のような行動は、とても相撲道から外れていると思わざるをえない。貴乃花親方の意見は、聞いたこともないし、どう考えているか分からない。しかし、私の思うことと、そう違わないのではと考えている。他の親方、理事もそんなことはわかっている、というかもしれない。&lt;br /&gt;
　今、我々の社会で一番困るのは、わかっている、といって何もしない人たちではないだろうか。相撲協会もこれだけの問題を持ちながら、何ら変わっていくように見えない、ここに怒りを感じたのが貴乃花と思いたい。&lt;br /&gt;
　昨日、民法の報道番組をみていたら、相撲日本一を目指してがんばっている女子高校生二人が紹介されていた。そんな皆さんかた期待されて相撲協会になってほしいものだ。&lt;br /&gt;
　たぶん、閑職に追いやられ、力も発揮できないと思うが、世論が味方すれば、また違うのかもしれない。年功序列で、相撲が強くて年寄株を持った人でなければ幹部になれない組織、そんな封建的な組織でも、なんとかしたいという若き理事の誕生に拍手を送りながらこれからも応援したい。&lt;br /&gt;
　旧態依然とした泰阜村役場も相撲協会になっているのかもしれない。貴乃花理事のことより、わが足元を見つめなおさねばと思いながら・・・・。役場より、自分自身は、朝青龍を批判できるような人間だろうか、とも・・・。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2010-02-01T16:03:16+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2010/01/post-0867.html">
<title>貴乃花親方の相撲協会理事選立候補</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2010/01/post-0867.html</link>
<description>　平成２２年も２０日以上過ぎてしまいました。うちの役場職員が乗ったあとの公用車を...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　平成２２年も２０日以上過ぎてしまいました。うちの役場職員が乗ったあとの公用車をみると、ラジオの選局は、ほとんどFMになっている。FMでもニュースは、やっているのだろうが、その選局から、およそ世の時事問題を積極的に聞こうという感じは受け取れない。朝、新聞を読んでくる職員も限られているのだろうと思う。それは、自分の若い時を思い出しても同じであるからよくわかる。それでも、たまに言う「噂話に花を咲かせていないで、世の中の動きに目を凝らし、世の不条理に憤りを感じるような」生き方をするのが公務員ではないかと。朝礼という行事をやっていて、私がいるときは、私がしゃべる。各担当の日程を聞くだけのときもあるが、感じたままのことをいうときもある。長くやっているので、職員も村長が触れることの予測をしているのかもしれないが、その予測がはずれてこそ、私の価値があるものと思っている。&lt;br /&gt;
　さて、前置きが長くなったが、相撲協会の理事選挙に貴乃花親方が、二所一門を離れても立候補する、という報道があった（貴乃花は、宮沢りえと別れたので快く思っていなかった）。この話題を朝礼で話した。ほとんどの人は、何のことかわからなかったと思のだが、相撲のことが少しわかっている人なら注目すべき話題である。相撲界と聞いて、何を連想するか、「封建的」。封建的というのは、決して悪いことばかりでなく、日本という国の社会常識の基本は、封建的で、だからこそ秩序ある社会が保たれてきたと考えている。自由をはき違え、自分勝手なことを許し、自主性と称し、子供たちに勝手なことをやらせるような社会の方がおかしいと思う。しかし、相撲界の封建的なイメージは、善は善なのだろうけれど、どう考えても旧態依然とした体質から脱却しなければいけない時期なのに、なにも改革できないではないか、ということになる。理事の改選といっても、各一門から順番で選ばれた理事候補が、選挙にならないように調整され、当選していく。横綱朝青龍に、注文付けるのは、内館牧子さんだけ。私がみてもあの懸賞金の受け取り方、にらみ合う態度、土俵を割った力士を突き飛ばす、これも朝礼で話したが「ガッツポーズ」など、注意すべきことはたくさんある。理事長は、親方に多少いうだけ。高砂親方は、顔つきどおりやさしいようで、横綱に何も言えない。巡業で力士が稽古しないという、嘆くだけで稽古するようになったという話は聞かない。本場所では、手に汗握るような取り組みはほとんどない。このような姿をみていると、相撲協会は、永遠に改革できない、と思ってしまうが、その時に「貴乃花」が二所一門を離れても理事選挙に立候補するという。波風を立てずに、順番を待っていた理事候補は、困ったと思う。ということで、貴乃花のその意気込みは、たいしたものだ、２月１日の選挙を注目している、というのが、私の話であった。&lt;br /&gt;
　２月１日にもう一度話をしたいと思っている。ここでは、先にその話を書いてみたい。貴乃花に拍手を送る人は、多いと思う。では、立候補だけでいいのか、ということである。今回の貴乃花の行動は、いまのままの相撲協会では、だめだ。改革すべきことが多い（これについて、ある新聞が、どのように改革するのか、述べられていない、と書いたが、そういわれれば、目指す方向は、我々にはわからない）、そのために私は、理事に立候補する、ということだ。ここで「謀反は、成功しなければ意味がない」ということをどう考えるか、だと思う。相撲協会の改革が目的だとしたら、それを実現させなければならない。いまのところ、行動をともにする６人の親方に、自分を入れて７票というから、当選ラインに達しない。そもそも親方だけが選挙するというこの仕組みだっておかしいのだが。当選しない場合、もしくは、当選しても理事会決定は、多数決だから、貴乃花の意見は、ことごとく葬り去られるのかもしれない。となると、貴乃花の行動は、一石を投じた、波紋を広げた、ということで終わってしまうのかもしれない。&lt;br /&gt;
　しばらく前に、自民党加藤鉱一議員が「加藤の乱」と称して、政界再編のために自民党を出るといった（？）ようなことがあったが止められて実現しなかった。泣いたようだが、泣いて終わるというのは、とても謀反とはいえない。これを思うと、二所一門から破門されても出る、という貴乃花の態度は、立派であると思う。&lt;br /&gt;
　この件に関し、理事長（元三重の海）が、貴乃花の行動を批判したというが、貴乃花の意見も聞き、改革も前進させよう、といって、二所一門をまとめたといえば、理事長として立派だが、協会の代表が、理事の選挙に立候補しようとする人間を批判し、昔の一門制度を死守しようとする態度が大問題であることがわからないようで困ったものである。&lt;br /&gt;
　さて、私は、思う。人間は、一石を投じなければならない、ときもある。謀反を起こさなければならないときもある。しかし、謀反は、成功しなければ、反乱軍として鎮圧されてしまう。親方の中に「あと４～５年もすれば貴乃花の時代が来るのに、バカなことをいましなくても」という声もあるようだ。それも事実だろうと思う。それでも、ここで行動を起こさなければ、と考えて立ち上がる人間に魅力を感じる。自分では、出来ない、と思えばこそ、余計その若い心意気をうらやましく思う。みなさんはどう思うのでしょうか。成功しないような謀反は、やめて、時期を待つべきか、たとえ、成功しなくても自分の意思どおりやってみよ、もっといえば、自分が貴乃花だったらどうするでしょうか。２月１日を注目したいと思います。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2010-01-21T11:37:09+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.st203.net/soncho/2009/11/post-feb5.html">
<title>来年度（２２年度）国の予算編成に思う</title>
<link>http://blog.st203.net/soncho/2009/11/post-feb5.html</link>
<description>　民主党鳩山政権が誕生し、もう２カ月以上経過し、注目は、どんな来年度予算を編成で...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　民主党鳩山政権が誕生し、もう２カ月以上経過し、注目は、どんな来年度予算を編成できるのであろうか、ということです。その前段、事業仕訳が、これまた注目されています。私は、構想日本が活動を開始してから、ずっと構想日本を見てきていますが、加藤代表がやろうとしていることは、官僚いじめでもなければ、国家にとって大事な支出を勝手に切っていく、といった単純なものではありません。その深い考え方は、時間が経過しなければわからないと思います。事業仕訳で、何兆円も浮くわけではありませんが、こんなところに、こんなにたくさんの予算が使われていた、ということが公開されただけでも、物言わぬ、というか、物言えぬ国民は、陰で拍手を送っているような気がします。ただ、税収がここまで落ち込み、マニフェストも実行しなければ、と考えれば、私なら、２２年度に限り、主要政策以外は、一律１０％カットのシーリングをやります。９５兆のうち、１０兆円はカットできないとしても、８５兆の１割なら８兆円は、減らせます。&lt;br /&gt;
　なぜ、そういうか。地方自治体、特に、財政力のない町村は、平成１１年度からの地方交付税減に対応するため、歳出削減をやったのです。三位一体改革といわれた集中期も含めれば、泰阜村の予算２５億円の規模で、４億円、約４０％の削減を受け、２０億円の予算にしました。いつもいうように、村は、紙幣の印刷機を持っていませんので、カット以外ありません。泰阜村以外の自治体もみんな取り組んだのです。人件費は、どこも２０％以上削減しました。もちろん、特別職も例外でなく、私も２０％減らしました。その他も減らしました。あるお金の中で、やる以外なく、知恵をしぼったと思います。&lt;br /&gt;
　地方自治体は、それをやってきたので、まだ、国は甘い、と思っています。これは、１１月１８日の全国町村長大会での意見発表で３人の代表がみんな触れたことです。何千億、何百億という話は、直接ピンときませんが、節約する気になればできるのでは、と思うのです。今度も東京へ行って思ったのですが、議員会館が新しくなりました。来年の春には、完成し、引っ越しもされるでしょう。古い会館は、壊され駐車場にでもなるのでしょうか。しかし、こんな時期にやらなくてもいいではないか、と思います。仮設トイレが設置されていますが、私の村役場の本トイレより立派です。&lt;br /&gt;
　それでも、事業仕訳をしたり、約束を守ろうとして一生懸命やっている閣僚の姿は、新鮮に映っています。これから鳩山政権の支持率もだんだん下がるのでしょうが、それでも前よりいいのでは、と思っている人が多いのではないか、これが村人の会話から受ける印象です。自民党の代議士のみなさんには、ここのところがよくわかっていないのでは、と思うこのごろです。&lt;br /&gt;
　つまり、民主党政権になっても、まだまだ甘い。もっと、国会議員から歳出削減を考えてほしい、というのが国民の声だと思う。我々の地域は、ここまでできた三遠南信道路の予算大幅削減、大型バスが通行できない泰阜の道路改良も先行きわからない中で、政権交代も受け入れなければならない。国会議員の数も含め、まず国会や内閣が範を示して、国民からなるほど、これなら増税も受け入れようという予算を編成してほしいものだ。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2009-11-25T10:36:01+09:00</dc:date>
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<title>衆議院選挙でに民主党大勝に思う</title>
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<description>　第４５回衆議院選挙は、大方の予想通り、民主党の圧勝であった。２７日付の朝日新聞...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　第４５回衆議院選挙は、大方の予想通り、民主党の圧勝であった。２７日付の朝日新聞朝刊の予想がどのくらいの的中率なのかと思って、とっておいてみた。民主党３２０に迫る、自民党１００前後という予想からすれば、最後に自民党が巻き返したということだろう。この日８月３０日、わが泰阜村は、村の大イベント「第１４回高原ロードレース大会」が開催された。去年の秋以降、いつ解散してもおかしくない、という状況の中で、何とか村の行事と関係ないときにという願いもむなしく重なってしまった。結果論でいえば、麻生総理誕生後、すぐ解散すれば、これほどのことはなかっただろうと思うが、これも意見の分かれるところである。&lt;br /&gt;
　今回の選挙に関し、朝日新聞がオピニオンのぺージ（８月２３日付）で、私の意見を取材し載せてくれた。紙面の都合で、私の思いがすべてのったわけではないが、趣旨は、伝わったと考えている。そんなことも思いながら感想を述べたい。今回の選挙は、我々の周りいる国民としての生活者が、やり場のない怒りを投票用紙にぶっつけたと考えている。子育て世代は、仕事もなく苦しみ、壮年層は、年金や介護の不安、高齢者は、後期高齢者保険で差別されて。しかし、それも仕方ない、国も大変なんだから我慢しよう、とわかっている。それにしては、政治家はどうなのか。官僚はどうなのか。もっとやるべきことがあるのではないか。総理大臣は、メガネが合わないのか、原稿の字が小さいにか知らないが、字くらいまともに読んでほしい。わが国を代表する総理大臣が漢字を読めないのに、学力テストのできを論じているような国でいいのだろうか。国会議員の給料や公務員の給料だって、減らしてもいいのではないか等々あふれるほどの不満があったように思う。政府与党には、国会でも、選挙でもその不満を聞いて、できないまでも理解している態度がほしかったと、みんな思っていた。&lt;br /&gt;
　それなのに、麻生総裁の演説は、民主党批判に終始したように思う。各地の候補も同じようであったと思う。民主党が政権を担って、やってみてできなかったら批判も聞ける。しかし、まだやってみていないのだから、できるかもしれない。もちろん、私のような行政マンを長くやっている人間では、無理じゃないかと思うけれど、そんな人はごくわずかしかいない。やっても見ないうちに、他人を批判するな、自民党は、何十年も政権の座にいながら、できなかったではないか、と思われた。選挙で相手の批判ばかりは、やはり見苦しい。私もそんな人間だったが、先輩の吉田参議院議員に教えられた。相手の悪口を言ってはいけない、と。そんな政治家がいる自民党なのに、残念であった。国民というか、毎日一生懸命生きている生活者、泰阜村の人でさえ、今度は、民主党に、と言った。この気持ちがおそらくわかっていなかったのではないか、もっと早く気づいて、手を打つべきだった。&lt;br /&gt;
　地方行政で一言言わせてもらえば、全国町村会が昨年の秋の大会で「道州制反対」を決議した。その道州制導入の基本法を数年後に制定するとをマニフェストにのせた。我々からすれば、郵政民営化と同じで、総意で反対している制度、少なくとも町村会とも協議をし、とかいうのなら別だか、まったく無視されたということ。今回の選挙で元局長が国民新党や民主党のために、必死で飛び回っている姿をみて、４年前の怨念がそうさせていると思った。私の泰阜村だって、日本国の一員として、いい国土づくりのために協力しようとしている。麻生内閣の地方交付税の増額、景気対策には、感謝している。その分、応援し恩返しをしたいと思っているのに、どうも通じないと感じたのが道州制導入であった。民主党でさえ、基礎自治体を３００にするという小沢案を引き下げたのだから、といいたい。&lt;br /&gt;
　私は、泰阜村の村長として１５年間、国＝国政の窓口として親身になって働いてくれた宮下候補を応援した。村民の皆様にも頼んだ。結果として、小選挙区では、圧倒的に自民「宮下一郎」が勝った。しかし、比例区は、有権者の判断で、としか言えなかった。私自信も４年前、郵政民営化に反対した。それが心にあり、比例区では、自民党と素直に書くことはできなかった。もちろん、自治労出身であるという私の立脚点もあるのだが。&lt;br /&gt;
　さて、結果として民主党政権である。民主党が主張するなかで、予算編成、配分を根底から変える。各省庁の縦割り要求を排除し、必要なものから予算付けを、ということができたら、ものすごいことだと思う。これもできっこない、ではなく、じっくりみていこうと思う。泰阜村は、私が村長になってから、予算は、私が決めることにしている。そんな小さなことまで、と思われることが多いが、予算の金額ではない、たとえ一円でも、住民の立場で考えられているか、ここが問題である。民主党の主張もそういうことだと思う。それらも含め、始めてのことなのだから、じっくりみてから評論したい。&lt;br /&gt;
　投票日前、落合恵子さんの投稿が朝日にのっていたが、印象深かった。小泉以後、自己責任を求められるようになった。自己責任、これは、市町村合併のとき、自治体にもいわれた。竹中平蔵氏が特に使った言葉。落合氏はいう「自己責任は、自己決定権があってのこと。いまは、自己決定権を奪われていて、自己責任だけを求められている」と。まさにこの通りだと思う。合併のとき、地方交付税を激減させて、自己責任が持てなければ合併を、という感じであった。いまは、自己決定できるようなよき支えあい社会でなく、競争、格差社会である。&lt;br /&gt;
　政治とは、そんなに大それたことをしなくてもいいのではないか。正直者がバカをみない、そんな態度で、そんな政策をやってくれればいい。これが結論である。泰阜村は、泰阜村として、村民の皆さんが安心して暮らしていけるそんな政策を地道にやっていくだけである。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:creator>松島村長</dc:creator>
<dc:date>2009-09-01T12:04:30+09:00</dc:date>
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