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2018.06.07

退任を表明しました

 平成30年6月5日開会の定例議会冒頭のあいさつで、この8月12日の任期満了をもって泰阜村長職を退任します、と表明しました。今年の2月に後援会で意向を伝え、新聞報道もありましたが、諸般の事情で正式表明までいたりませんでした。残された任期が少なくなり、この辺ではっきりさせなければ、と思ったところです。
 任期満了まで働けば、24年間村長を務めることになります。長くなりました。6月議会でのあいさつ要旨を中心にその心境をつづります。
 長という職ですが、最終的な決定をします。それは私村長の価値観で判断することになります。もちろん、いろいろな情報も集め、熟慮の上でよき判断をしてきたつもりですが、そう映らなかったことも多かったと思います。一人の人間の価値観で物事を決めていくのはこの辺が限度ということが退任の大きな理由です。私は、住民が主役、住民による自治という考えは持っていますが、住民投票型の判断は、リーダーとしての責任を果たしていないと考えております。村長、議会の判断が村の方針であるということです。議会議員各位にも村の施策の判断は、そういうものではないか、と訴えてきたことです。これが一面ではワンマンと言われる所以かと思います。しかし、そうでなければ、トップとしての責任がとれないではないか、ということです。住民の判断に従いました、審議会の意見を尊重しました。これでは、トップとしての責任をどう考えればいいのでしょうか。
 このようなトップの考えを私は正しいという信念でやってきました。現在は、いろいろな人の意見を調整しきめていくような調整型リーダーの方が好まれる時代かもしれません。そんな意味でもそろそろということです。
 私の政治家としての原点は、後妻できた祖母が文盲であったということです。これは祖母のせいではありません。祖母の与えられた環境から学校へ行って学ぶことができなかったからです。私の選挙のときに、一所懸命私の名前を練習したという話を娘から聞き、ほんとうに頭が下がりました。頭のいいおばあちゃんだったと思います。政治の力で機会の平等を実現しなければなりません。地方創生より、一隅を照らすことの方が行政の仕事ではないか、と考えるのは、そこに原点があります。福祉施策の推進は、そんな気持ちが必要と考えてきました。
 この時代にこういうことを言っているので、世間からみると、やはり変人村長だったと思います。
 村内より村外の皆さんから、まだやれる、やった方がいいと言った声をいただきました。ありがたいことですが、疲れもあります。一度、退任の方向になるとまだやるという気力を持つのに、かなりのエネルギーが必要です。
 44歳のときに村長になりました。子供が高校生、中学生でした。貧農の子供が、急に村長の子供になり、すべてにおいて大変だった、との話も大人になってから聞きました。家族にも大変迷惑をかけました。
 また、若気の至りで、職員にも厳しいことを言い、傷ついた職員も多くいます。それで辞めた職員もいます。いまとなると申し訳ないと思いますが、時すでに遅しです。それでも行政フォワード論、つまり、山村にあって、何をやるにも職員が先頭にたって、という方針のもと、職員もがんばってくれて、住民の信頼度も少しずつ上がったように思います。これは職員の努力です。
 最後にいえば、村長職で学んだこと、それは、世の中思い通りいかない、ということです。ほんとうまくいかないことばかりでした。退任しても泰阜村から逃げるわけにいきません。この村で生まれ生きるのが宿命であり、運命です。そして泰阜村の在宅サービスを受けてあの世に行きます。ありがとうございました。

04:53 午後 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック