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2017.03.17

東日本大震災飯館村に思う

 村長という仕事をしていると、他の市町村の出来事を見ながら、私ならどうするだろうと考える。すぐ結論の出ることもあるし、長い時間かけて考えることもある。東日本大震災後の飯館村の話を聞くと、私だったらどうしただろう、また、どうするだろう、いまだに結論を出せない。私が飯館村の村長でなくてよかった、というまことに卑怯な言い方しかできない。それくらい全村避難という自治体は、言葉で言い表せない事態になっている。
 飯館村は、我々農山村の村づくりの一つのモデルであり、目標であった。菅野村長のリーダーシップで、農業を大切に、美しい景観を守り、そして何より人のきずなで村づくりを進めてきた。有名になった事業の中に、若妻の翼があるが、泰阜ではこれから真似をしようと考えているくらいである。その飯館村は、地震そのものの被害といってもそれほどでなかったのだが、原発事故の放射能の流れる気流がなぜか飯館村を直撃したのである。結果として全村避難。
 過日のテレビ放映で、菅野村長の盟友でともに村を支えてきた長谷川さんという農業者と、全村避難その後の補償の問題、復帰のこと等で意見が対立。ついに、袂を分かつことになってしまったという。村ばかりでなく、盟友を失うことになった菅野村長は、いまでも飯館村の復活のために奮闘している。
 長谷川さんの言い分は、村の再生のために、立場が国よりになり、住民のことをほんとうに考えていないのではないか、といったことのようである。これを聞くと、菅野村長の気持ちも長谷川さんの気持ちもわかる。どちらも村のことを思い、村人を思ってのことである。
 私は、このテレビ放映を見ながら、こんなとき、何を守ることが将来につながるのか、と深く考えさせられた。人のつながりを分断するのは、一つは地域の崩壊、コミュニティの崩壊、これは全村避難で余儀なくさせられてしまった。そのあと、東電の補償金の問題で、被害状況により格差が生じた。村の中に格差があってはならないという意見、格差やむなしという村側。早い解決を望めば、格差もやむなしだと思うが、お金というのは、人の心も変えてしまうようである。今回の原発事故では、飯館以外の話でも、補償の格差で地域住民が疑心暗鬼になり、心が離れ離れになったという事例を何回か聞いた。 しかし、思えば、あの原発事故がすべてといえる。地震、津波だけだったら、その復興もまた変わっていたと思う。
 その最大の被害者といえる菅野村長が元気で村の再生に向けて頑張っている様子も見ることができほっとした。盟友であるその長谷川さんもまた飯館のことを考えているが、もう菅野村長と寄り添うことはない、と考えているようである。
 農山村の除染は、住宅地だけでは無理である。農地、山林が使えなければ村の生活はできない。そういう村民の主張は、全くその通りである。しかし、国は、お金もかかるし、そこまではできないという。帰還していいと言われても帰って農業ができないではないか、そうだろうと思う。
 東電や国と闘って、我々の主張を受け入れてもらってくれ、という長谷川さんたちの言葉は私にも重くのしかかる。
 最後にいえば、除染が進んで、新しい住宅地ができて、環境が整備された、さあ帰還ということで、帰る人は少ないということ。つなぎとめるとしたら、それは人のつながりでしかないのかもしれない。
 までいの村、飯館の復活を祈っている。
 
 

01:57 午後 | 固定リンク

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