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2012.10.30

日本脳炎の予防接種での死

 日本脳炎の予防接種を受けた子供が死亡した、というニュースが報道された。その後の調査で、過去にも事故があったことも伝えられている。何とも痛ましく言葉もないが、その病気になっての死と予防接種での死を考えたとき、どちらが受け入れられる、つまり後悔が少ないのだろうか。死が避けられないとすれば、病気の方が受容できるのかもしれない、と思う。
 医師会の先生方との懇談では、日本の予防接種は、遅れている、との話がでる。比較ではそうなのだろうが、万が一のことを考えたとき、私は、遅れているくらい、すなわち慎重すぎると言われる予防接種後進国日本の方がいいのでは、と思ってきた。ここのところ、子宮頚がん、肺炎球菌も必要ということで開始された。また毎年のことながらインフルエンザ。日本脳炎は、不活化ワクチンになったが。
 予防接種といえば、安全が当たり前、そして効果のあるもの、という固定観念を住民(国民)の多くが持っている。したがって、問診を少し丁寧にやったり、接種前の対応に時間がかかると、予防接種程度にこんなに時間をかけて審査をやらなくてもいいのに、これが普通の人の感覚である。
 そんな中での事故(死)である。私は、やっぱりこういうことが起こるのだ、そうだろうなあと思った。もちろん、極めて特殊な事例といわれるのかもしれない。しかし、現実に予防接種でもそういうリスクがある、ということを知らしめた事故であった。それはわかったいたはずなのに、いつの間にか忘れられてきた、ということかもしれない。
 泰阜村は、集団検診を廃止し、また、健康づくりや介護予防に力を入れていない。ただ、世間並みにやっているのかもしれないが、村長は、やろうとは思っていない。病気を発見したかったら、きちんとした検査を受けた方がいいし、あたかも効果があるように健康づくりや予防に取り組むより、遺伝としての病気リスクを考えて対応するなど、個々人それぞれが考え、個別対応した方がはるかにいい。集団(マス)で考えるのは、大正、昭和の感染症対策や栄養不足時代の保健活動が幅をきかしたころの話。これだけ長寿社会になった平成の世に、相変わらず集団検診や集団健康づくりなど必要ないはず。
 実は、この論理と予防接種も似ていて、病気の予防には、限界があること。また、かかってから対応しても大丈夫なものもある。予防接種のリスクを考えたとき、どこまで予防接種に頼るのか、極めて難しい判断だと思う。接種前に、事故があっても仕方ありません、というような契約が必要かもしれません。介護予防で頑張った人が要介護者になったとき、担当保健師は、どのように説明するのだろうか。日本脳炎にならないために予防接種を受けた人が、日本脳炎にかからず死を迎えてしまった。予防接種を受けなくても生涯日本脳炎なんかにかからなかったかもしれない。これはわからない。
 不老長寿を求めてきた人類も、長寿社会がすべていいわけではないことに気づき始めた。私たちは、発展という影で、実は、大きな過信を持ち、大事なことを忘れてしまったように思う。生命あるものいずれ死を迎えるというどうしようもない事実。健康づくり、介護予防といくら叫んでも、誰もが老い、死を迎える。病気にかからない予防接種も決して安全なものではないという事実。
 車社会で生きているので、どこで交通事故にあうかわからない。交通事故をなくすには、車の無い社会をつくらなければならない。私たちは、あらゆる面でハイリスク社会を生きている。
 日本脳炎予防接種の死が教えるもの、それは、どんなに科学が発展しても、科学万能ではないということ。やはり、生物の命は、人間ではコントロールできないもの、と考えなくてはならない。自然もまた同じであろう。
 それにしても病気を予防するはずの注射で生命を落とすことのショックは、計り知れない。予防接種を実施する村の責任者としてほんとに不安である。責任というより現実の事故に対し、私は、説明する言葉が思い浮かばない。実は、実施する医者の方がもっと大変であるとは思うが。
 

01:30 午後 | 固定リンク

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