« 2010年12月 | トップページ | 2011年4月 »

2011.02.07

平成名古屋の乱に思う

 「乱」と呼ぼうか、「変」と呼ぼうか迷ったが、政令市の議会が住民パワーで解散させられたのだから「乱」ということにした。2月5日、トリプル戦の前日名古屋へ行ったのだが、そこで河村、大村コンビの遊説を聞くことになった。大村候補の演説は終わり、河村候補の演説を聞いた。地方自治経営学会で河村氏の講演を聞いているが、ドラゴンズの帽子をかぶりマイクを握る河村演説は、楽しかった。
 私は、長く行政現場にいるので、減税は、いい政策だが、これだけ行政需要が高まっている現在では、無理で増税が必要と思っている。河村氏は、市民に向かって「税金を納めている方が苦しんで、税金で食べている方が楽しているなんて、とんでもない。根本から変えにゃいかん。名古屋市議会議員は、一人1600万円もらっている。それに政務調査費が300万円、これでええんか」といった調子である。私の隣にいた人も、聞いているみんなが「そうだ」という。わかりやすい主張で、みんなが議員なんてとんでもない、といった顔をしている。選挙前から大村、河村とも圧倒的優位が伝えられているが、こりゃ間違いないと思った。民主党が推す石田候補も犬山市長時代の取り組みはよく知っていて、いい候補だと思っていたが、結果的に勝負にならなかった。
 さて、この名古屋の乱を冷静にみたとき、私自身が学びとることがあるのだろうか。それは、きっと「庶民の心」から離れない政治をしなければということではないか、と思う。自分が立候補したとき、いまでいえばマニフェストに書いたことは、村長室から出るとか福祉バスを運行させる、役場職員や議員を表彰するような村の表彰規定を代えるといった単純なことだった。最近は、目線という言葉も使われるが、むしろ目線というより「心」、その心がどこにあるのだろうか、という感覚を忘れてはいけない、と思う。長く役所にいると、役所文化の中で生きるようになる。
 民主党が主張する「公務員人件費20%削減」は、いまやるべきことだと思う。財政が破たんしているときに、まず自らの給与を減らさなくては、誰も協力してくれない。あの日本航空だってやっている。消費税も上げていいけど、その前にやることあるのじゃないの、ということである。
 そういう私も規定が許す範囲で、村職員の給与を抑えているが、削減まではできない。村のラスパイレス指数が長野県で下から2番目に低いというが、それは、ただの指標であって、村職員の給料表は、国家公務員のものを採用している(全国の自治体が)。その運用を少し変えているだけのこと。だから阿久根竹原前市長の主張は、それなりに説得力もあり、それをやったのだからすごいことでもある。少なくとも私ではできなかったし、できないことである。
 庶民の心は、その給与だけのことではない。たぶん、長や議会議員が特権階級にみえることと思う。我々にそんな気持ちはないのだが、それだけに問題だ。ポピュリズム、大衆迎合主義と訳していいのでしょうか。大衆迎合
政治を私も批判しているが、大衆を説得できる政治を目指さなくては、消費税アップも社会保障対策もできない。
 名古屋の乱の論評は、いろいろあるが、小さな村の責任者としても、多くのことを考えさせられる。
 河村氏の演説のなかで、永田町の新しくなった国会議員会館をベルサイユ宮殿と揶揄し、あんなところにいては何もわからん、と。私も思う。これだけ厳しい財政といいながらあの議員会館は、何だろうと。しかも、入館がさらに厳しくなって、時間ばかりかかる。庶民の心と離れたことは、実は、いっぱいあるのである。
 きっと泰阜村にもいっぱいあると思う。

11:04 午前 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック