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2010.09.09

鈴木宗男を考える

 最高裁判所の上告棄却が確定し、鈴木宗男代議士の刑が確定し、収監されることになった。異議申し立てをするというがこの判決は覆ることはないと思う。受託収賄などの刑だが、最高裁判所まで審議されての結論なのでその通りなんだろうと思う。しかし、この件に関しては、鈴木氏に同情している私が存在している。
 私は、役場職員、そのあと村長として40年以上、行政にかかわり、地方政治をみてきた。国会議員を通じ、霞が関にも陳情にいった。そして、貧しい山村に生きてきた。「利益誘導」という言葉があるが、政治家が地元へ一円でも多くの補助金や一つでも多くの事業をとってくる、というのは、当たり前の政治活動だと、考えてきた。「この道路は、私がやった」というような話に対し、うちの家内は「自分のお金じゃなく税金なのに、自分のお金でやったように言うのはおかしい」という。全くその通りであるが、政治家にしてみれば、自分のためではなく、地域の要望に対し、他の政治家との戦いの中で、わが選挙区へ補助金を持ってきたのだから、そう言うのも、私は理解できるのである。
 田中康夫元長野県知事が誕生し、県会議員や市町村長の口利きや働きかけを廃止する、という方針にした。それがあった場合は、報告するよう義務付けた。それでほとんど無くなったようだ。ここでも「しかし」なのだが、私は、わが村の主要地方道飯田富山佐久間線の改良促進という働きかけがあった、と報告してほしいと言った。泰阜村の村民で県職員試験の一次に合格すれば、二次試験はよろしく、と村長から働きかけがあったと言ってほしいと。それもできないようでは、というか、しないようでは政治家ではないのでは、という思いを今でも持っている。
 北海道開発庁も沖縄開発庁も、早い話地域振興のための公共事業をいかにたくさん確保するか、これが地元選出代議士の大きな仕事であったし、今もそうであろうと推測している。その仕事を、地元の業者にやってもらう。設計価格で地元の業者が仕事を分け合うことを談合といって批判することは簡単だが、地域におけるワークシェアリングまで排除されるのだろうか。こういったことまで否定されているような気がしてならない。
 政治家のクリーンさ、というのは、何をもって判断されるのであろうか。私など、クリーンといわれなくても何とも思わない。一円でも補助金を多くもらえるならば、出来ることはなんでもやろう、と考えている。そんな意味でいえば、どろどろした政治の世界で生きているし、そういうものだと思っている。
 鈴木宗男氏は、北海道の振興のために、骨を折ったと思う。ただ、官僚を脅かしたり、政治資金としての正規の方法でなくお金を要求したり、もらったとすれば、それは間違いであったということ。
 最近の事業仕訳けで、カッコよく官僚や公務員を攻めている代議士より、地元のために、補助金を一円でも多くといって、省庁を頼み歩く政治家の方が、私は政治家らしいと思う。もしそれを「利益誘導型」の古い政治家という一言で片づける時代になったとしたら、私自身も古い政治家なのだと思わざるをえない。
 ただ、利益誘導あってこその政治といっても、その利益は、自分のための私利私欲ではない。ここがいい政治家と悪い政治家の分かれ目であることは間違いない。鈴木宗男氏があのように強く出て、あたかも脅かしているような手法をとったのは、ほんとうは弱い人間だったのだろうと思う。この下伊那郡の大先輩県会議員に、今は亡き松下逸雄氏がいた。下伊那の山村で育ち、村長になって、県庁へ行ったが、相手にされなかったという。そんな県庁をいつか見返してやる、と思い続け県会議員になり、たまに県の部長たちを怒鳴りつける姿をみた。鈴木宗男氏と重なるのだが、警察のお世話になったことはなく、私利私欲もなかった立派な松下先生に失礼だろうか。

04:50 午後 | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック