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2010.06.17

普天間基地の問題に思う

 鳩山首相が辞任を発表し、鳩山内閣が総辞職した。首相と村長を同じに考えては、総理大臣に失礼ではあるが、鳩山首相には同情している。まじめに一生懸命やろうとして、低姿勢に訴えれば訴えるほどリーダーシップがないようなことを言われてしまって、と。この退陣には、いくつかの理由があると思うが、最終的に普天間基地の移設問題が決定打になったと思う。確かに、抑止力をいまさら認識したとするなら、国会議員として防衛問題をどう考えてきたのだろうか、と考えてしまいますが。
 さて、1960年6月15日は、安保反対デモの中で、樺美智子さんが亡くなった日でもある。1950年生まれの私は、その出来事が記憶にないが、1970年安保は、学生運動と重なり、私どもの青春時代である。樺美智子さんのこともその頃に強烈な物語として知ることになった。日本は、敗戦とともに戦争放棄を掲げ、戦力は持たない憲法を制定した。その後、安保条約、自衛隊の設置、PKO,PKFなど、その変化は説明する要もない。
 普天間基地の議論の中で、改めて日本の防衛ということに対して、軽薄な議論しかされていないことに気づかされた。普天間の移設結論を5月までに出すといったのに出さない首相にリーダーシップがない。最低でも県外と言っておきながら、結局沖縄ではないか、約束を守れない首相。これらの指摘は、鳩山首相の言動という面では、その通りであるが、その議論の中になぜ沖縄を中心としてアメリカ軍の基地があるのか、そして、それが必要なのか、という話は、ほとんど聞こえてこなかった。もちろん国会でも少しは取り上げられていたが。
 私も冷静な識者の意見を新聞で読みながら考えさせられた。5兆円ものお金を使って、自衛力(戦力)を保持している我が国。その防衛力は、どのくらいのものなのか。すなわち、どのくらいの攻撃に耐えられるのか。現在の戦争を想定したときに、どの部分を安保条約に基づくアメリカ軍の戦力の応援を得なければならないのか、わからない。沖縄の米軍は、日本を守るためでなく、極東を抑えるために配置されているとしたら、それは「困る」沖縄以外を使ってくれ、と言えるのかもしれない。それすらわからない。
 どこの国でも、自分の国を守る気持ち(愛国心という中に含まれるのだろうか)は強い。攻められれば戦う以外にない。日本は、徴兵制もない。だから、自衛隊とアメリカ軍が守ることになるのだが、どのくらいの力があるのかわからなくていいのだろうか。
 憲法の精神は、非武装中立だ。護憲党の社会党は、村山政権、鳩山政権で組めるはずがない政権党と組んで社会党を破壊してしまった。私も自治労運動を通じ、非武装中立を支持してきた。これは、攻められたら自決するという覚悟で国家を維持するということになる。社会党は、そういわなければいけないと思うのだが。
 しかし現実の問題として、自衛隊と安保で守る日本を認めるなら、その戦力を分析し、だから「基地」をここにお願いしたい。その負担を受けてもらう代わりに、他の国民は何をするのか、そこの議論から始めたいものである。
 これを原点から考える、というのではないだろうか。いまの政治にもっとも足りないのが、こういった議論であることは現場で行政に携わっている人は、みな考えているはずだ。

09:38 午前 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック