« 2010年2月 | トップページ | 2010年6月 »

2010.04.16

市町村合併の強力な推進の法律が終わって

 平成の大合併を推進してきた合併特例法、そのあと5年継続された推進のための特例法も平成22年3月31日で期限切れとなった。当初、進まないと言われた平成の合併も終わってみれば、市町村数は、1727(平成22年4月1日現在)に。3200もあった市町村が1727になり、村の無い「県」が13県になったのだから、総括としては、大成功といえるのではないだろうか。合併は、究極の行政改革といわれており、議員や職員数が大幅に減少し、あと5年後以降、交付税の算定替え特例が終われば地方財政にかかる経費は、減少するものと思う。その意味でも成功という見方ができる。
 泰阜村は、人口1900人のまま、村として残ったが、冷静に市町村合併を考えると、障害除去だけの支援を受けながら、これから合併を考えてこそほんとうの合併といえるのではないだろうか、と思う。合併がいいとか悪いのでなく、あまりに短期間に、住民が冷静に考える余裕のないまま合併という道を選択したところが多かったのではないのだろうか。その点、飯田下伊那地域のように、広域連合による広域行政、機能分担をめざす定住自立圏による中心市との協定などで地域全体のことを考えた連携を模索しながら、次の時代をみすえる中で、広域行政でいいのか、一つの自治体がいいのか、苦しみながら結論を出すようなことが理想なのでは、と考える。
 今日(16日)の朝日新聞が、主に、政令指定都市になった相模原市における土地利用計画の線引きの問題点を取り上げていて興味深く読んだ。土地利用計画で市街化区域になると都市計画税が課税されると同時に農地の固定資産税も上がり、新聞では、農地が246倍の税金になるところが出るという。住民の反対があって、線引き作業が進まないのだそうだ。政令指定都市は、権限も県並みで、いいことばかりだと思ったら田んぼや畑や山に囲まれた政令指定都市は、それなりに大変だということらしい。相模原市が目に付いたのは、神奈川県の津久井郡の中に藤野町があって、そこも相模原に合併したのだが、藤野町で合併に疑問を持つみなさんに招かれ少ししゃべったことがあるからです。私は、神奈川県にこんな山の町があるのか、と驚いたことを思い出す。そこが相模原市となり、政令指定都市となった。長野県の隣が、政令指定都市浜松の天竜区になったが、同じようなケース。泰阜の隣が天龍村、その隣が静岡県でそこは政令指定都市。かつての水窪町や佐久間町、龍山村などを知っている者としては、名古屋や横浜と同じといわれても、そうですか、としか言葉が出てきません。それでも、財力のある都市の傘下に入ることで、行政運営は、楽になるのだろうという思いも強くある。自治体には、財政力で解決できる課題もたくさんあるので、政令市に吸収されるようなケースは、いいのでは、これが感想でした。それだけに、この土地利用に関する線引き作業という話は、こんな課題もあるのだ、と驚いたのです。
 つまるところ、平成の合併は、いいとか悪いのでなく、予想もできないような形になったということで、現行法の中で解決できないことが起こった。結果として、誰が困ったのか、そこに住む、暮らす住民である、ということになり、それが一番の問題だ。最近の日本の政治をみて思うのだが、議論は、空中戦、現場をわからない人の議論としか思えない。やはり、政治を考えるベクトルは、まず住民があって、市町村があって、県、国という動きでないと国があって、県があって、市町村があって、最後に住民では、法律や制度だけが重要視され、人間が無視されているように思う。
 いったん、合併も一区切り。だったら、相模原の例ではないが、法律より先に合併した地域、とくに周辺部の住民の暮らしを見つめて、この時代にあった「政令都市法」をつくるような地道な作業をすべきではないだろうか。
 こういうことを「コンクリートから人へ」というのだと、私は思う。

12:03 午後 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック