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2009.09.01

衆議院選挙でに民主党大勝に思う

 第45回衆議院選挙は、大方の予想通り、民主党の圧勝であった。27日付の朝日新聞朝刊の予想がどのくらいの的中率なのかと思って、とっておいてみた。民主党320に迫る、自民党100前後という予想からすれば、最後に自民党が巻き返したということだろう。この日8月30日、わが泰阜村は、村の大イベント「第14回高原ロードレース大会」が開催された。去年の秋以降、いつ解散してもおかしくない、という状況の中で、何とか村の行事と関係ないときにという願いもむなしく重なってしまった。結果論でいえば、麻生総理誕生後、すぐ解散すれば、これほどのことはなかっただろうと思うが、これも意見の分かれるところである。
 今回の選挙に関し、朝日新聞がオピニオンのぺージ(8月23日付)で、私の意見を取材し載せてくれた。紙面の都合で、私の思いがすべてのったわけではないが、趣旨は、伝わったと考えている。そんなことも思いながら感想を述べたい。今回の選挙は、我々の周りいる国民としての生活者が、やり場のない怒りを投票用紙にぶっつけたと考えている。子育て世代は、仕事もなく苦しみ、壮年層は、年金や介護の不安、高齢者は、後期高齢者保険で差別されて。しかし、それも仕方ない、国も大変なんだから我慢しよう、とわかっている。それにしては、政治家はどうなのか。官僚はどうなのか。もっとやるべきことがあるのではないか。総理大臣は、メガネが合わないのか、原稿の字が小さいにか知らないが、字くらいまともに読んでほしい。わが国を代表する総理大臣が漢字を読めないのに、学力テストのできを論じているような国でいいのだろうか。国会議員の給料や公務員の給料だって、減らしてもいいのではないか等々あふれるほどの不満があったように思う。政府与党には、国会でも、選挙でもその不満を聞いて、できないまでも理解している態度がほしかったと、みんな思っていた。
 それなのに、麻生総裁の演説は、民主党批判に終始したように思う。各地の候補も同じようであったと思う。民主党が政権を担って、やってみてできなかったら批判も聞ける。しかし、まだやってみていないのだから、できるかもしれない。もちろん、私のような行政マンを長くやっている人間では、無理じゃないかと思うけれど、そんな人はごくわずかしかいない。やっても見ないうちに、他人を批判するな、自民党は、何十年も政権の座にいながら、できなかったではないか、と思われた。選挙で相手の批判ばかりは、やはり見苦しい。私もそんな人間だったが、先輩の吉田参議院議員に教えられた。相手の悪口を言ってはいけない、と。そんな政治家がいる自民党なのに、残念であった。国民というか、毎日一生懸命生きている生活者、泰阜村の人でさえ、今度は、民主党に、と言った。この気持ちがおそらくわかっていなかったのではないか、もっと早く気づいて、手を打つべきだった。
 地方行政で一言言わせてもらえば、全国町村会が昨年の秋の大会で「道州制反対」を決議した。その道州制導入の基本法を数年後に制定するとをマニフェストにのせた。我々からすれば、郵政民営化と同じで、総意で反対している制度、少なくとも町村会とも協議をし、とかいうのなら別だか、まったく無視されたということ。今回の選挙で元局長が国民新党や民主党のために、必死で飛び回っている姿をみて、4年前の怨念がそうさせていると思った。私の泰阜村だって、日本国の一員として、いい国土づくりのために協力しようとしている。麻生内閣の地方交付税の増額、景気対策には、感謝している。その分、応援し恩返しをしたいと思っているのに、どうも通じないと感じたのが道州制導入であった。民主党でさえ、基礎自治体を300にするという小沢案を引き下げたのだから、といいたい。
 私は、泰阜村の村長として15年間、国=国政の窓口として親身になって働いてくれた宮下候補を応援した。村民の皆様にも頼んだ。結果として、小選挙区では、圧倒的に自民「宮下一郎」が勝った。しかし、比例区は、有権者の判断で、としか言えなかった。私自信も4年前、郵政民営化に反対した。それが心にあり、比例区では、自民党と素直に書くことはできなかった。もちろん、自治労出身であるという私の立脚点もあるのだが。
 さて、結果として民主党政権である。民主党が主張するなかで、予算編成、配分を根底から変える。各省庁の縦割り要求を排除し、必要なものから予算付けを、ということができたら、ものすごいことだと思う。これもできっこない、ではなく、じっくりみていこうと思う。泰阜村は、私が村長になってから、予算は、私が決めることにしている。そんな小さなことまで、と思われることが多いが、予算の金額ではない、たとえ一円でも、住民の立場で考えられているか、ここが問題である。民主党の主張もそういうことだと思う。それらも含め、始めてのことなのだから、じっくりみてから評論したい。
 投票日前、落合恵子さんの投稿が朝日にのっていたが、印象深かった。小泉以後、自己責任を求められるようになった。自己責任、これは、市町村合併のとき、自治体にもいわれた。竹中平蔵氏が特に使った言葉。落合氏はいう「自己責任は、自己決定権があってのこと。いまは、自己決定権を奪われていて、自己責任だけを求められている」と。まさにこの通りだと思う。合併のとき、地方交付税を激減させて、自己責任が持てなければ合併を、という感じであった。いまは、自己決定できるようなよき支えあい社会でなく、競争、格差社会である。
 政治とは、そんなに大それたことをしなくてもいいのではないか。正直者がバカをみない、そんな態度で、そんな政策をやってくれればいい。これが結論である。泰阜村は、泰阜村として、村民の皆さんが安心して暮らしていけるそんな政策を地道にやっていくだけである。

12:04 午後 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック