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2008.09.11

福田総理大臣の辞任から政治家を考える

 9月10日に泰阜村の最高齢者になる馬淵たかねさんの100歳のお祝いに、長野県下伊那地方事務所長がきてくれて、長野県知事の賞状と金杯が渡された。100歳は、実は、総理大臣からの賞状と銀杯が贈られるのだそうだ。それは、私が代理で手渡したのだが、平成20年9月15日総理大臣福田康夫 となっており、それを代読した。あれ、もう辞めたのでは、と思ったのだが、現在の総理大臣は、福田さんでいいんですよね、という感じ。考えようによっては、貴重な賞状でもあるが、あの辞任会見をした総理大臣の賞状を手渡すのもおかしな気がした。前置きはこれくらいで昨年は、安倍総理。今年は、福田総理と二代続けて辞任するというのも、大変なことだ。でも、地元新聞のインタビューで、私は「大変だったと思う。御苦労さまといいたい」といって、福田総理の気持ちは理解できると返答した。無責任なんだろうが、行き詰ってもうできない、と思った人が辞めるというのは、理解できるような気がする。一国の総理大臣と山村の村長を同じレベルで考えてては、失礼だが、山村村長には、それなりの苦しみもあり、辞めたいと思うこともたくさんある。しかも、若くしてその立場になったので余計そんなことを思う。ただ、安倍総理辞任のときにどう書いたのかわからないので、もしかしたら整合性がないかも。でも、気持はわかる、という感覚はたぶん同じだと思うが。
 今回、街の声のなかに、「私たちだってこれだけ苦しい中でがんばっているのに、総理大臣が大変だといって投げ出すなんて・・・・」というのがあって、これが庶民の本音だろうと思う。総理大臣だけがえらいのでなく、いつ倒れても不思議でないほど働いている人はたくさんいて、そんな国民からみれば、もっとずたずたになるほどやってから、辞めるといってほしい、と思うのでは。福田さんのあの表情、一記者の言葉にむきになるなど、あの雰囲気からは、とことん努力したという印象はなく、やはり無責任では、ということだと思う。
 さて、最近は、政治主導ということがいわれるが、政治家と官僚とどちらが悪いのか、と思う。そんなことを考えていたら7月6日の中日新聞の視座でジェラルド・カーティスという客員教授(コロンビア大学)が、ひどいのは政治家か官僚か、という論文を書いていて、なるほどと納得した。居酒屋タクシーの話なのだが、官僚が反対だからできない、と自民党の政治家が恥ずかしげもなくいう。自分の責任を逃れるためにすぎない。それに、いかにも自分にリーダーになる資格はないと白状しているようなものである、と指摘し、最後に、居酒屋タクシーはひどい話だが、官僚が遅くまで働いている間。政治家は、クラブやカラオケで遊びながら、役人の悪口を言っている。こちらの方がもっとひどいのでは、ないだろうか、と締めくくっている。
 そうなのである。私もそうだが、口だけで世の中を動かそうとするだけで、政治家に、法律をつくったり、現状を分析する力などないし、そんな時間もない。だから、政治家は、優秀な官僚を使う、ということで力を発揮すべき。官僚には、この教授がいうように、もっと高度な知識、専門知識をもった人を増やし、きちんとした政策や法律を作ってもらうべき、その指示をするのが政治家で充分。いま政治家が主導権を持つ、という言い方や意識が何か間違った方向で考えられているのではないだろうか。
 政治家は、だからわからないことはわからないといえばいいし、疲れたら疲れたといえばいい。福田さんも、私の力の限界です、といってほしかった。民主党のせいにしたってしかたない。一国の総理大臣なんだから。
そんな意味で「謙虚さ」こそ政治家の一番大切なものだと思う。私もそろそろ限界なんだろうなあ、と思う。

04:42 午後 | 固定リンク

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