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2007.10.02

安倍首相から福田首相へ

 私は、平成6年の村長選挙で、当選したら村長室から出ます、と約束しました。いまでいえばマニュフェストなんでしょうが、そんな小さなものまでいれた後援会だよりを出しました。その中には、村長と話す会の開催、村長や役場職員、議員ばかりを表彰するような村の表彰規定の見直し、なども入っていました。運よく当選して、その後一週間で、村長の机を事務室に移しました。村長室は、いま応接室として使っています。使用頻度からいえば、もったいない空間ですが。その応接室に安倍総理大臣と私が握手している写真が入った額がおいてあります。
 今年の5月21日、平成18年度後半で、構造改革特区や地域再生計画の認定がなされた自治体に対し、首相官邸で、安倍総理大臣から認定証の交付がありました。泰阜村の地域再生計画も該当していました。今回は、首相じきじきに交付というので、地元の町村長会を欠席して、東京へ向かいました。首相官邸などめったは入れないと思いますが、案内がいなければ迷うような広さ、かといって余分なところを見学するというわけにもいきません。一生に一度であろう首相官邸入りが実現しました。
 安倍総理到着し、あいさつのあと、それぞれの市町村長に認定証が交付され、その都度首相との記念撮影が行われました。そのときの認定証のなかにその写真を飾ってあります。がんばる地方応援プログラム等地方支援も打ち出し、7月の参議院選挙に向けて自信満々(?)だったと思います。お互いいい顔して写っていると思っています。そのときの安倍首相の顔と辞任表明の顔、特に総理最後の病院での会見の顔と比較すると別人のような気がします。参議院選挙も数は減るだろうが、あそこまで負けるとは思っていなかったであろうし。
 小さな村の村長と首相と比較しては失礼だが、もうやめた、という心境になった安倍さんの気持ちは理解したいし同情したい。しかし、泰阜の村長でも、もうやめた、といったら怒られるであろう。それが一国の首相である。参議院選挙で小沢をとるか、私をとるか、といって、小沢にとられても辞めなかった人が、国会(国権の最高機関)でこれからの日本にためにがんばります、とあいさつしたあと、もうやめた、では無責任極まりない、と批判されて当然であろう。それだけの人物だった、といえばそれだけだが、育ちのよさだけでは、風雪に耐えられないことがよくわかった。盛田和夫氏が西郷隆盛を高く評価し、その教えを信条としていると書いている。その盛田氏が、西郷隆盛も最初からあれだけの人物ではなかった。彼は、苦難を経たからこそ、胆力がついたといっている。特に、島流しで、牢獄に入れられそれに耐えたことをあげている。そんな苦難に出会いたくないが、安倍総理もやるといった以上ここを乗り切れば、道も開けたのかもしれない。
 安倍首相をかばう人もなく、福田首相へとバトンタッチされた。議員内閣制で、大統領と違うので、リーダーシップというより、チームワークで仕事をやると考えると、福田首相は適任では、と思う。
 人間など勝手なもので、私も昨日と違う適当なことを今日はしゃべって生きている。今年の9月議会では、蛇口をひねれば水が出る、これは当たり前だが、そのために職員が努力している。それは当たり前なんだが、行政というのは、そういうもの、という話をした。つまり、取り立てて何かを、ということでなく、平穏なうちに毎日が過ぎていく、その日々の努力がまず大事。福田首相は、常にそういうようなことをいいそうな雰囲気を感じる。それを安定感というのか、リーダーシップがないというのか、この評価は次の衆議院選挙でわかるのであろうか。
 今回のこの首相交代劇をみて、やはり世の中先のことはわからない、と感じた。何があっても落ち込まず、日々努力していれば、いいときも来ると考えよう。そして、もっと感じたのは、健康、体力。政治家のもっとも大事なことは健康である。ただ、私は、村民の皆さんとの酒を断ってまで健康を考えて村長をやりたくないが、今日まで一日も休まず仕事ができたことに感謝したい。
 国民の痛みのわかる首相であってほしいことを願いながら福田内閣の活躍を祈ります。

10:17 午前 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック