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2007.03.02

「限界集落」ということ

 もともと限界集落という言葉は使われていたが、その定義までしらなかった。限界集落とは、65歳以上の高齢者が半数以上の地域とか。もう少し、違った基準だったでしょうか。定義は、たいしたことではありません。2月3~4日宮崎県綾町で、第8回小さくても輝く自治体フォーラムが開催されました。これには、そのまんま知事が、あいさつに来てくれました。そのフォーラムの分科会で、兵庫県(だと思うのですが)で、集落調査をやった先生が、ほんとうに多くの限界集落がある、例えば、神戸の近くでも、という発言をされました。私は、それを聞いて、確かに正確な調査は、必要なことだし、その情報も尊い。しかし、限界集落ならぬ、限界自治体に近い過疎の山村で、行政を預かっている人間からすると、そこまではわかりました。では、どうしたらいいのですか、といいたくなる。
 人口減社会に向う中で、コンパクトシティという考え方も示されている。人間の住むところをなるべくまとめ、効率よい運営をできるような街をつくっていこう、というのだが、これも考え方として理解はできる。
 これらを総合して考えると、何かすっきりしないものが残る。それは、解決策が見出せないまま、問題点だけを指摘されているからではないのだろうか。市町村合併は、限界自治体、限界集落が発生する中で、それを国が支えていけないから、近隣の財政力豊かなところに面倒を見てもらえ、ということだった。これも、一つの考え方である。我々の近くでいえば、静岡の北遠地域が、浜松市になった。政令指定都市となり、長野県境のかつての町が、政令指定都市の区になる。そこの隅々まで、支援できるのは、浜松のような財政力があればできる、と思う。ただ、そのことと、そこに住む住民が幸せかどうか、とは別の問題であろう。地方自治は、住民の声を聞き、その住民が幸せに暮らしていけるような施策を実現することだと思う。しかし、これだけ大きな自治体となって、そこがうまく回るのであろうか。これは、合併その後を検証しなくてはわからない。
 泰阜村にも、あと10年で消えていく集落が、最低でも二つはある。だから、いまからその集落住民は、移住させて、効率よくやった方がいい、といえるのだろうか。私は、そこに住む人がいる限り、その人の人生を幸せに完結させなければならないと考えている。それができるのは、行政しかないと思う。最近、その思いは、強くなるばかりである。行政、つまり役場である。役場がしっかりしていることが大切なのである。
 将来、消えていこうと、消えていくまで支えたい、そのためには、なるべく近くに政策決定できる自治体がなければならないのではないか。それが必要なことか、無駄なことなのか、そんな論議が展開されるようになる。私は、泰阜村の村民が、幸せに暮らしてもらうために、行政運営をしようと思っている。借金が多くても、苦しくても、そこに自治体があり、自治があれば、人は安心して生きられるのではないだろうか。限界集落がたくさんあって、大変というだけでなく、そこに生きている人たちを支えることを考えてほしいものである。
 結論は、だから国家として、小規模山村を支えれば、自ずとその問題は、解決するということである。

04:21 午後 | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック