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2006.10.27

プロ野球シーズンが終わり

 私は、身体も小さく、足も遅く、運動能力がないため、スポーツとは無縁できたが、役場就職以来、必要に迫られ、草野球を中心に、運動も体験してきた。スポーツ観戦は、大好きで、特にラグビーは、毎年楽しみにしている。それでも、やっぱり野球の面白さ、奥深さは格別である。今年も、草野球で、2回ほど、選手として使ってもらったが、年齢はどうしようもない。正面のゴロもとれず、恥ずかしい限り。
 それだけに、高校野球やプロ野球のレベルの高い野球のすごさがわかる。プロ野球の一軍は、選び抜かれた一握りの選手。その集団同士が戦うのであるから、これぞプロといえる。日本シリーズは、140試合以上戦って優勝したチーム同士の対決であるが、短期決戦であるがゆえに、明暗がはっきり現れる。勝った方のチームは、いいところばかり目立ち、負けた方は、まったくいいところが出ない。今年の日本シリーズも、日本ハムの若さ、思い切りのよさばかり目立った。中日に力がないわけではなく、うまくいかない、これは運なのか、めぐり合わせなのか、世の中とはそういうものだ、と思える歳になった。
 もともと、巨人ファンであるが、村長という職務になって、監督に注目するようになった。星野仙一にも興味をもったが、なんと言っても興味をそそられるのが、落合監督である。選手時代からオレ流なんであろうが、ものすごく頭のいい人なんだろうと思う。監督三年間で、優勝二回、昨年だって二位。結果が求められる世界で、これだけの成績を残すのだから、文句のつけようがない。巨人のように選手を集めて、結果として優勝というのと違う。補強でも、補強すべき部分を明確にして、必要な選手をとる。練習するのは当たり前なのだが、どのチームにも負けない練習をする。これも選手が、この練習をすれば、勝てるという意識を持たなければならない。監督側からいえば、そういう気持ちにさせなければならない。試合をみていると、落合監督がマウンドへいくタイミングが何ともいえない。一球前でもだめだし、一球後でもいけない。そこしかないタイミング、それは試合が終ってからなるほど、と思う。彼は、監督という仕事がどういうものか、中日というチームの選手をみて、こういう試合をすれば勝てる、というものを戦略としてもっている。負けたときは、監督の責任であることを明確にしている。前巨人堀内監督のように、ことごとく選手が悪い、といっているようでは、およそ監督とは言いがたい。私より、2年ほど若いのだが、落合監督から、学ぶべきことは多い。リーグ優勝の涙も落合らしい。
 職員によく野球の話をするが、今年は、もう一つ職員に話したことがある。日本ハム金村投手の監督批判である。あと一人アウトにすれば、勝ち投手になれるところで代えられ、監督を批判した試合の次の朝、職員にどう思いますか、と話をした。しばらくたって、もう一度その話題を出しました。これについては、豊田泰光さんも日経に書いていて、なるほどと納得しました。
 私は、「監督批判はいい。しかし、試合の運営は、監督にすべて任されている。監督批判をするときは、チームを去る覚悟で言わなければならない。」と。日ハムは、金村に処分を科したが、当然のことである。金村もこんな監督のもとでは出来ない、と去れば、たいしたものである。
 市町村合併問題で、私は、住民投票もアンケートもいらないと言ったのは、その判断こそが、トップや議会の仕事と思うからである。スクイズのサインを出して、失敗した選手が悪いのではない。スクイズのサインを出した監督の責任である。バントも出来ない選手にバントのサインを出したり、エラーをするような選手を使う、もしくは鍛えていない監督が悪いのである。これは、単純なことであるが、なかなかそう思えない。住民投票で合併に賛成した、もしくは、反対した住民が悪いということと同じである。だったら、住民投票などやらない方がいい。
 これを余りいうと、ワンマン村長とさらにいわれそうだが、職員も、こんな村長のもとで働けないなら、去るべきであると、私は考える。何も言わないで、仕事もしない、ただ静かに時間が過ぎるのを待つ公務員ばかりでは、自治体は、よくならない。落合は、そのことをよく理解し、実践しているのだろう。だから、孤独であり、だから優勝すれば涙が出るのだろう。いまのテーマ「私は、落合になれるか」。結論は、まだ出ない。
 妻が、一球投げるのに、こんなに時間がかかって、どこが面白いの、という。その一球にドラマがある。野球は人生の縮図である。来年も期待したい。

09:45 午前 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック