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2006.04.25

市町村合併第一幕を終えて

 平成の大合併といわれた、理念なき合併推進も支援措置を一年延長し、平成18年3月31日で第一段階が終了した。新法での合併が、18年4月1日にあり、市町村の数は、1820となった。1400ほどの自治体が減少したことになる。これは、かなり進んだとみるべきだ。当初、掛け声だけで、なかなか進まなかったが、平成16年度の地方交付税の大幅減で、加速された。とにかく、これだけ急激に(もちろん民間の改革と比較すれば、スピード感はないが)地方交付税を減らされては、やっていけないと考えるのも無理もないこと、と思う。テレビ「水戸黄門」に例えれば「ご家老、兵糧攻めの効果は、抜群でしたなあ」「お主の悪知恵もたいしたものよのう、越後屋」などと、料亭でほくそえんでいる人もいるのであろう。進まないといわれている長野県でも、約4割の町村が減ったのだから、推進する側からいえば、上出来であったのではないだろうか。これで、一段落といいたいところだが、県内町村の動向をみていると、新法推進の5年間のうちに、合併をしたい、と明言している町村長もあり、さらに推進されるものと思う。行政を運営している町村長の立場も痛いほどわかる。19年度以降、地方財政計画の縮小は避けられそうもなく、いままで以上の歳出削減をしなければならない。これ以上の歳出削減は、通常の考え方ではできないだけに、隣の大きな市や町の傘の中にいれてもらおう、ということになる。
 そうした選択は、住民サイドに立った場合、どうなのか。これは、支援期間が終る10年以降でなければわからない。多分、昭和の合併と同じ、つまり、周辺部は、疲弊していくと思う。昭和の合併では、疲弊してもまだ残ったが、今回の疲弊は、集落の消滅を意味し、泰阜村のような過疎の山村そのものも消滅させるのであろう。今の政治の方向は、それでよし、としている。戦後日本は、工業立国として再生され、農林業を衰退させた。泰阜のような狭い耕地で、諸外国と戦える農林業をやれ、といわれても無理なのであるが、それができないのは、知恵も力もない、そういうところは競争に負けるだけ、なのである。
 かつて、日本は、たとえ貧しくても一生懸命働いている人には、救いの手を差し伸べた。いい意味での共生社会であり、支えあい精神があった。現在の政治は、お荷物はいらない、と平然としているように映る。山村の住民が何か悪いことでもしたのであろうか。同じ法律のもとで、負担をしているが、数が少ないため、税金も多く集らないだけではないのか。
 村が198残った。泰阜村もそうだが、恐らく行政経費が、あと1億円あれば、なんとかやっていける。198の村に、1億円ずつ交付しても198億円である。198億円で、村がサービスをきちんとやってくれるなら、国の統治を考えても、国民にとってもその方がはるかに安定した、安心の国家ができる。政党助成金が270億円。あの国会を見ていて、政党助成金を半分、村へ交付した方が、よほど国のためになるのでは、と思うのだが。
 どうも愚痴になってしまってよくない。
 私は、お金だけで、合併を選択したくない。できれば、自立して10年間はがんばりたい。つまり、比較できる
そのときまで。なぜか、村の規模で、お金の使い方を決めるから、泰阜村民が安心して暮らせるからである。
 ただ、いまでいえば地方交付税、この財源保障がなくなれば、それも無理であるが、そんな政治でない
ことを信じるだけである。
 
 
 

11:16 午前 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック