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2003.06.26

道路特定財源に余剰はない!

 道路特定財源の必要性は、ずっと掲載のとおりです。ここへきて、新たな問題が発生しました。それは、道路特定財源の一部が本四架橋公団の債務処理のために回されておりました。これは、本四連絡橋はつくったものの、計画だけの利用がなく、建設債務が支払えない。本来なら、公団が責任を持つべき、しかし、できないので国の責任においてとなったのだが、お金がない。そこで、法律を作り道路特定財源から一部回していたのが、その返済の期限が切れた。その額約7000億円が、来年から余るというのだ。「余る」「余剰金」は、マスコミの言葉であるのだが、一般国民もそう思うかもしれない。しかし、下記のとおり、生活道路さえ出来ていないところは、たくさんある。そこをまずやるべきであったのだが、それをやらず、急遽、本四連絡橋のために、お金を回したということである。その返済が終ったら、本来の目的に使うのが当たり前。これは、余剰金などではない!と叫びたい。
 泰阜村にも大型バスが通行できるようになって、この下伊那の地が二車線道路で結ばれて、初めて道路財源のあり方が論議されるべき。どうか余剰金という言葉に惑わされないでほしい。
(従来からの主張)
小泉構造改革の気概は認めるものの、その中身は、都市が中心で田舎=山村をないがしろにするような発想が多い。この道路特定財源見直し問題も、国の財政危機から、そして道路整備はほぼ達成できたという、都市部の声によるところが大きい。戦後、行政のインフラ整備は、ほぼ同じ目標があり各自治体が競って進めてきた。しかし、地形、地理といった条件の違いはいかんともしがたく、整備進捗率は当然ながら差ができてしまった。さらに、整備は人口の多い中心部から進められ、周辺地域は遅れていったのです。我々の住む山間地にとって最大のインフラは道路であります。その道路改良は、やはり中心部から進められ、わが泰阜村は21世紀に入った今日も、「大型バス」が通行できない状態であります。修学旅行に行く子ども達を親が隣村の国道まで送り迎えをします。村人は、何とか自分の住む村からバスに乗って旅行に行きたいものだといいます。この素朴な願いを「無理」なことだ、という人はいないと思います。これ以上の高速道路が必要かどうか、それは議論が分かれるかもしれません。私たちが要望しているのは、村の中をせめて一本大型バスが通行できる道路を、ということです。この話をしますと、いまだに大型バスが通行できない村が存在するのかと驚かれますが、現実です。最近は、高速道路、高規格道路に対して生活道路という言い方をしますがまさに「生活道路」の要望です。
 また、戦後日本は過疎、過密という地域をつくりあげました。我々の住む過疎の山村にどのようなことが起こっているのでしょうか。かつて「公共性」があるがゆえに、官が行った事業が民間になり、人口減に伴い収益事業は採算性から引上げられました。村を走るJR飯田線は赤字路線で、本数が減り、公衆電話は採算がとれず引き上げ、民間バスは廃止され、いま村の唯一の移送手段は「自動車」です。山村はいま「車」がなければ生活できません。JR、地下鉄、バスが走る都市の渋滞対策より、田舎の道路整備のほうが国民生活上必要であると、私は思います。
 また、押しなべて高齢化率が高い山村では、介護サービスもすべて道路で行われます。集落が点在する村では、集落間を結ぶ道路も必要です。道路改良が進んでこそ、すべての村のサービスがスムーズに行くのです。
 道路整備はほぼ達成できたと言われる皆さんに、山村の生活実態を見ていただきたい。
 とにかく道路財源は死守しなければなりません。

 小泉構造改革の気概は認めるものの、その中身は、都市が中心で田舎=山村をないがしろにするような発想が多い。この道路特定財源見直し問題も、国の財政危機から、そして道路整備はほぼ達成できたという、都市部の声によるところが大きい。戦後、行政のインフラ整備は、ほぼ同じ目標があり各自治体が競って進めてきた。しかし、地形、地理といった条件の違いはいかんともしがたく、整備進捗率は当然ながら差ができてしまった。さらに、整備は人口の多い中心部から進められ、周辺地域は遅れていったのです。我々の住む山間地にとって最大のインフラは道路であります。その道路改良は、やはり中心部から進められ、わが泰阜村は21世紀に入った今日も、「大型バス」が通行できない状態であります。修学旅行に行く子ども達を親が隣村の国道まで送り迎えをします。村人は、何とか自分の住む村からバスに乗って旅行に行きたいものだといいます。この素朴な願いを「無理」なことだ、という人はいないと思います。これ以上の高速道路が必要かどうか、それは議論が分かれるかもしれません。私たちが要望しているのは、村の中をせめて一本大型バスが通行できる道路を、ということです。この話をしますと、いまだに大型バスが通行できない村が存在するのかと驚かれますが、現実です。最近は、高速道路、高規格道路に対して生活道路という言い方をしますがまさに「生活道路」の要望です。
 また、戦後日本は過疎、過密という地域をつくりあげました。我々の住む過疎の山村にどのようなことが起こっているのでしょうか。かつて「公共性」があるがゆえに、官が行った事業が民間になり、人口減に伴い収益事業は採算性から引上げられました。村を走るJR飯田線は赤字路線で、本数が減り、公衆電話は採算がとれず引き上げ、民間バスは廃止され、いま村の唯一の移送手段は「自動車」です。山村はいま「車」がなければ生活できません。JR、地下鉄、バスが走る都市の渋滞対策より、田舎の道路整備のほうが国民生活上必要であると、私は思います。
 また、押しなべて高齢化率が高い山村では、介護サービスもすべて道路で行われます。集落が点在する村では、集落間を結ぶ道路も必要です。道路改良が進んでこそ、すべての村のサービスがスムーズに行くのです。
 道路整備はほぼ達成できたと言われる皆さんに、山村の生活実態を見ていただきたい。道路特定財源を堅持し、来年から始まる次の5ヵ年計画では、地方の生活道路整備を進めなくてはなりません。
 とにかく道路財源は死守しなければなりません。

03:39 午後 | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック