2008.06.02

メタボ健診(特定健診)では医療費は下がらない

 平成20年5月8日付の朝日新聞「私の視点ワイド」でメタボ健診=医療費抑制は期待できないという、私の意見が取り上げられた。医療関係の仕事に携わっている方々から励ましの言葉を数件いただいた。それに関連し、日本経済新聞では、5月28日の「蘇れ医療」の6回目で、私のコメントを載せてくれた。
 泰阜村が集団検診を廃止したのは、平成元年のこと。これは、当時の診療所網野医師の方針を村が取り入れたもので、というか、網野医師の強い方針で決まった。当時も長野県の直診(市町村直営の診療所、病院)医師の間では、検診の有効性を認める人は少なかったが、しかし、自治体の方針として決めるところまではいかなかった。まだまだ、検診は、保健の分野では、もっとも大きな仕事でもあったし、検診さえ受けていれば健康というような雰囲気であった。
 網野医師が検診を考えるようになったのは、実は、検診を受けた人が3年続けて亡くなったことがあり、それを疑問に思ったからである。その後、検診というものを徹底的に分析、研究した。検診に熱心であった保健婦も、網野医師の研究に協力する結果となったが、冷静に考えれば考えるほど検診の効果について、疑問だらけということになった。たとえば、泰阜で集団検診を受けながらも亡くなった人の事例は、見落としであった。明らかにがんでありながら見落とされたケースがある。これを解決するのは、精密検査の割合を高くする以外にないということ。
つまり、正常と判断する以外は、すべて精密検査に回すことになる。となると、受診者の半数は、精密検査となる。また、検診の有効性を考えて、集団検診をやっている自治体は皆無であった。検診を受けていれば、健康であり安心とみんなが思っていただけで、科学的な根拠はなかったということである。また、バイアス(偏り)という問題がある。これは、健康に意識がある人は、検診も受けるが、意識のない人は、受けない。該当者の50%が受診すれば、まあまあ。70%も受ければ最高。つまり、受けない人のグループができる。その人たちは、健康に関して意識も低く問題なのだがアプローチできない。この皆さんは、呼びかけても受けないのだからしかたない、受けない人が悪い、ということになる。
 ちょうど泰阜村では、時を同じくして在宅福祉に力を入れており、科学的に有効性(検診の有効性は、死亡率の減少によって証明される)が確認されていない検診に力を入れるより、その財源やマンパワーを福祉に回した方がいいと考えるようになった。これは、網野医師のあと診療所長として活躍している現佐々木医師も同じ方針で10年間継続している。
 以上では、言葉足らずであるが、健診についてどう整理しているか、まとめておきたい。
 ①豊かになった時代、病気の発見、健康を守るということは、基本的に個人の問題として考えるべき。行政は、情報提供。もし、健康対策をやるなら健診(二次予防)でなく、一次予防に返るべき(たとえば栄養)。となれば、病気を発見したい人は、医療機関できちんとした検診(たとえば、人間ドック)を受けるべき。泰阜村では、基本検診として診療所で対応する。
 ②ただし、科学的に有効性が証明されている、子宮頸がん、乳がん(一部)等については、婦人科検診を実施している。
 
 泰阜村で集団検診を廃止して20年経過した。この20年間で泰阜村の胃がんや肺がんが増加したということはない。脳卒中の死亡が多く、その対策をやりたいということでそれに取り組んでいるが、その成果は、来年あたり保健師がまとめてくれると思う。胃がんがなぜ増えないか。この立役者は、保健師のがんばりでもなく検診技術が進んだわけでもない。冷蔵庫の普及にほかならない。特に、海なし県の長野では、冷蔵庫のおかげで塩分摂取量が減り、胃がんばかりでなく脳卒中にも貢献している。戦後、感染症対策もやって、それなりの効果はあったが、効果の大きな要因は、豊かになって栄養や環境が改善されたことと同じようなものであろう。
 今回、国は、医療費対策、大きくいえば社会保障費を2200億円しか増やせない状況のなかで、なりふり構わず「特定健診」に舵をきった。検診の有効性が証明されない中で、これしか思いつかなかったのであろう。
 しかし、誰が考えても、血糖値やヘモグロビンA1Cの上昇を抑えたり、中性脂肪を抑えたり、肥満を防止することで医療費が減るとは思えないのでは。いったんは、医療費はあがるという意見もある。また、数値の悪い人に保健指導をするというが、こんな厳しい世の中で、一日1時間も運動したり、好きなたばこをやめるような優等生が幾人いるのであろうか。もっといえば、どんなに健診うけて保健指導をしてもらっても、誰もが老いて死を迎える。医療費が一番かかるのは、終末期である。健診を真面目にやっている人や保健指導を受けている人が老いない、死なないというなら私もその効果をみとめよう。しかし、高齢化率38%の村でずっと福祉に取り組んできたが、いまだに100歳以上生きる人など稀である。つまり、人間も生物であり、生老病死、生まれて老いて病気になって
死んでいく。これは、どうしようもない現実であり、これを認めることから出発してほしい。
 元気なまま死なない。病気になって死を迎える。それが糖尿病が原因のいろいろな病気であってもいいのではないだろうか。若くて亡くなる人もいるが、相対としては長寿社会である。これ以上、長生き社会になってどうなるのであろうか。
 私の言っていることは、ごく当たり前のことである。それだけに、特定健診の受診率が低く、また保健指導の効果がないと後期高齢者保険の支援金を増額するなど、まったくナンセンスな話である。さらに、個人の健康感に国家が介入するような話で、これまた時代に逆行しているといわざるをえない。医療費を下げるなら他の方法もあろう。それが無理なら、国民にお願いし、消費税を上げて、診療報酬もきちんと上げて、いい医療を提供した方が国民はよほど幸せである。

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2008.04.30

道路財源諸税の暫定税率復活について

 4月28日の午後5時から45分間、西新宿一丁目で二回目の「地方の道路整備のために財源確保を」というチラシを配布した。この時間若者が多く、このチラシを受け取る人は、少なかったが、それでも手を伸ばし受取ってくれる人もいた。
 よく泰阜村長は、道路財源を守るような保守的な考え方でなく、暫定税率廃止、一般財源化賛成ではないのか、といわれる。世の中の体制に批判的な人間と思われているのだが、一応、鈍い判断力ながら、すべての問題は、自分の頭で考えて白黒つけるようにしている。この道路財源については、泰阜村で考えると「継続すべき」ということになる。
 なぜか。泰阜村の道路改良が遅れ、いまだ大型バスが通行できないこと、いまその改良が行われ、もう3年くらいで通行できる見通しがついたことなど、今まで何回も訴えてきた。
 つまり、道路財源諸税が制定され約50年。暫定税率で加算されて30年間。この間、泰阜村の村民で自動車等の所有者は、ずっと関連税を負担してきた。しかし、道路整備、道路改良は、人口の多い都市から始まり、我々地方の道路は、なかなか手がつかなかった。戦後泰阜の歴代村長は、選挙のたびに、道路整備だけを訴えてきた。そしてようやく、地方道路へも道路特定財源を臨時交付金として直入する方法が取られ、この10年ほど、道路整備がすすめられてきた。その地方でもさらに優先順位があり、国道が先で、県道はあと。県でも、通行量が多い県道から始められたので、泰阜のような過疎の山村は、ここ5年程前から本格的に始まった。
 あと3年ぐらいで修学旅行に行く子供たちも、泰阜村から大型バスにのって行けるようになるという期待が高まっていた矢先の暫定税率のストップである。日本の基礎的なインフラ整備である道路のために、我々山村住民もいままで税金を支払ってきたということ、いよいよ泰阜では、これからというときに、もう道路はいらない、無駄な道路をつくる必要ない、という声が高まっている。先に道路ができた地域の皆さんも、せめて山村の道路整備がある程度進むまで支援してくれていいのではないか、これこそ「思いやり」というものではないのか、と思う。それを訴えたい。
 今日、衆議院で再議決されると思う。もちろん、世論は、復活反対の方が多いだろう。当然であるが、誰かが負担しなければ、山村の道路は未改良のままである。もし、道路がいらない、と主張する人も、おそらく何らかの形で道路を使用していることと思う。その道路整備のお金は、我々山村住民もずっと負担してきて、それを先に活用したということを忘れないでほしい。だから、世論に反しても勇気をもって再議決してほしい。
 さらにいえば、今日は、租税特別措置法の復活。しかし、もう一本法律を通してもらわないと、地方の道路整備ができない。財源特例法で、10年道路整備を継続する法案で、来年から一般財源化する首相の方針と整合性がとれないという批判があるが、それはこれからよくつめてほしい。したがって、5月12日以降、なるべく早く再議決をしてほしい。2回再議決が必要だが、自信をもってやってほしい。
 総じて、私の私見を述べれば、あと5~10年で、地方のほんとうに必要な生活道路は、整備されると思う。その時は、特定財源でなく、一般財源としての新たな税金を考えるべきである。ただ、グローバルな時代に対応するため、空港も港湾も含めた整備を図るための財源とするなら、新たな法案で特定財源を継続すればいいであろう。
 また、使い道も国民に納得できるものにすることは、当たり前のことでいまさら触れる必要もない。天下りで、何千万円もの退職金を何回ももらうなど、とんでもない話。ただ、その話と道路改良は、わけて考えていただきたい。
泰阜村長として、衆議院議員各位に自信をもって再議決に臨んでほしいと伝えたい。

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2008.03.03

イージス艦の事故

 日本の防衛費は、5兆円といわれている。私も自治労組合員であったころ、防衛費を削減せよ、という訴えをしたことを覚えている。1960年、1970年の安保反対闘争以後、日本社会は、豊かになると同時に、安保反対や憲法9条問題、自衛隊の問題など、あまり議論されなくなった。それは、激しい学生運動もやった、あの団塊の世代が、社会の中心となる時代と重なっている。私も、自治労組合員から、立場が変わって村長となった。
 そんなことで、政府与党を応援することもあり、自民党の国会議員を応援することもある。もちろん、課題別ではあるが。そんな意味では、いい加減な人間になっていて、子供からも批判される。
 そんないい加減な人間ではあるが、2度と戦争をやってはいけない、という強い思いは、多くの国民の皆さんと同じであろうと思う。
 今回のイージス艦の事故で、まず思ったのが、国、国民を守るべき自衛隊が、善良な国民を犠牲にした、という事実である。こんなことが許されるのか、ということ。そして、その時、イージス艦乗組員全員で、漁船の乗組員を本気で助けようとしたであろうか、ということであった。
 たぶん、イージス艦側は、漁船の方がよけるであろう、と思ったに違いない。山間部で暮す我々は、出合いがしらの事故が多いので、カーブでは注意する。そんなところで暮していると、見通しのいい海で、しかも荒れていたわけではなく、天気もよかったという。そんなところで衝突することなど考えられない。なぜ、回避できなかったのだろうか。
 行方不明のお二人、また家族の皆様には、ほんとうに慰めの言葉もない。受け入れられない現実を、どうしたらいいのだろうか、私では答えが見いだせない。国会では、情報が混乱していることや防衛大臣の責任ばかり追及しているが、5兆円もかけて維持している、日本の自衛隊のあり方やそれを動かしている国会議員自身の責任を考えてもらいたい。
 シビリアンコントロールという言葉の意味は、役場職員でも知らない人の方が多いと思う。いま、自衛隊がほんとうに武装蜂起したら、日本は軍事国家になるのではないだろうか。
 私は、日本が他の国から攻撃されたら戦う。それは、わが村をわが村民を、国家、国民を守るための当然の行動だと思う。その心をあえて表現するなら愛国心である。
 今回の事故のニュースを聞いた時、訓練されているプロの自衛官に、実は、国家、国民を守る、という「心」がないのでは、と思った次第である。
 私は臆病でそんなことはできないし、情況も知らずかってなことをいうことをあえて許していただけるなら、漁船の親子を助けるために、自衛官が海に飛び込んで助けようとした、いったことがあったとしたら少し救われたかもしれない。ヘリコプターを三機も飛ばして、上司に報告にくる時間があったら、すぐ助ける行動はできなかったのだろうか。やっていたのかもしれない、でもそれが伝わってこないことが残念でならない。


 

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2008.01.21

新年を迎えて日本の政治を思う

 遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。今年は、子(ねずみ)年。子年は、いい年が多いと聞くので、平成20年は、いい年としゃべり、書いていますが、どうもスタートの感じは、それほどでもないような気がします。確かに、スタートから飛ばすと息切れするので、終わってみてどうかということで期待したいと思っています。
 さて、郵政民営化の選挙で自民党が衆議院で圧倒的多数となりました。そのせいもあると思うのですが、もしかしたらそれ以前からかもしれませんが、新しい法律や制度があまり議論されなく成立しているように思えてなりません。たとえば、「後期高齢者保険」がそうなのですが、日本が本格的な高齢社会を迎えるにあたっての医療費をどうするのか、また被保険者にどのように周知するのか、本質的な議論がなされたのかどうか、疑問です。法律が施行されてみて、これでは困るようなことがあります。
 国会の審議をみていますと、審議時間だけが確保されれば、あとは採決ということです。提案する政府与党が圧倒的多数でしたから、提出さえすれば通るということでした。これも時には必要でしょうが、国民生活に直結するようなことは、本質的な議論をしてもらわなければ困ります。
 ところが、参議院選挙で野党が多数になりました。今度は、法律が成立しなくなりました。これもまた困る話です。国会議員が困っているだけならいいのですが、国民が巻き添えになるとなるとほんとうに迷惑です。
 道路財源をめぐって対立しています。その財源に関しての私の考え方は、いまさら説明の要もありませんが、民主党が「ガソリン引き下げたい(隊)」などと称して、がんばろうと言っている姿をみると、もっときちんと議論してくれ、といいたくなります。
 私は、いまでも郵政民営化に反対です。山村に住むものにとって、民営化後の郵便局をみてもいいことはありません。JAの合理化もそうなのですが、国や組織にとってはよくても、住民サービスの視点ではいいことはないのです。そこを議論してほしい、とうことです。解散した小泉首相が、かっこいい、潔い、立派だという評価と郵政民営化の本質とは、別の話だったのです。
 いまの政治は「ポピュリズム」、大衆迎合主義というのでしょうか、選挙民の反応に振り回されているような気がします。負担は少なく、サービスは多く、と考える人が多いのは、当たり前です。日本の教育も、まず自分の幸せを考えるようになっています。自分以外の人の幸せを願う、忘己利他(もう(ぼう)こりた)の教えは、比叡山だけしかなくなってしまったようです。だから、道徳教育の復活も理解できるところです。仁、義、礼、智、信などという言葉も、言葉として知っているだけでは意味がありません。自分の地域は、これ以上の道路は要らない、という所もあるのでしょうが、まだ大型バスも通行できない自治体もあるということに思いを馳せる社会であってほしい。
 話はそれましたが、多くの人が反対しても、国家のため、国民のためやらなければならないことがあります。医療、福祉、年金などは、負担増なくしてサービスの継続は無理です。必要財源を提示し、そのサービス内容も明らかにして消費税をあげるべきです。後期高齢者保険の保険料や高齢者医療の窓口負担を急に先延ばしするようなら、最初から法律をつくるな、といいたくなります。もっと本質的な議論をしてからにしてほしい。
 ガソリンもしかり。この厳しい財政状況の中で、2兆6千億の収入を減らし、穴埋めするような方策があろうはずがない。歳出の合理化で1兆円浮かすと、藤井氏はいうが、どこを減らすのか説明してほしい。直轄事業の都道府県等の負担もなくすといっているが、その分事業費が減る。公共事業3%カットを継続していて、さらに直轄事業を減らせば、災害列島日本の治山治水はどうなるのか。ガソリン高騰の折、25円下げるべきという声のほうが世論調査で多いので、そうすべきだというのだったら、政治家はいらない。NHKに政策を任せた方がいい。
 例えば、今後10年間の暫定税率は、長すぎるというなら、当面5年にして、その5年間に道路財源のあり方を与野党で協議する。その結果が、一般財源としての環境税という結論であった、ということなら理解もできる。
 政治とは、国民の幸せのために真に必要なことを、反対があってもやっていく、ということだと思う。道路改良がこれからということもあり、最近の道路財源をめぐる国会議員の発言を聞いていて、次の選挙しか考えない国会なら審議などしてくれなくてもいいと思うこのごろです。
 

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2007.12.19

中学三年生との「村政を語る会」

 12月17日、泰阜村役場において、中学三年生との村政を語る会が開催された。いままで中学2年生が議場で「模擬議会」を行っていたが、それより、総合学習の成果として、村への提案を聞いてほしいという趣旨で開催された。中学三年生が、5班に分れ①泰阜村PRビデオ上映②小学校統合問題③少子高齢化問題④借金返済問題⑤福祉の更なる充実を願って、という項目で、それぞれのチームが発表し、議員、教育委員、幹部職員が感想を述べ、村長は、最後10分間感想を述べた。
 ①は、ドラマ風のビデオだったが、これだけのものを中学生ができる時代になったのだなあ、という感想と同時に女生徒の方が大人になっていると思った。ただ、画面では、そこが泰阜のどこだかすぐわからないところもあり自分の観察力のなさも感じた。②の小学校統合問題では、小学校高学年、中学生、保護者や学校の先生のアンケート集約がもとになっての発表。学校の先生へのアンケートというのはよかった。ただ、難しい問題で、答えもいろいろあり、学校統合がいかに問題多いか、という現れ。しかし、中学生として、小学生から怖いと思われているようなので交流会を開き仲良くする、という積極的な意見があり、頼もしく思った。バス通学も当たり前になっており、体力がどうか、という問題意識はあるのだが、では自分たちはどうかという視点がほしかった。③少子高齢化問題では、IUターン者へのアンケートを実施してくれた。これは、本来なら村がやるべきことなのだが、よくぞやってくれたと思って聞いていた。少なくとも戦後教育の中で、学校全体として、こういう問題に正面から取り組んだことがなかったと思うが、生まれ育った自分たちの村をどう評価していくのか、答えはないもののこの感受性豊かなときに考えたことは、将来きっと役立つと思う。20年早くやっていれば、山村ももう少し変わっていたと感じた。この問題は、木下副議長の意見=環境を整備することも大事だが、自分がこの村に住むという決意が先=がすべてだと思うが、これは村に生きると決めた大人の意見。④借金返済問題、これも面白かったが、自治体財政は、単年度決算で単純といわれているが、そうはいってもやはり詳細になると難しい。それでもしっかり勉強されたことに敬意を表したい。こんなこともいままで考えられなかったことではないのだろうか。この問題が、そんなに簡単に解決の道を示されては、村長や議員、職員の存在価値が疑われるが、少し我々のほうが理解が深くよかった。⑤福祉の更なる充実を願って、これが一番よかった。ボランティアの実践の裏打ちや障害を持った高齢者との交流もあり、我々もなるほど、と思わされた。この年代から、人間を尊敬することや高齢者を大切にすることを学べば、ほんとうにいい社会になるのであろう。戦後、こんな教育がされておれば、いまの施設収容型だけの介護にはならなかったと思う。
 こんな提案をいただいて、私が10分間、感想を述べることになっていた。時間は守る方なのだが、5分延びて15分しゃべった。信濃毎日新聞の松崎記者が終了後、生徒も村長、議員等もこれだけ本音で語る会はめずらしい、といっていたが、私もつい説教調になっていたようだ。いくら学習したといってもまだ中学生、そんなに真剣にいわなくてもほめておけば、ということでよかったのだが、どうもそれだけではおけなかった。まだ中学生ではなく、もう15歳、世の中の理屈をわかる年代として、つまり一人の人格者として認めてあげなくてはならない、と思っている。それが説教調にさせた。内容に、ひとつ、二つふれておくと、感想でも書いたとおり学校統合でバス通学の話があったが、自分たちのことに対する評価がほしい、ということ。当初、南は出さないといっていたスクールバスを途中から回すようになった。自分たちは、そんなバスに乗らなくても歩く、というような考え方はないのだろうか。また、借金返済問題で、道路改良はじめ、何項目か経費削減提案を出してもらった。それは、なかなかいい点をついていた。しかし、自分たちでまずできることはないか、という視点があってもいいのでは、というようなこと。
 つまり、提案を他人に納得させ、実行させるには、自らもそれに関しての律し方を示さないと響かないということである。いまの社会は、自分はコタツにあたりながら、早く雪をかいてくれ、と役所に電話するような時代である。自分は、バスに乗ったり、親に送ってもらうが、他の人は歩いてください。私は、寒いのでストーブを使ってますが、あなたは灯油を節約してください。というような気持ちはさらさらなかったと思うのだが、何となくそう聞こえたような気がした。お金の節約なら、お昼はみんなで弁当持っていくので学校給食をやめましょう、といわれれば、私は、感激してそこまで考えていてくれるのか、と言葉もなかったと思う。何とかしなければと考えるであろう。
 次の日、役場の朝礼で、あんなに言わなくてもよかったと反省している、と述べた。ただ、あそこでしゃべったことがすべてで、あいさつはあいさつで、陰に回ってあんな提案をしてとんでもない、などというようなことは言わない。
 就任以来、対立の続く村の行政運営を任されやってきたことは、主張は堂々公式の場できちんという、かけひきのようなことは絶対によくない、ということだった。たとえ、中学生でも私の感じたままをストレート、まあカットボールくらいだったが、そのまま述べた。
議会の一般質問で、答弁はいらないといっても、一言追加させてもらうこともある。何もそこまでといつも思うのだが・・・・。

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黒田投手のFA

 広島カープの黒田投手が100勝を達成し、しかもFA宣言せず、広島に残ったことに感動したことを過去に書いた。その黒田投手が、大リーグドジャースへの移籍を発表し、来年からは大リーグのマウンドにあがることになる。日本なら巨人が獲得に動き、クルーン、グラインシンガー、黒田となったかもしれない。日本の球団でなくよかったと思っているが、海外へもいかず広島でずっと投げていたら、私はさらに感動したと思う。
 しかし、あれだけの投手が自分の力を最高の場面で発揮してみたい、挑戦してみたいという思いもわかるし、それを悪いというわけではない。これにより過去の選択の評価が落ちることもない。これは前にも書いたとおりである。
 私は、野球が好きで、行政もよく野球にたとえる。野球と一緒にするのは、不謹慎かもしれないが、公務員にもFAを、ということが言われるようになった。山村のできる職員が給与の高い、大きな市へ引き抜かれるようなことがおきるかもしれない。泰阜村のようなところでは、これに太刀打ちできない。
 しかし、可能性としてその逆もあるのだろうと思う。大きな市の優秀な職員が、給与は下がっても山村のために働いてみたい、といって山村に移籍する。人間は、何のために働き、何のために燃えるのだろうか。
 構造改革以来、世の中の価値基準がどうもお金一辺倒になった気がしてならない。お金から離れ、人生意気に感じるような場面をみたいものだと思う。
 もちろん黒田投手は、お金ではなく、挑戦だと思う。
 広島は、新井が阪神へということで、投打の柱がいなくなった。大リーグからすごい選手を獲得するお金もないのであろう。来年は、どうなるのだろうか。高卒の若い、安い選手を鍛えて、あの巨人に対抗するのであろう。
 結果は、見えている。しかし、同じ人間、努力しだいでわからない。過疎の山村も、ほんとうに厳しい時代になった。でもがんばるしかない。そう、広島球団がモデルなのである。雑草軍団でいいではないか、広島にがんばってほしいものである。黒田投手も雑草軍団出身として、大リーグで活躍してほしいものである。

 

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2007.11.09

道路特定財源諸税の暫定税率継続を

 道路特定財源の堅持を!これについては、記載のとおりである。しかし、今年は、この道路財源について、様相が一変してしまった。それは、7月の参議院選挙で、民主党を中心とした野党が勝利し、参議院においては、自民党、公明党の与党は少数派になってしまったことに起因している。運の悪いことに、時限立法である暫定税率の適用期限が来年3月で切れるという時期と民主党勝利が重なった。その民主党のマニフェストでは、揮発油税等の道路財源は廃止し、新たな税金(環境税等になるのでしょうか)で対応するといった趣旨のようで、これに沿えば、当然この時限立法である租税特別措置法には、反対することになるのでは、と素人ながら推測する。道路特定財源の一般財源化という声が数年前から出るようになり、小泉改革でも一般財源化に道筋を開いたような議論がなされた。結果として、本四架橋公団の赤字返済を道路財源で肩代わりし、その返済が終わった時点での数千億円が余ったということになり、一部が一般財源に回せるというような話から、完全な一般財源でなく、道路に関係したような財源に使われることであった。そのころから、厳しい財政状況を反映して一般財源化議論は、表舞台になった。昨年12月、政府与党は、議論の末、この問題について一定の方向を出す、閣議決定された。
その概要は、道路特定財源諸税の暫定税率は、継続する。真に必要な道路整備を行い、その上での余剰財源は、一般財源化する、というものである。つまり、真に必要な道路整備に、道路財源すべてが使われれば、一般財源に回るところはない、と解釈できるから、ご安心くださいという決着だった。そのために、今後の道路整備中期計画を策定するということで、いろいろな意見が集約され、もうすぐ発表される。その計画実現には、道路財源がどのくらい必要か、ということで財源が議論されるはずであるのだが。
 これら暫定税率(本税の倍、ガソリンでいえば、1リットル24.3円が、48円60銭となっている。地方税も5円くらいさらに上乗せになっているが)は、継続される前提で考えられているのだが、これが継続されないとなると、道路整備の根幹にかかわることになる。
 泰阜村の主要地方道は、県道であり、いま急ピッチで改良が進められている。この改良費は、国が半分、県が半分というシステムになっている。たとえば、1億円の事業費と発表されると、それは国が5千万、県が5千万円。
長野県の話では、道路財源として300億収入があるが、半分の150億は、道路関係の借金返済にあて、残り150億円を維持、改良にまわしているとのこと。これが、単純に半分になれば、借金返済で財源が終わり、いまやっている改良は、ストップするという。村でも、譲与税として入る道路財源が2500万円ほど減ることになる。
 暫定税率が継続されるか、されないか、泰阜村に大型バスが通行できる日が近づいてきたのに、その日が限りなく遠のく結果となってしまう。
 これはなんとかしなくては、ただ陳情しているだけではいけない。そこで、田舎の道路整備は無駄ではないか、という意見がけっこうある都会で、実情を訴えることにした。一山村が、少しぐらいビラまいて、単なるパフォーマンスという笑い声が聞こえるが、いてもたってもいられない状況になってしまった。田舎の生活道路はまだまだ整備されていない。この暫定税率が継続されるかどうか、これは大きな政治問題。どうかご理解をいただきたい。
 
 

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2007.11.06

日本シリーズの中日優勝に思う

 日本シリーズは、中日が勝った。短期決戦では、チームのいいところが出たほうが勝つが、今シリーズも中日のよさばかりが目立った。私には、落合監督というのは優れた頭脳の持ち主だとみえる。それは、彼の采配は、奇策でもなんでもなく、理論があり、選手を納得させると思うからである。
 今シリーズでは、なんといっても最終戦のパーフェクト投手山井を代えたこと、これが話題を呼んでいる。私は、9回は岩瀬だろうと思っていた。この投手交代については、球団に抗議電話があったり、多くの意見が飛び交った。
 野球を外から見ている人は、結果論でものをいう。もし山井続投で、ホームランでも打たれたら、なぜ岩瀬を出さなかったというであろうし、岩瀬が抑えたからよかったものの、岩瀬が打たれたら、さらに批判は強まったであろうと思う。しかし、この試合を含め、勝敗の責任は、監督でしかとることができない。落合監督は、そこのところが明確である。我々は、あくまで野球を好きで、あのハイレベルのプロ野球を楽しんでいる。それは、捕手のリード、監督の采配を含めて、野球そのものを楽しんでいる。だから、落合野球を、なるほど、といってみればいいのであるが、いつのまにか、自分の意見が正しいと思うようになってしまう。
 小笠原を5回ツーアウトで代えたときも、含めて、非情なおれ流采配、といわれるのだが、いいではないか、と思う。こんなことに共感するのは、実は、最近の行政も同じようなことがいえるからである。
 とにかく、世の中、文句がいいやすくなった。言われて当然ということも多くあるが、この人から、そんなことは言われる筋合いはない、と思うことがよくある。また、野球と同じように、行政も結果が問われる。しかし、選択したすべての結果がいいなどということはない。一生懸命やっても、だめなときもある。それは、私の責任だ、と思っているのに、それを責められても答えようがない。言わなくてもそれは了解されている社会であったと思うのだが。
 落合監督が「ベンチの中でしかわからないことがある」といったが、最近は、「お前に任せた」ということが少なくなっているのではないだろうか。私なども、支援者から、選挙のあとは任せた、しっかりやれ、ということをいわれると大変ありがたいし、責任を感じる。逆に、いちいち注文をつけられると、何のために支援してくれたのか、と思うようになる。
 落合監督を見ながら、いいたいやつはいえ、雑音に惑わされず、決められたルールのなかで、最高目標を目指してがんばるだけ、という覚悟を感じる。私にそれだけの覚悟や能力があるのだろうか、と思うと残念ながら落合監督には及ばない。
 山井を代えて岩瀬に、日本一になるために、組織として最良の選択をする。山井個人の記録より、チームの勝利の方が大事、それを選手も理解しているのであろう。そして、結果はすべて監督の責任、というこれほどの明確なメッセージはない。こんなトップと組織になりたいものだ、これが日本シリーズの感想である。

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2007.10.02

安倍首相から福田首相へ

 私は、平成6年の村長選挙で、当選したら村長室から出ます、と約束しました。いまでいえばマニュフェストなんでしょうが、そんな小さなものまでいれた後援会だよりを出しました。その中には、村長と話す会の開催、村長や役場職員、議員ばかりを表彰するような村の表彰規定の見直し、なども入っていました。運よく当選して、その後一週間で、村長の机を事務室に移しました。村長室は、いま応接室として使っています。使用頻度からいえば、もったいない空間ですが。その応接室に安倍総理大臣と私が握手している写真が入った額がおいてあります。
 今年の5月21日、平成18年度後半で、構造改革特区や地域再生計画の認定がなされた自治体に対し、首相官邸で、安倍総理大臣から認定証の交付がありました。泰阜村の地域再生計画も該当していました。今回は、首相じきじきに交付というので、地元の町村長会を欠席して、東京へ向かいました。首相官邸などめったは入れないと思いますが、案内がいなければ迷うような広さ、かといって余分なところを見学するというわけにもいきません。一生に一度であろう首相官邸入りが実現しました。
 安倍総理到着し、あいさつのあと、それぞれの市町村長に認定証が交付され、その都度首相との記念撮影が行われました。そのときの認定証のなかにその写真を飾ってあります。がんばる地方応援プログラム等地方支援も打ち出し、7月の参議院選挙に向けて自信満々(?)だったと思います。お互いいい顔して写っていると思っています。そのときの安倍首相の顔と辞任表明の顔、特に総理最後の病院での会見の顔と比較すると別人のような気がします。参議院選挙も数は減るだろうが、あそこまで負けるとは思っていなかったであろうし。
 小さな村の村長と首相と比較しては失礼だが、もうやめた、という心境になった安倍さんの気持ちは理解したいし同情したい。しかし、泰阜の村長でも、もうやめた、といったら怒られるであろう。それが一国の首相である。参議院選挙で小沢をとるか、私をとるか、といって、小沢にとられても辞めなかった人が、国会(国権の最高機関)でこれからの日本にためにがんばります、とあいさつしたあと、もうやめた、では無責任極まりない、と批判されて当然であろう。それだけの人物だった、といえばそれだけだが、育ちのよさだけでは、風雪に耐えられないことがよくわかった。盛田和夫氏が西郷隆盛を高く評価し、その教えを信条としていると書いている。その盛田氏が、西郷隆盛も最初からあれだけの人物ではなかった。彼は、苦難を経たからこそ、胆力がついたといっている。特に、島流しで、牢獄に入れられそれに耐えたことをあげている。そんな苦難に出会いたくないが、安倍総理もやるといった以上ここを乗り切れば、道も開けたのかもしれない。
 安倍首相をかばう人もなく、福田首相へとバトンタッチされた。議員内閣制で、大統領と違うので、リーダーシップというより、チームワークで仕事をやると考えると、福田首相は適任では、と思う。
 人間など勝手なもので、私も昨日と違う適当なことを今日はしゃべって生きている。今年の9月議会では、蛇口をひねれば水が出る、これは当たり前だが、そのために職員が努力している。それは当たり前なんだが、行政というのは、そういうもの、という話をした。つまり、取り立てて何かを、ということでなく、平穏なうちに毎日が過ぎていく、その日々の努力がまず大事。福田首相は、常にそういうようなことをいいそうな雰囲気を感じる。それを安定感というのか、リーダーシップがないというのか、この評価は次の衆議院選挙でわかるのであろうか。
 今回のこの首相交代劇をみて、やはり世の中先のことはわからない、と感じた。何があっても落ち込まず、日々努力していれば、いいときも来ると考えよう。そして、もっと感じたのは、健康、体力。政治家のもっとも大事なことは健康である。ただ、私は、村民の皆さんとの酒を断ってまで健康を考えて村長をやりたくないが、今日まで一日も休まず仕事ができたことに感謝したい。
 国民の痛みのわかる首相であってほしいことを願いながら福田内閣の活躍を祈ります。

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2007.08.31

国土の均衡ある衰退?!

 最近、竹中平蔵氏が、改革が進まなければ「国土の均衡ある衰退」になるだけ、という発言を繰り返しています。かつて、田中角栄総理大臣に代表される地方の基盤整備を進めるころ使われた言葉は「国土の均衡ある発展」でした。我々が、山村から発言するとき、そもそも日本の国土づくりの基本は、国土の均衡ある発展であるはず、といってきました。それを、言い換えたものですが、表現だけとれば、なかなかうまいことを言うなあ、ということになるのですが、構造改革を進め、地方自治体を苦しめ続けた竹中氏だけにそうはいきません。
 竹中氏の発言は、構造改革(何の構造を改革するのかわかりませんが)を進め、経済成長力をつけ、国際競争に勝ち抜くことにより、日本は豊かな国家を継続することができる。そのために、地方だ、弱者だ、というようなところにお金を回していてはだめだ、ということです。地方の基盤整備や過疎も脱却できないような山村にお金を使っても無駄、成長も止まるし、国全体が衰退するということ。国が成長を続けることによって、国民がいい生活を送ることができるし、成長のおこぼれがあるから、地方も生きているのではないか、格差などという生意気をいうな、と聞こえてくる。さすが、アメリカと深い関係にある竹中氏だ。
 私も日本の経済活動をすべて否定するつもりはない。地球上の60億の人類の多くが飢えている中で、我々は、ものがあふれ、飽食でたべ物を捨てるような生活をしている。それもこれも経済成長あったからではないか、この生活水準を下げることなどできない、見方もあるであろう。でも、どこかおかしい、何かが違うと思う人が多いのでは。
 歴史などきちんと勉強していないが、我々が生きてきた戦後の貧しい時代を振り返ると、その古きよき時代は、1000円儲けると、そのうち500円は、次の投資に回し、残った500円を貧しい人や弱い人に分配する社会だったように思う。竹中氏の言い方は、1000円儲けたら、その1000円を使って、2000円儲けるような改革、投資を進めるべきだ、と聞こえる。再分配されない層は、耐えておれ、2000円儲けたら100円くらい回してやろう、という感じである。
 私も贅沢な生活をしたい、といっているわけではない。山村(広くいえば地方)でも、せめて人間らしい、安心の暮らしを送りたい、ということ。我々が努力していないのではなく、必死で努力しても、その条件により成果が現れないだけのことである。また、山村住民だって、納税を基本として国民としての義務を果たしていることを忘れないでほしい。地方自治体の立場でいえば、国民としての村民に、きちんとした福祉、教育サービスを提供し、治水治山を進め、住の安全を提供するための財源が必要、不足するならそれは国家で財源保障することといっているだけのことである。これが、地方のわがまま、といって切り捨ててきた結果が、参議院選挙につながった。
 国、地方合わせて800兆を超える借金があることも承知している。これも解決しなければならない。そのために増税が必要なら、地方への配慮さえ明確にするなら、我々も当然住民を説得する。また、歳出の無駄もなくしていく努力をする。それもこれも、政府と地方に信頼関係あってこそであり、地方重視の予算配分をすれば、均衡ある衰退などといわれれば、次の衆議院選挙も厳しいと自覚してもらわねばなるまい。
 

09:53 午前 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)