2010.02.05
横綱朝青龍の引退に思う
貴乃花理事当選の中でも、封建的な相撲協会の改革、日本の文化としての相撲道の躍進などに期待している趣旨を述べましたが、相撲道に関していえば、それは、朝青龍の存在を意識してのことです。高砂親方の指導力不足、つまり師匠と呼べない親方であることは、衆目の一致するところのようですが、その親方が会見で「朝青龍。そのまんま・・」と述べている。数々の問題行動も、まさに朝青龍らしい、ということで、それは、子供のときも、日本へきてからも、関取になっても、横綱になっても、そのらしさを失わなかったということでもあります。
私は、村長に当選したとき、庶民のまま、このままの村長でいよう、と思いました。いまでも軽トラックで通勤していますが、いまでこそみんな当たり前だが、就任当初のころは、村長が軽トラックでは、という声も聞いた。集落へいけば、一区民で、区長のもとで与えられた役割を果たす。家では、わずかの水田を耕す。風呂の薪もつくった。つまり、村長という肩書に、自分を合わせることはやめよう、と考えてきました。そう考えると、朝青龍も横綱という肩書でなく、自らを「いままでにないタイプ」と称しているところをみると、自らのスタイルで戦ってきた、という自負があるようだ。これがいいのかどうか、ということになります。
日本の伝統文化は、神に通じ、そこには、人間の奢りを超えた敬虔な思想がある。それを作り上げたきた日本人の心こそ、日本という国の礎ではないだろうか。私は、弓道をライフワークとしているが、弓矢は、狩猟道具から、戦の武器になり、鉄砲の出現でその役割は消えた。しかし、武器としてではなく、人間修養の道として発展させてきた。実は、武器の時代でも、それが仁の道であるという考え方があったのですが。そして弓道も経験を積めば積むほど問題にされるのが、射品、射格、これに人格を加え、品格が問題とされます。これは、弓だけではなく、柔道、剣道、その他武道も同じです。相撲もまさに、そうであると思います。
武道では、勝負に勝っても、敗者にも気を配り、まずは、試合をさせていただいたことに感謝し礼をします。相撲も勝ち名乗りを受けて、互いに礼をします。その前に「ガッツポーズ」をすることは、礼を失していることになります。朝青龍が懸賞金を受け取るとき、いただく、という感謝の念はなく、自分の分け前をわしづかみにする、というようにみえます。つまり、内館牧子さんが言っているように、日本の文化に守られた伝統の相撲道で、一時代を築き、財をなしたのだから、その文化を守り、その心を理解すべきです。それが理解できなかった。それは、そのまんま横綱になったという問題とは、違います。相撲界の最高位についた横綱は、相撲道が守ろうとしてきたものは何か、なぜ、礼を大切にするのか、そのくらいのことは考える必要があります。わからなければ、教える人がいります。教えてもだめなら、やめる以外にありません。今回の朝青龍の引退(事実上の解雇)は、同情の余地がありません。
村長の仕事は、公共の福祉に資する、いってみれば、住民の幸せのために骨を折ることです。雪が降りました。職員に「自分の家の雪かきは、あとになっても、まず住民生活に支障があるなら、その除去のために動くことが先。公務員の仕事は、滅私奉公といわれる。まさに、私を捨てなければならない」といった話をした。私も村長としての品格もなく、そのまんま村長をやっていますが、自分のことではなく、住民サービスこそが行政の仕事、という考え方だけは、いつも確認しそれを成長させなければ、それくらいのことは考えています。
朝青龍のあの戦いぶりをみていると、格闘技に向いています。ルールのしばりがない格闘技で、相手が倒れてもさらに攻撃したり、派手なガッツポーズをやってくれればいいのです。モンゴルへ帰り、銀行の頭取でもいいのでしょうか。しかし、相撲道に身を置いた人間として、相手を思いやる心や礼を大切にする行動をしてほしい、それがないとしたら、相撲に強かっただけで、相撲から何も学ばなかったことになります。
さて、ヒール役がいなくなり、相撲人気が落ちる懸念がされています。落ちていいと思っています。これからが貴乃花をはじめ、若い親方衆が結束して、ほんとうに魅力ある相撲界にしてほしいと思う。弓道では、「人に感動を与える射」を理想としています。弓を引いてきて離すだけのことで、感動を与えることができるだろうか、それでもそれを求められます。私の腕では、一生そんな弓は引けないと思いますが、目標はそこです。相撲も時間をかけて、ほんとうに我々が感動するような取り組みを実現してほしいと思います。朝青龍を引き合いに出しての人気保持は、いまの政治にように、支持率やマスコミ論評だけに振り回される軽薄なものです。政治も相撲も、世の中全体も、もっと深いところで感動し、感激し、心から拍手を送るようなそんな本物の価値を探したいと思いながら新聞を読みました。
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2010.02.01
貴乃花親方理事に当選!これからどうなる?
持ち票7票と言われた貴乃花親方が10票獲得し、理事に当選した。封建的な相撲協会に、一石を投じて、破門されても理事に立候補した親方が当選したことに心から敬意を表したい。無記名投票になったという選挙方法も追い風だったかもしれないが、何より、相撲協会がこのままではいけない、と考えていた関係者がいたということもわかってさわやかな気分になった。さて、これからどうなるのだろうか。過去の事例を参考にすれば、破門されたり、無理に理事になった人は、閑職に追いやられるということらしい。理事会では、たぶん、貴乃花は、孤立するだろうし、その主張は、取り上げられないと思う。名古屋の河村市長はじめ、住民から選ばれたトップでも、反対派が多数を占める議会を相手に悪戦苦闘している事例は事欠かない。住民から選ばれたトップでもそのような状況になるのだから、封建的な相撲協会の理事会は、大方想像できる。しかも、理事長が貴乃花の行動をかなり批判しており、貴乃花も思ったようなことはできないと思われる。
私は、謀反は、成功してこそ価値があると思っているが、しかし、成功しなくても、自らが一石を投じなければならないときに、結果を顧みず行動するという情熱、若さも高く評価したい。そう考えれば、これは、一門から破門されても立候補したということで第一段階は成功。次に、当選できないと見られていた理事に当選したことで第二段階成功。あとは、理事会でどんな行動がとれるかどうか。
財団法人でもある相撲協会だから、理事会は、当然公開されるべきだと思う。もしかしたら、いままでも公開されていたのかもしれない。ただ、どうせ大した議論もされない、と思ってきたので興味がなかっただけでもある。しかし、この騒動を機に、理事会議論が情報として流れ、貴乃花理事の発言がマスコミ等で報道されれば、いいのでは、と考える。もともと利権渦巻く相撲興行の歴史があり、それをすべて否定するつもりもないが、一方で、日本社会は、相撲も武道もその倫理性を大事にし、その徳育的効果を大事に育ててきた。だから相撲道という言い方もされる。柔道、剣道、弓道みんな競技でありながら、勝ち負けだけがすべてではない、その取り組みの中で、仁、義、礼、智、信といった人間としての修養を最高目標に掲げてきたと思う。その相撲道を青少年に広め、相撲を日本文化の原点として考えられるような地道な取り組みをしていく必要があると思う。私のような素人でもそう思う。それだけに、横綱朝青龍のような行動は、とても相撲道から外れていると思わざるをえない。貴乃花親方の意見は、聞いたこともないし、どう考えているか分からない。しかし、私の思うことと、そう違わないのではと考えている。他の親方、理事もそんなことはわかっている、というかもしれない。
今、我々の社会で一番困るのは、わかっている、といって何もしない人たちではないだろうか。相撲協会もこれだけの問題を持ちながら、何ら変わっていくように見えない、ここに怒りを感じたのが貴乃花と思いたい。
昨日、民法の報道番組をみていたら、相撲日本一を目指してがんばっている女子高校生二人が紹介されていた。そんな皆さんかた期待されて相撲協会になってほしいものだ。
たぶん、閑職に追いやられ、力も発揮できないと思うが、世論が味方すれば、また違うのかもしれない。年功序列で、相撲が強くて年寄株を持った人でなければ幹部になれない組織、そんな封建的な組織でも、なんとかしたいという若き理事の誕生に拍手を送りながらこれからも応援したい。
旧態依然とした泰阜村役場も相撲協会になっているのかもしれない。貴乃花理事のことより、わが足元を見つめなおさねばと思いながら・・・・。役場より、自分自身は、朝青龍を批判できるような人間だろうか、とも・・・。
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2010.01.21
貴乃花親方の相撲協会理事選立候補
平成22年も20日以上過ぎてしまいました。うちの役場職員が乗ったあとの公用車をみると、ラジオの選局は、ほとんどFMになっている。FMでもニュースは、やっているのだろうが、その選局から、およそ世の時事問題を積極的に聞こうという感じは受け取れない。朝、新聞を読んでくる職員も限られているのだろうと思う。それは、自分の若い時を思い出しても同じであるからよくわかる。それでも、たまに言う「噂話に花を咲かせていないで、世の中の動きに目を凝らし、世の不条理に憤りを感じるような」生き方をするのが公務員ではないかと。朝礼という行事をやっていて、私がいるときは、私がしゃべる。各担当の日程を聞くだけのときもあるが、感じたままのことをいうときもある。長くやっているので、職員も村長が触れることの予測をしているのかもしれないが、その予測がはずれてこそ、私の価値があるものと思っている。
さて、前置きが長くなったが、相撲協会の理事選挙に貴乃花親方が、二所一門を離れても立候補する、という報道があった(貴乃花は、宮沢りえと別れたので快く思っていなかった)。この話題を朝礼で話した。ほとんどの人は、何のことかわからなかったと思のだが、相撲のことが少しわかっている人なら注目すべき話題である。相撲界と聞いて、何を連想するか、「封建的」。封建的というのは、決して悪いことばかりでなく、日本という国の社会常識の基本は、封建的で、だからこそ秩序ある社会が保たれてきたと考えている。自由をはき違え、自分勝手なことを許し、自主性と称し、子供たちに勝手なことをやらせるような社会の方がおかしいと思う。しかし、相撲界の封建的なイメージは、善は善なのだろうけれど、どう考えても旧態依然とした体質から脱却しなければいけない時期なのに、なにも改革できないではないか、ということになる。理事の改選といっても、各一門から順番で選ばれた理事候補が、選挙にならないように調整され、当選していく。横綱朝青龍に、注文付けるのは、内館牧子さんだけ。私がみてもあの懸賞金の受け取り方、にらみ合う態度、土俵を割った力士を突き飛ばす、これも朝礼で話したが「ガッツポーズ」など、注意すべきことはたくさんある。理事長は、親方に多少いうだけ。高砂親方は、顔つきどおりやさしいようで、横綱に何も言えない。巡業で力士が稽古しないという、嘆くだけで稽古するようになったという話は聞かない。本場所では、手に汗握るような取り組みはほとんどない。このような姿をみていると、相撲協会は、永遠に改革できない、と思ってしまうが、その時に「貴乃花」が二所一門を離れても理事選挙に立候補するという。波風を立てずに、順番を待っていた理事候補は、困ったと思う。ということで、貴乃花のその意気込みは、たいしたものだ、2月1日の選挙を注目している、というのが、私の話であった。
2月1日にもう一度話をしたいと思っている。ここでは、先にその話を書いてみたい。貴乃花に拍手を送る人は、多いと思う。では、立候補だけでいいのか、ということである。今回の貴乃花の行動は、いまのままの相撲協会では、だめだ。改革すべきことが多い(これについて、ある新聞が、どのように改革するのか、述べられていない、と書いたが、そういわれれば、目指す方向は、我々にはわからない)、そのために私は、理事に立候補する、ということだ。ここで「謀反は、成功しなければ意味がない」ということをどう考えるか、だと思う。相撲協会の改革が目的だとしたら、それを実現させなければならない。いまのところ、行動をともにする6人の親方に、自分を入れて7票というから、当選ラインに達しない。そもそも親方だけが選挙するというこの仕組みだっておかしいのだが。当選しない場合、もしくは、当選しても理事会決定は、多数決だから、貴乃花の意見は、ことごとく葬り去られるのかもしれない。となると、貴乃花の行動は、一石を投じた、波紋を広げた、ということで終わってしまうのかもしれない。
しばらく前に、自民党加藤鉱一議員が「加藤の乱」と称して、政界再編のために自民党を出るといった(?)ようなことがあったが止められて実現しなかった。泣いたようだが、泣いて終わるというのは、とても謀反とはいえない。これを思うと、二所一門から破門されても出る、という貴乃花の態度は、立派であると思う。
この件に関し、理事長(元三重の海)が、貴乃花の行動を批判したというが、貴乃花の意見も聞き、改革も前進させよう、といって、二所一門をまとめたといえば、理事長として立派だが、協会の代表が、理事の選挙に立候補しようとする人間を批判し、昔の一門制度を死守しようとする態度が大問題であることがわからないようで困ったものである。
さて、私は、思う。人間は、一石を投じなければならない、ときもある。謀反を起こさなければならないときもある。しかし、謀反は、成功しなければ、反乱軍として鎮圧されてしまう。親方の中に「あと4~5年もすれば貴乃花の時代が来るのに、バカなことをいましなくても」という声もあるようだ。それも事実だろうと思う。それでも、ここで行動を起こさなければ、と考えて立ち上がる人間に魅力を感じる。自分では、出来ない、と思えばこそ、余計その若い心意気をうらやましく思う。みなさんはどう思うのでしょうか。成功しないような謀反は、やめて、時期を待つべきか、たとえ、成功しなくても自分の意思どおりやってみよ、もっといえば、自分が貴乃花だったらどうするでしょうか。2月1日を注目したいと思います。
11:37 午前 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2009.11.25
来年度(22年度)国の予算編成に思う
民主党鳩山政権が誕生し、もう2カ月以上経過し、注目は、どんな来年度予算を編成できるのであろうか、ということです。その前段、事業仕訳が、これまた注目されています。私は、構想日本が活動を開始してから、ずっと構想日本を見てきていますが、加藤代表がやろうとしていることは、官僚いじめでもなければ、国家にとって大事な支出を勝手に切っていく、といった単純なものではありません。その深い考え方は、時間が経過しなければわからないと思います。事業仕訳で、何兆円も浮くわけではありませんが、こんなところに、こんなにたくさんの予算が使われていた、ということが公開されただけでも、物言わぬ、というか、物言えぬ国民は、陰で拍手を送っているような気がします。ただ、税収がここまで落ち込み、マニフェストも実行しなければ、と考えれば、私なら、22年度に限り、主要政策以外は、一律10%カットのシーリングをやります。95兆のうち、10兆円はカットできないとしても、85兆の1割なら8兆円は、減らせます。
なぜ、そういうか。地方自治体、特に、財政力のない町村は、平成11年度からの地方交付税減に対応するため、歳出削減をやったのです。三位一体改革といわれた集中期も含めれば、泰阜村の予算25億円の規模で、4億円、約40%の削減を受け、20億円の予算にしました。いつもいうように、村は、紙幣の印刷機を持っていませんので、カット以外ありません。泰阜村以外の自治体もみんな取り組んだのです。人件費は、どこも20%以上削減しました。もちろん、特別職も例外でなく、私も20%減らしました。その他も減らしました。あるお金の中で、やる以外なく、知恵をしぼったと思います。
地方自治体は、それをやってきたので、まだ、国は甘い、と思っています。これは、11月18日の全国町村長大会での意見発表で3人の代表がみんな触れたことです。何千億、何百億という話は、直接ピンときませんが、節約する気になればできるのでは、と思うのです。今度も東京へ行って思ったのですが、議員会館が新しくなりました。来年の春には、完成し、引っ越しもされるでしょう。古い会館は、壊され駐車場にでもなるのでしょうか。しかし、こんな時期にやらなくてもいいではないか、と思います。仮設トイレが設置されていますが、私の村役場の本トイレより立派です。
それでも、事業仕訳をしたり、約束を守ろうとして一生懸命やっている閣僚の姿は、新鮮に映っています。これから鳩山政権の支持率もだんだん下がるのでしょうが、それでも前よりいいのでは、と思っている人が多いのではないか、これが村人の会話から受ける印象です。自民党の代議士のみなさんには、ここのところがよくわかっていないのでは、と思うこのごろです。
つまり、民主党政権になっても、まだまだ甘い。もっと、国会議員から歳出削減を考えてほしい、というのが国民の声だと思う。我々の地域は、ここまでできた三遠南信道路の予算大幅削減、大型バスが通行できない泰阜の道路改良も先行きわからない中で、政権交代も受け入れなければならない。国会議員の数も含め、まず国会や内閣が範を示して、国民からなるほど、これなら増税も受け入れようという予算を編成してほしいものだ。
10:36 午前 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2009.09.01
衆議院選挙でに民主党大勝に思う
第45回衆議院選挙は、大方の予想通り、民主党の圧勝であった。27日付の朝日新聞朝刊の予想がどのくらいの的中率なのかと思って、とっておいてみた。民主党320に迫る、自民党100前後という予想からすれば、最後に自民党が巻き返したということだろう。この日8月30日、わが泰阜村は、村の大イベント「第14回高原ロードレース大会」が開催された。去年の秋以降、いつ解散してもおかしくない、という状況の中で、何とか村の行事と関係ないときにという願いもむなしく重なってしまった。結果論でいえば、麻生総理誕生後、すぐ解散すれば、これほどのことはなかっただろうと思うが、これも意見の分かれるところである。
今回の選挙に関し、朝日新聞がオピニオンのぺージ(8月23日付)で、私の意見を取材し載せてくれた。紙面の都合で、私の思いがすべてのったわけではないが、趣旨は、伝わったと考えている。そんなことも思いながら感想を述べたい。今回の選挙は、我々の周りいる国民としての生活者が、やり場のない怒りを投票用紙にぶっつけたと考えている。子育て世代は、仕事もなく苦しみ、壮年層は、年金や介護の不安、高齢者は、後期高齢者保険で差別されて。しかし、それも仕方ない、国も大変なんだから我慢しよう、とわかっている。それにしては、政治家はどうなのか。官僚はどうなのか。もっとやるべきことがあるのではないか。総理大臣は、メガネが合わないのか、原稿の字が小さいにか知らないが、字くらいまともに読んでほしい。わが国を代表する総理大臣が漢字を読めないのに、学力テストのできを論じているような国でいいのだろうか。国会議員の給料や公務員の給料だって、減らしてもいいのではないか等々あふれるほどの不満があったように思う。政府与党には、国会でも、選挙でもその不満を聞いて、できないまでも理解している態度がほしかったと、みんな思っていた。
それなのに、麻生総裁の演説は、民主党批判に終始したように思う。各地の候補も同じようであったと思う。民主党が政権を担って、やってみてできなかったら批判も聞ける。しかし、まだやってみていないのだから、できるかもしれない。もちろん、私のような行政マンを長くやっている人間では、無理じゃないかと思うけれど、そんな人はごくわずかしかいない。やっても見ないうちに、他人を批判するな、自民党は、何十年も政権の座にいながら、できなかったではないか、と思われた。選挙で相手の批判ばかりは、やはり見苦しい。私もそんな人間だったが、先輩の吉田参議院議員に教えられた。相手の悪口を言ってはいけない、と。そんな政治家がいる自民党なのに、残念であった。国民というか、毎日一生懸命生きている生活者、泰阜村の人でさえ、今度は、民主党に、と言った。この気持ちがおそらくわかっていなかったのではないか、もっと早く気づいて、手を打つべきだった。
地方行政で一言言わせてもらえば、全国町村会が昨年の秋の大会で「道州制反対」を決議した。その道州制導入の基本法を数年後に制定するとをマニフェストにのせた。我々からすれば、郵政民営化と同じで、総意で反対している制度、少なくとも町村会とも協議をし、とかいうのなら別だか、まったく無視されたということ。今回の選挙で元局長が国民新党や民主党のために、必死で飛び回っている姿をみて、4年前の怨念がそうさせていると思った。私の泰阜村だって、日本国の一員として、いい国土づくりのために協力しようとしている。麻生内閣の地方交付税の増額、景気対策には、感謝している。その分、応援し恩返しをしたいと思っているのに、どうも通じないと感じたのが道州制導入であった。民主党でさえ、基礎自治体を300にするという小沢案を引き下げたのだから、といいたい。
私は、泰阜村の村長として15年間、国=国政の窓口として親身になって働いてくれた宮下候補を応援した。村民の皆様にも頼んだ。結果として、小選挙区では、圧倒的に自民「宮下一郎」が勝った。しかし、比例区は、有権者の判断で、としか言えなかった。私自信も4年前、郵政民営化に反対した。それが心にあり、比例区では、自民党と素直に書くことはできなかった。もちろん、自治労出身であるという私の立脚点もあるのだが。
さて、結果として民主党政権である。民主党が主張するなかで、予算編成、配分を根底から変える。各省庁の縦割り要求を排除し、必要なものから予算付けを、ということができたら、ものすごいことだと思う。これもできっこない、ではなく、じっくりみていこうと思う。泰阜村は、私が村長になってから、予算は、私が決めることにしている。そんな小さなことまで、と思われることが多いが、予算の金額ではない、たとえ一円でも、住民の立場で考えられているか、ここが問題である。民主党の主張もそういうことだと思う。それらも含め、始めてのことなのだから、じっくりみてから評論したい。
投票日前、落合恵子さんの投稿が朝日にのっていたが、印象深かった。小泉以後、自己責任を求められるようになった。自己責任、これは、市町村合併のとき、自治体にもいわれた。竹中平蔵氏が特に使った言葉。落合氏はいう「自己責任は、自己決定権があってのこと。いまは、自己決定権を奪われていて、自己責任だけを求められている」と。まさにこの通りだと思う。合併のとき、地方交付税を激減させて、自己責任が持てなければ合併を、という感じであった。いまは、自己決定できるようなよき支えあい社会でなく、競争、格差社会である。
政治とは、そんなに大それたことをしなくてもいいのではないか。正直者がバカをみない、そんな態度で、そんな政策をやってくれればいい。これが結論である。泰阜村は、泰阜村として、村民の皆さんが安心して暮らしていけるそんな政策を地道にやっていくだけである。
12:04 午後 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2009.06.23
鳩の乱=鳩山総務大臣の辞任(更迭)は
鳩山総務大臣が辞任をした。事実上の更迭だと思うが、辞任後の世論調査で、鳩山大臣が辞めて、日本郵政の西川社長が何のおとがめなしに残ることに対する反発なのか、鳩山大臣をやめさせる必要はない、という声の方が多く、内閣支持率を下げた。西松建設からみの民主党小沢代表秘書の逮捕で、民主党が支持率を下げた矢先だっただけに、自民党には、打撃のようであった。
さて、そもそも鳩山総務大臣が辞めることになった原因は、郵政民営化以後の話である。私も最後まで、郵政民営化に反対していた。そういう立場でみていると、いまさら民営化がそのものにも問題があったようなことを言ったり、麻生総理のように、ほんとうは賛成ではなかった、などというような言葉を聞くと、何をいまさらと憤懣やるかたない。郵政の西川社長が悪いというのは、急いで民営化を軌道に乗せるために、いろいろ処理したが、その過程において余りにもいい加減なことが行われていた、ということなのだろうか。かんぽの宿を一括売却したことが、本当に悪いのか、というと、行政現場で長く働いている私など、そういう方法もあると理解を示したい。確かに、安く売ったのに、それを高く転売するようなことは、やってはいけないが、逆に、そのお金で他の赤字施設を埋め合わせるということもあるのではないだろうか。そう思ってみていたので、私の個人的見解では、鳩山大臣も民間会社の社長人事に、あそこまでこだわることはなかったのでは、と思った。しかし、最後まで鳩山大臣は、意思を貫いたのだが、総理大臣の権限を考えれば、鳩山大臣が辞めることしかなかったのであろう。麻生と盟友というが、泣いて馬しょくを切る、という故事ほどの大袈裟な話ではないと思う。
では、世論調査の結果をどう見るか。これは、喧嘩両成敗に見えなかったからではないだろうか。昨日になって、西川社長も自ら30%の給料カットを言いだしたが、郵政社長が少しくらい給料をカットしたくらいじゃ責任とったことにならない、とほとんどの国民は思う。だから、鳩山大臣は、自らの意思を貫いて盟友総理から更迭された。一方は、どうか。これじゃ鳩山大臣に同情が集まるのも無理はない。
また、隠れた話だが、日本の金融、経済界のドンである西川社長に、面と向かってやめてください、と普通の政治家では言えないらしい。さすが、鳩山家ということにもなるらしい。
しかし、こんなことは、政治の表舞台の寸劇であって、郵政で喧嘩する暇があったら、田舎の郵便局の実態を考えてほしい。確かに、わが村も二つの郵便局が残った。これは、約束が守られた。しかし、会社が分割されたため、小さな郵便局にわざわざ仕切りを入れ、郵便を配達する人は、それだけで、いままで、年金通帳や局への用事を頼めたのにそれもできなくなった。また、外交に回る人がいないので、貯金も頼めない。集落の会計など、郵便局は、大変に都合よかったのに。窓口は、局長いれてもいつもは二人、もう「郵便局」というイメージは、消えてしまった。
黒字の会社で、ユニバーサルサービスを展開しているなら、いまある資源(建物や局員)を有効活用すれば、もっといいサービスができる。これでは、アメリカの国債を買うだけの民営化であったことを証明することになるのではないだろうか。民営化は、もう戻らないと思っているからこそ、いい郵便局であってほしい。泰阜郵便局を利用したり、たまに、よその郵便局を利用するわれわれが、社長に出会うこともない。誰が社長だって関係ないといえば言いすぎだろうか。もっと大事なところを見なければ、自民党も負けるかも知れない。では、民主党か、否、国民から政治そのものが見放されるのではないだろうか。一度壊れて、新たなものが生まれる時代が近づいているのだろうか。
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2009.05.12
民主党小沢代表の辞任に思う
国会議員の世襲が取りざたされるようになったが、問題は、小選挙区選挙制度だと思う。勝つか負けるか、つまり一番にならなければだめで、二番ではただの人になってしまう。これでは、よほどの決意があるか、ただの人になった時の受け皿がないと選挙に出られない。3人当選できるとなれば、その可能性にかける人はいるかも知れない。日本には、中選挙区があっているのではないだろうか。その小選挙区制度にこだわったのは、小沢一郎氏だと記憶している。二大政党制をいい、政権交代できそうなこの時に辞任であるから、無念のことであろうと思う。今回の辞任の引き金になった秘書の逮捕は、確かに、検察の狙いうちのような印象もある。しかし、検察が秘書を逮捕したという事実は消えない。本人にやましいところがあるのか、ないのか、という問題でなく、私も含め、普通の人は、悪いことをしない人を捕まえたりしない、と思っている。しかも、庶民では、見たこともないような大金をもらって、知らない、責任はない、ということでいいのか、これが庶民感情というものだろう。
だから、辞めるなら無念であったろうが、逮捕されて続投会見をやったあの時に辞める会見にすべきであったと思う。私も人ごとのようにいうが、やめるタイミング、これは、ほんと難しい問題である。
いま、国政を見ていると、政治の判断にもっとも影響しているのが世論調査の結果にようにみえる。これは設問の仕方、回答率から、必ずしも参考にすべき結果かどうか、疑った方がいいと思うが、数字が一人歩きしてしまう。そんなものに振り回されない方がいいと思う。ただし、問題は何か。世論調査で出る結果が、政治家の判断と違っているということが大問題ではないか、と思うのだがいかがでしょうか。
つまり、庶民の感覚と政治家の意識にかい離があるということです。政治というのは、そういう世界で行われ、そこで政策が決められていく、ということです。世論調査、すなわち庶民の声というか意識とは、違う感覚の人が住む世界のように国民が感じていくことが危険だと思う。
小沢代表も全国行脚をしたという。先の参議院選挙でもかなりがんばったようだが、野党の党首とはいえ、国民年金しかもらえず、痛い足を引きずりながら狭い耕地を耕す人の声までは、聞かないだろう。だから開き直れば、世論調査など気にせずやる、というのも小沢らしかったともいえる。
でも、今回は、辞任すべきであったし、どうせならもっと早いか、選挙の前でどうだろうか。
話は、変わるが、静岡県石川知事は、飛行場の立木のために辞任する。数年前、なんとかシンポで握手をさせてもらったので印象にあるが、たぶん、所有者に対する初期対応がまずかったと思う。まさか静岡県の大型プロジェクト完成前に、辞任するとは、思いもしなかったことだと思う。政治家は、常に、責任をどうとるか、大きな問題。
私ももうすぐ満15年になる。よくそんなに長く現職でいられたものだと思う。でも、明日はわからない。ただ、村人の意識から離れない気持ちを持って、判断したいものだ、と小沢代表辞任をみて思った。
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2009.04.22
「ミツバチ」異変をどう考えるか
今年に入って、農業関係者の間で、ミツバチがいなくなり、受粉ができるかどうか不安という話を聞くようになった。果樹のように人工授粉ができるものは、対応策もあるのだろうが、イチゴほか、自然の摂理で収穫されるようなものは、大変とのこと。よく聞いてみれば、ミツバチが減り出したのは、今年でなくここ数年の出来事で、女王蜂も輸入されているということを始めて知った。地元の農協担当者が言うのに、今年の春のイチゴほかは、何とか乗り切ったとのこと。
ミツバチの減少に興味を持つようになり、関連する記事は、努めて読むようになった。いろいろな原因が挙げられているようだが、農業関係者の間では、ダニやウィルスがミツバチをやっつけているのでは、ということらしい。そんな折、構想日本の情報提供の中で、藤原養蜂場を経営されている藤原誠太氏の意見を拝読しなるほどと思った。氏が言うには、ミツバチ減少の原因は、ここ数年使われだしたネオニコチノイド系殺虫剤の影響だという。この殺虫剤は、人間への影響が少なく、殺虫効果はあり、すぐれたものとのこと。低農薬、減農薬が叫ばれる昨今では、貴重な殺虫剤であり、除草剤などと同じ選択毒性(あるものには効くが、その他のものには効かない)を利用している。で、この殺虫剤は、昆虫の知覚神経を麻痺させるようで、女王蜂を中心として一糸乱れぬ統率されたミツバチ軍団は、ハイレベルの社会的昆虫で、人間以上の知覚神経でつながっているようである。その知覚神経が麻痺されてしまうので、飛びたったミツバチは、自分の行動判断ができなくなるということだろうか。それにより、免疫力が低下し、ダニやウィルスに対抗できない。
この説は、大変説得力もありなるほどと思う。
そして思う。人間社会は、常に進歩してきた、また、進歩してると思ってきた。確かに、長寿を手にいれ、お金を開発し経済活動を活発化させ、人間の欲を満たしてきた。まだ、便利に、もっと長生きをと思っている。
しかし、一方で自然の摂理を破壊、すなわち地球環境のバランスを崩し続けているのが、人類の発展と言えるのではないだろうか。このミツバチの話は、象徴的な出来事のように思う。
そろそろ自然を制圧できる、コントロールできるという考え方を捨てなければいけないのではないだろうか。天気予報は、きちんとできた方がいい。しかし、台風の発生も集中豪雨も止めることはできない。病気は発見できるようになった、でもすべての病気を治せる技術はない。これでいいのではないだろうか。命あるから人間は、そのはかない人生を大切に生きようとする。
ミツバチの生態系を壊すようなことは、しない方がいい。いままで人間に害のあるものは、社会から抹殺されていった。たまには、ミツバチはじめ、自然界に悪影響を与えるような化学薬品、製剤を排除したらどうなのだろうか。人間よりミツバチを大事にするような考え方は、やはり受け入れられないのだろうか。
我が家の水田も、農協の指導のとおり、初期、中期の除草剤やいもち病予防の農薬を使う。それでも減農薬栽培に該当するそうだが、人間だけが幸せな地球でいいのか、そんなことも考える新緑の季節である。
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2009.01.21
「民意」という言葉を考える
私は、民意=民の心=という言葉をよく使う。よく使うようになったのは、田中康夫知事誕生のときからである。このときの選挙では、村の政治に携わっていた私も含めた関係者は、田中氏を支援しなかった。しかし、長野県民が選んだのは、田中氏であった。県政や村政に携わっていた我々はショックであったが、同時に、いままで多くの県民の心、すなわち「民意」を把握してきたのだろうか、ということを考えさせられた。常に、県民、村民のことを思いながらやってきたのに、という思いもあった一方で、政治というのは、真の民意をつかむ努力をしなければいけない、という思いからそんな話をするようになった。しかし、現実に村長という立場にいると、村長も村民から選ばれた代表、議会も代表、つまり、どちらも民意の代表。その代表が、村の政策を決定し、遂行しているのでそこで議論されれば手続き上何の問題もないはずである。これが問題なら間接民主主義は、どうなるのか、でもある。
今回改めてこの問題を考えさせられたのが、岐阜市長選挙である。市立岐阜商業高校のあり方をめぐって、議会と対立した細江市長は、民意に問う、として辞職後、出直し市長選挙に立候補した。前述のとおり、議会も代表、市長も代表、その意見が対立した。さあ、どうするか。トップとしての意思を貫徹することが、住民の利益になると判断していれば、何があろうと初志貫徹するという政治姿勢に共感するので、岐阜市長の行動は、たいしたものだ、と思った。同じような行動では、郵政民営化の小泉首相とダブる。あの時、郵政民営化によりどんな影響があるのか、といった冷静な判断より、初志貫徹のために、衆議院を解散して国民に訴えるという、リスクを背負ってでも戦う強いリーダーに酔ったのではないか、と思う。今回もそれに近いことが起こるのでは、と思っていた。
したがって、反対した議会の中から対抗馬が出て、選挙になると予想した。まさに、争点を一つに住民の声を問うことになるのである。それがいいのかどうかは、別の問題として。
ところが、最終的に強力な対抗馬が出ず、細江市長が当選しそうな情勢のようである。これで議会は、再び反対できる。一方、市長は、当選したのだから、民意は支持した、民意は我にあり、と主張するであろう、と推測する。 結果はどうなるのか、それはわからないし、岐阜市民が決めることである。
この岐阜市の動きは、地方自治に携わる者として深く考えさせられることである。ただ、郵政民営化や長野県のダムと違い、教育という課題であり、争いにふさわしい課題かどうか、という問題はあるが。
最近は、リーダーシップ論ばやりであるが、強いリーダーが求められるということに異論はないのであろうが、強さとは何であろうか。私は、対立した議会代表と市長が立命館誘致と市立岐阜商業存続をかけて、激しい選挙戦をやるものと思っていたが、そうでないところをみると、外でみるより複雑な問題なのだと思う。この場合、複雑ならば、教育という視点から時間をかけてねばり強く結論を導きだすようなリーダーは、どう評価されるのだろうか。根回しではだめであるが。
私も結論を急ぐし、自分の考えがほぼ正しいと思うタイプのようである。だから、議会と対立することもある。それでも「村民の立場、利益」に立ち返って判断しなおし、それでも私の考えていることが正しいと思えば、貫徹したいと思う。貫徹できないときにどうするのか。その時は、辞めるというのが政治家なのだろう。
ただ、民意といっても、感情論だけが先行する自己利益を主張するようなものもあるので、見極めが必要である。そこで最近は、真の民意という言い方をしている。
理想は、私こそ民意である、といえるようなリーダーであろう。そんな思いを持つには、村政に情熱を持ち続けなくてはならない。長く村長をやっていると、一番難しいのがこの情熱の維持である。
論理は飛躍するのかもしれないが、民意の反映を思うと、結局住民の政治関心度、最後は投票行動になるのかもしれない。地方自治も、つまり我々自分自身の責任になるのであろう。
10:23 午前 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2009.01.05
平成21年の新年を迎えて
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
昨年、秋から新たな投稿が載らず、何人かの皆様からご指摘を受けました。言い訳なんですが、昨年の10月から12月前半まで、けっこう忙しい日々を送りました。忙しいといっても、民間会社の前線で働いている皆さんのことを思えば、我々の忙しさなどたいしたことはないと思います。ただ、いろいろな行事が重なったり、出張が続いたり、少し考え方をまとめなければならないことがあったり、といった具合で、精神的に余裕がない、という状態だったのです。
昨年の最大の感動は、長野県下縦断駅伝競走大会で飯田下伊那チームが51年ぶりに優勝したことです。かつて下伊那チームが強いときがありました。その当時、泰阜村からも選手が出ていたようです。なにしろ、私が58歳でトシだなあ、と思っているのですが、前回の優勝は、小学校一年ですから記憶にまったくありません。今回は、泰阜村から二人の選手がエントリー。早野選手は、一区を走りました。宮沢選手は、当日の交代で補欠に回ったようです。それにしても、上伊那、長野、佐久、松本でなく、飯田下伊那が優勝したということでほんと感動しました。12月には、佐久長聖高校が全国高校駅伝を制しました。昨年の二位で、女神が逃げたと思ったのですが、それをばねに優勝したということは、ほんとうに力をつけたということでしょう。
職員に話したのですが、長聖のエース村沢選手は「辛い練習は、思い出せない。毎日が辛かったから」というような談話でした。我々の仕事で辛いなどということがあるのだろうか。どうしたら地域力をつけられるのか、村が元気になるのか、辛いほど考えてほしいものだ、という思いをこめての私の言葉でしたが、たぶん伝わっていないと思います。私の表現力がないからです。
去年の秋以上に、今年の実体経済は、大変と予想されています。泰阜の企業も大変なことと思います。その原因は、やはりアメリカ型の新自由主義、新たな金融工学といった経済論理だと思います。アメリカが世界の輸出を支えていましたが、その原資は、借金でした。その借金は、誰のものだかわからなくなり、めぐり巡って世界中で支払うことになりました。
さて、これからどうするか、です。私は、色紙を書くことはめったありませんが、求められたとき「忍耐」と書きます。自分の人生にこの言葉が一番あっていると思うからです。たぶん、みんなで耐えることになると思います。
しかし、いい時代を経験した我々は、耐えることは苦手になりました。そして、世の中の面倒なことや悪いことを他人のせいにするようにもなりました。
こんな時代に必要なこと、それは自律です。泰阜村が合併でなく、自立を決めた時の計画は、自律計画という字を使いました。すべての歳出を20%カットすることにし、そのために、まず村長の報酬を20%カットしました。けっこう家計に響いたようです。しかし、そうしなければ、みんなが納得しなかったように思います。
確かに、総理大臣以下、百年に一度のこの恐慌を乗り切るために、財政規律より、景気対策を優先させよう、とう気概は感じます。また、そうしなければなりません。麻生総理も、みんなでがんばろう、もともと日本は、国力があり、いままでも何回も難局を乗り切ってきたではないか、と言いたいと思います。でも、国民にいま一つ響かないのは、国会議員や国家公務員のかけ声は聞こえても、心が伝わってこない、からではないでしょうか。
いま、東京の永田町では、国会議員会館の建て替え工事がおこなわれている。いましのげないほどの議員会館でもないと思うのですが。この難局というなら、こういう工事は、中断するとか、国会議員の報酬や国家公務員の給与も10%カットするとか自らも律するという覚悟を聞きたいものだ、というのが国民の本音ではないだろうか。
自治体は、お金を印刷して発行することはできません。だから、収入が減れば、支出も抑える以外ありません。しかし、国と日銀は、あらゆる手段を使って、国の経済を動かすことができます。国民がついてくるような政策ならば効果が出ます。私も定額給付金でなく、2兆円は、次世代の新たな産業(たとえば環境)開発に使うべきだと思いますが、それを待っている人もいるでしょう。だったら、早く実施すべきです。二次補正も今日提案されました。
野党もこれを通さないなんてことはないでしょうが、それにしても国民の心へ響きません。
新聞半面を使って、政党の宣伝が出ています。その広告代は、もしかしたら政党交付金かもしれません。約三百億円というお金が交付されています。こんなときこそ、そのお金も減らしたらどうか、と思います。
かくいう私も総理大臣の立場なら、言えないかもしれません。村長の報酬も減らしてきましたが、カット率を少し回復させてもらおうかな、なんて思っていた矢先でしたから。でも、この状況ではそんなことは、いえません。
泰阜村は、世の中の景気のいい時も悪い時もずっと低空飛行でした。これからも低空飛行が続きます。
でも、落ちないでここまできました。今年も落ちない操縦をしなければなりません。今日の(1月5日付)の信濃毎日新聞社説で泰阜村のことを取り上げてくれました。低空飛行の中で、福祉を大事にしています、というとかっこよすぎますが、私も給料もらうけど、村民の皆様も支える施策もやります、ということだと思います。
今年もご支援をよろしくお願いいたします。
03:35 午後 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
