2012.02.24

発達障害って何!!

 この3月の議会に、就学相談事務協議会の設立について、という規約改正案件を提案することになった。これは、小学校へ入学する子供や通学している子供で、通常学級で勉強することが難しい子供たちを「判定」する事務をいままで飯田市へ委託をしていたのだか、飯田市でも判定会議にかかる子供の数が増えて大変だからということで、泰阜村を含む南部5町村(阿南町、下條村、天龍村、売木村)で新たな協議会を設立するための手続きということ。いままで飯田市へ委託していたことを廃止し、新たに作るために、地方自治法の規定で必要な手続きで、そのことはわかる。
 私は、この平成も24年経過した現在、障害者福祉の世界では、ノーマライゼーションという言葉がようやく自然に使われるようになった。ところが、世の中全体の動きは、ノーマライゼーション、私の解釈では、どんな障害を持っても、普通の生活が継続される、健常者と同じ生活ができること、と思っているが、それとは逆になっていくような気がしてならない。
 この判定会議なるものがその象徴といっていい。就学相談という名称だが、要は、あなたは、普通の学校では無理で、特別支援学級(いわゆる特殊学級)、養護学校へ行ってください、という判定をするのである。この判定を受ける子供の数がどんどん増えている、ということにも驚いている。
 私の2番目の娘の同級生にS君がいた。軽いダウン症だったと思うが、保育園は、いっしょにすごした。この子を普通学級に入れよう、つまり、泰阜北小学校の一年生にしようということで、診療所の医師ががんばるので、私も応援した。しかし、最後は、そのやりとりの中で、両親が「いいです、養護学校で」ということになった。堅いご両親で、みんなに迷惑をかけたくなかったと思う。診療所の医師は、教育委員会に対し激怒していた。私もS君は、普通学級で過ごせたと今でも思っている。分数計算なんかできなくたって、いいじゃないか、と思う。
 いま、こんなに豊かになった日本社会で、私たちは、子供たちを学力という基準だけで「発達障害」というレッテルを貼って差別しているのではないか、と思う。数年前、私のこの指摘に対し、判定委員長の先生が「それがその子のためである」という返答をした。教員というのは、そういうことを言うのだ、と思った。いま、私は、在宅福祉を進める中で、住み慣れた家で、地域で最期を迎えるということは、人間の尊厳を守るということ。いまこそ日本の福祉社会は、人間の尊厳を確保するというそのことを考えてみるべき、と主張している。特養やすおか荘をたまに訪れる。そこに横たわっている人、ただテレビだけを無表情で見ている人、これでいいのだろうか、と思う。しかし、いまの人員や環境では、それしかできない。
 障害を持った人は、みんな隔離されていく社会でいいのだろうか。判定会議で、普通学級は無理、といわれた人は、生涯それを背負っていくことになる。その人も生を受けた以上、生きていかなければならない。世の中で、ずっと差別され続けるのであろう。それを何とも思わない、それの方が本人のためだ、という社会で、私は正常と考えている我々に、発達障害はないのだろうか。
 もちろんすべての障害者が普通学級に行くことが理想だが、そこまでは、求めない。しかし、この判定会議にかけるような人は、みんな普通学級へいくべきであり、そういう社会を作る責任が我々にあるのではないだろうか。
 最後に、その判定をする専門家とは?養護学校の先生であったり、保健師だという。保健師なんて、看護婦さんより一年余分に学校へ行っただけで、何の専門家でもない、と私は思うが、世の中では、専門家にしてしまった。こんな人たちに判定されて差別されていく「当事者」の気持ちを思うと・・・。私の無力が悲しい。

04:14 午後 | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)

2011.07.21

おめでとう!なでしこジャパン

 女子サッカーワールドカップでのなでしこジャパンの優勝は、震災で苦しむ日本に勇気と感動を与えてくれた。国民みんなが感激したと思う。サッカーは、男子のスポーツと思ってきた年代ではあるが、今回のなでしこの活躍は、ほんとうに感動した。
 私がほんとうに観戦したのは、スウェーデンの試合と決勝のアメリカ戦。ドイツ戦は、ニュースでしかみていない。実は、ドイツ戦のとき、おそらく負けると思っていたし、ここまで来ただけですごいこと、と思っていた。ところが、延長の末、ドイツに勝ったという報に、思わず拍手。これは、応援しなければということでスウェーデン戦をみた。先制され追いつき、さらに後半の2得点は、ほうとうに拍手、拍手。そして、決勝。アメリカ選手の大きさ、ドリブルでの速さ、川澄という選手が速いと思っていたが、それ以上にアメリカの選手は速かった。立てば、首一つ、大げさにいえば、胸あたりまでしか届かない日本選手。これだけ見ても苦戦は、想像できた。アメリカの怒涛の攻撃がなかなかゴールを割らない。日本がなんとか先取点をと思っていたが、結局アメリカが先に1点。ここまでか、と思ったときに、宮間選手の同点ゴール。拍手。そして延長戦、ここでもだめかと思ったときの沢選手の同点ゴール。沢選手のゴールは、素人の私にもほんとうに技術の高いキックに見えた。
 PK戦での沢選手のあの祈るようなシーンが特に印象に残っている。
 日本の勝因は、マスコミで報道されつくされているのだろうし、私たちでは、想像できないほど厳しい練習の成果だろうと思う。それにしても、優勝という結果に、18日の朝は、なんとも高揚した気分だった。
 すべてを自分の村の行政と関連付ける癖がついている。今回のなでしこの活躍は、日本女子の体格、特性をきちんと把握、分析し、自分たちができることを愚直にやりぬいた結果だと思う。身長が足りないから、足が遅いから、比較してもどうしようもないことを理由に、負ける理由づけを「私」ならするのだろう。うちの職員もそうなのだと思う。30年もかかって世界の頂点に立った。そういえば、過疎と言われて40数年、そのなかで、私は、何か結果をだせたのだろうか。
 もう一度自分たちの村の実力を分析し、その力をどのように発揮すれば、前進できるのか、やらねばならない。こんなことを教えてくれたなでしこジャパンであった。
 あの沢選手の明るく堂々としたキャップテンシー。選手を鼓舞するために自ら先頭に立つ姿は、ほんとうに立派であった。やっぱり、私自身が走り回らなければ、とも思った次第。女性を鍛えることは、大変難しいという。それをやってきた佐々木監督もまたすばらしい。
 私は、わが村の弓道女子チームに「なでしこ泰阜」という名前を推せんし、チーム登録するが、泰阜村役場もなでしこ泰阜にしたいなあ、と思ったが、今の状態では、本家に失礼ということか。

01:22 午後 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.04.13

東日本大震災に深く考えさせられて

 3月11日の午後、議会の常任委員会に出席していたが、3回のゆれのあとテレビをみた。名取市へ津波が押し寄せる映像が最初だったが、私の眼には、それはフィクション映画のように映った。それが現実の出来事である、と思えないような大災害であった。
 私は、身勝手な人間だということがわかったのですが、最初に思ったのは、「ああ泰阜でなくてよかった」ということでした。その後、壊滅的な被害を受けた市町村、とりわけ町、村のことを考えると、私がその町村の長だったら、どうするのだろうか、と考えさせられた。自分の能力では、町の再生ができないのではないだろうか、これが本音である。それだけに、テレビに出演する記者や評論家のようなことはいえない。
 今回の大震災の対応が難しく、複雑なのは、原発の破壊があったからである。福島原発が、女川のような程度だったら、原発に対する評価は、全く違ったものになったような気がする。世の中の歴史は、常に、紙一重の世界で大きく違うことを改めて痛感させられた。
 この大震災に関しては、村としてもその能力の範囲で支援をしていこうと考えているが、これは当たり前のことで、明日は、わが身であるということ。この小文の中では、支援うんぬんでなく、この大震災をどのように考えてこれからどんな日本を想像したらいいのか、考えたみたい。
 毎日、3.11のことが書かれている新聞の中で、4月10日付信濃毎日新聞の姜尚中(カン・サンジュン)東大大学院教授に聞く、という紙面での姜氏の言葉が印象に残った。それは、今回の震災は、戦後という時代の終わり、を現実のものにした。戦後という時代は、東京的なものを地方に増殖させることが豊かさにつながるということであり、ほとんど根拠のない科学技術へのオプティミズム(楽観主義)を、みんなが共有していた、という。広島、長崎を経験しながら、原子力の平和利用という逆立ちの論理がまかり通った。そして、東京的な豊かさを支えていたのが福島という地域社会であったことも白日の下にさらされた、という。
 姜氏は、だからこそ3.11以前には戻れないと思う、と述べている。復興、復旧でなく、新生という言葉でなければならない。
 私は、戦後の山村の村づくりが「東京に追いつけ、追い越せ」という開発型であった。しょせん、東京なんかに追いつけるはずなどないのに、まさに東京的なものに近づくことこそが成長、発展、豊かさの享受と考えてきた。姜氏から離れるが、今回の震災でものづくりの現場で部品が供給されない事態となった。世界のトヨタのジャストイン方式、つまり、在庫を持たずに必要なものを必要な時につくる、という考え方に疑問を呈す人も現れた。
 いつかこの成長、発展万能主義、科学技術の進歩が自然界を制するといった考え方がつまずくのではないだろうか、と漠然と考えていた私にとって、今回の科学者の想像を超える大震災は、人間の生き方をもう一度考え直すことになるだろうとも感じていた。まさに、姜氏のいう東京的なものを地方に増殖させてきたこの流れを断ち切ることが「新生」になるのではないだろうか、と思う。
 東北的なものをつくりあげるには、時間がかかるだろうし、気が遠くなるのかもしれない。しかし、その東北的なものを考え、作り上げていくことに長く、長く支援していくことこそが我々にできる支援であろうと思う。
 そして、やはり泰阜は、泰阜的に生きる以外にない、ということ。これが、今回の震災からとりあえず学んだことである。
 

10:50 午前 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.02.07

平成名古屋の乱に思う

 「乱」と呼ぼうか、「変」と呼ぼうか迷ったが、政令市の議会が住民パワーで解散させられたのだから「乱」ということにした。2月5日、トリプル戦の前日名古屋へ行ったのだが、そこで河村、大村コンビの遊説を聞くことになった。大村候補の演説は終わり、河村候補の演説を聞いた。地方自治経営学会で河村氏の講演を聞いているが、ドラゴンズの帽子をかぶりマイクを握る河村演説は、楽しかった。
 私は、長く行政現場にいるので、減税は、いい政策だが、これだけ行政需要が高まっている現在では、無理で増税が必要と思っている。河村氏は、市民に向かって「税金を納めている方が苦しんで、税金で食べている方が楽しているなんて、とんでもない。根本から変えにゃいかん。名古屋市議会議員は、一人1600万円もらっている。それに政務調査費が300万円、これでええんか」といった調子である。私の隣にいた人も、聞いているみんなが「そうだ」という。わかりやすい主張で、みんなが議員なんてとんでもない、といった顔をしている。選挙前から大村、河村とも圧倒的優位が伝えられているが、こりゃ間違いないと思った。民主党が推す石田候補も犬山市長時代の取り組みはよく知っていて、いい候補だと思っていたが、結果的に勝負にならなかった。
 さて、この名古屋の乱を冷静にみたとき、私自身が学びとることがあるのだろうか。それは、きっと「庶民の心」から離れない政治をしなければということではないか、と思う。自分が立候補したとき、いまでいえばマニフェストに書いたことは、村長室から出るとか福祉バスを運行させる、役場職員や議員を表彰するような村の表彰規定を代えるといった単純なことだった。最近は、目線という言葉も使われるが、むしろ目線というより「心」、その心がどこにあるのだろうか、という感覚を忘れてはいけない、と思う。長く役所にいると、役所文化の中で生きるようになる。
 民主党が主張する「公務員人件費20%削減」は、いまやるべきことだと思う。財政が破たんしているときに、まず自らの給与を減らさなくては、誰も協力してくれない。あの日本航空だってやっている。消費税も上げていいけど、その前にやることあるのじゃないの、ということである。
 そういう私も規定が許す範囲で、村職員の給与を抑えているが、削減まではできない。村のラスパイレス指数が長野県で下から2番目に低いというが、それは、ただの指標であって、村職員の給料表は、国家公務員のものを採用している(全国の自治体が)。その運用を少し変えているだけのこと。だから阿久根竹原前市長の主張は、それなりに説得力もあり、それをやったのだからすごいことでもある。少なくとも私ではできなかったし、できないことである。
 庶民の心は、その給与だけのことではない。たぶん、長や議会議員が特権階級にみえることと思う。我々にそんな気持ちはないのだが、それだけに問題だ。ポピュリズム、大衆迎合主義と訳していいのでしょうか。大衆迎合
政治を私も批判しているが、大衆を説得できる政治を目指さなくては、消費税アップも社会保障対策もできない。
 名古屋の乱の論評は、いろいろあるが、小さな村の責任者としても、多くのことを考えさせられる。
 河村氏の演説のなかで、永田町の新しくなった国会議員会館をベルサイユ宮殿と揶揄し、あんなところにいては何もわからん、と。私も思う。これだけ厳しい財政といいながらあの議員会館は、何だろうと。しかも、入館がさらに厳しくなって、時間ばかりかかる。庶民の心と離れたことは、実は、いっぱいあるのである。
 きっと泰阜村にもいっぱいあると思う。

11:04 午前 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.12.28

平成22年を振り返って

 今年は、年男で、還暦を迎えた一年でした。男の厄年でもあったのですが、そのせいか、あまりいい年ではなかったように思います。しかし、8月村長選挙もあり、当選させていただき、村の仕事では、新小学校の開校、高橋尚子さんを迎えたロードレース大会等それなりに実施できたので、一般的には、いい年でない、なんてわがまま言っていると思われるのかもしれません。
 「いい年でなかったような」というのは、私の思うように仕事が進まない、組織が動かないというジレンマなのです。長く村長という職にあり、60歳を迎え、職員も私より若くなりました。思い通りになるはず、なのに。確かに、私の言うことは、よく聞いているし、予算に計上した仕事は、それなりにこなしている。言葉を換えれば、当たり前のことは、おおむねちゃんとやっている。役場の仕事は、それでいいのでは、とも思う。
 しかし、地盤沈下が進む過疎の山村では、それだけでは困る。予算書に載らない新たな芽出し、書類にならないけれどエネルギーを感じるような動き、そんなものを肌で感じたい。
 全国的に注目されるデイサービス「夢のみずうみ村」の藤原代表は、ハートフル、パワーフル、スマートフルといい、人間の温もりをもって、まず行動、そして考えろ、考えろ、考えられないのはだめ、と言います。そういうことなんだと思う。考えるより先に行動し、そして考えなければ。これが足りないのだろう。トップがこうして愚痴をこぼすのは、トップの指導力がないことを証明しているようなものですが、私も反省し、来年以降そんな力強い役所にしなければなりません。
 一方、役所を離れると、村民の中には、意欲的な人、グループの活躍もあります。NPO法人ジジ王国が農村レストランをやろうと動き出しております。この農村レストラン、民宿の場所は、泰阜のいわゆる限界集落の極みで、原住民では考えられない発想です。また、ゆずチョコレートを中心に取り組むゆず姫生産組合も、法人化し、ゆずを活用した菓子づくりで成果を上げています。ガソリンスタンドを運営している地域振興センター、老舗のNPOグリーンウッドも苦しいながらも前向きに取り組んでいます。高齢者協同企業組合も理想を失わず、新たな老後を追求しております。地域おこし協力隊の川上君も挑戦しています。二つの太鼓グループもがんばっていて、そのうち一つ泰阜太鼓は、15周年記念発表会を行いました。 泰阜村消防団も若い連中ががんばっています。
 冒頭述べたように、私は60歳を過ぎ、老いという事実に直面しています。塩野七生氏は、老いとは、自分が自信をもってできることを選んでいき、それ以外のものを潔く捨てていく過程と言っています。流行の言葉でいえば、
まさに断捨離なんでしょうか。私は、何もできないくせに未練がましい人間であることもわかりました。
 それでも、一年間休まず働けたことに感謝し、支えていただいた多くの皆さんにも感謝し、御用納めといたします。

04:35 午後 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.11.11

今年も野球シーズンが終わって

 自称、野球評論家としは、やっぱり野球の感想を書こうかと。今年のプロ野球は、後半、ほんとうに楽しく、おもしろかった。その大きな原因は、セリーグ巨人が、夏以降急降下したからである。シーズン当初は、やっぱり巨人か、であった。もともと巨人ファンであるが、FA制度以降、もっとも選手補強をしたのが巨人であり、生え抜きを使わないチームに愛想を尽かしたという感じである。ようやく生え抜きも見られるようになったが。その巨人が優勝できない姿を見て、その原因は、何であろうかと考えることも楽しい。それにしても、落合中日が、その戦いスタイルを変えず、最終的に優勝したこともすごいことであった。私は、落合監督の談話を聞くのを楽しみに、中日をみている。一方、パリーグは、ほぼ優勝間違いないと思われた西武が、リーグ優勝目前に連敗、またCSでも、終盤にロッテにやられた。リーグ線のソフトバンク戦、あと一勝でというところの大事な場面で、打たれる姿は、日本シリーズの中日とダブってみえた。いままでなら結果論で、いろいろ言ってみたいのだが、西武の終盤の試合と日本シリーズは、これが勝負なのだ、と素直に思った。浅尾を代えておけば、とか、河原を早く交代させれば、なんて評論することは、失礼だと思うような試合でほんとうに感動した。
 職員によく野球の話をする。我々の仕事も結果論で評価されるが、どのような結果でも、あそこまでやってくれれば、というような仕事をしたいものだ。しかし、落合監督がいうように、負けたということは、何かが足りなかったということ。それを見極め、乗り越えなければ、と。我々もきっとそうなのだろう。ここまでやれば、だけでは、やはりいけない。結果として、成果を納めなければ。
 公務員は、この一球がはずれたら負ける、というような場面で仕事をすることがあるのだろうか。それは、公務員ではなく、政治家、つまり、村でいえば、村長の仕事で、方針が決まったら全力を尽くすということなのだろうか。
 佐久市で市民会館の建設をめぐって住民投票が始まった。政治判断をするときに、住民の真意を尋ねるという意味では、一つの手法だと思う。いまひとつの手法としては、議会議員の判断を出してもらう、ということがあるのではないだろうか。私は、市町村合併の時に、アンケートもやらない、これは、住民に判断させるには、あまりに情報不足であり無理だと考えたからで、私の方針は決めたので、あとは議会の結論をほしい、といった。その議会では、せめて一度アンケートをという意見があり、結局実施したことがあった。
 野球の話からそれたが、この終盤のプロ野球を見ながら、村長も議員も、そして公務員も、一球はずれたら負ける、打てば勝てる、そんな場面で全力をつくすことこそ使命ではないのか、と思った。
 最後に、西武が負けたのは、デーブ大久保を解任したからではと思っていた。菊池雄星選手の練習態度が悪く、気合いをいれたようだが、コーチの言い分よりスター選手をかばう球団の姿勢を、私は感じた。エコひいきといわれそうだが。これについては、裁判になっているのでその結論を待つことにしよう。
 そのおかげで、わが泰阜村の野球教室、大会は盛大にできてうれしかった。たかが野球だけれど、野球から学ぶことも多い。

03:41 午後 | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)

2010.10.26

政治家の言葉から考える

 10月26日付の朝日新聞朝刊に、鳩山前首相の次期衆議院選挙出馬を辞める辞めない発言に関し、かなり強烈な批判が載っている。総理大臣を辞める時、小沢さんを道連れにしたし、次期衆議院選挙にも出ない、と言い、政治家の引き際としては潔いと感じた。私同様、総理大臣としての仕事ぶりは別にして、引き際としては、立派と感じた人も多かったと思う。この鳩山さんがおかしくなってきたのは、今回(管と小沢の争い)の民主党代表選あたりからだった。道づれで小沢幹事長を引きずり降ろしたものの、代表選に出るといった小沢さんを支持するのは、理解できた。小沢あっての鳩山総理誕生であり、その恩義を感じているという気持ちのことである。そのうち小沢、管の調整役を果たそうとしたのだろうか。私には、伝書鳩のように見えたが、たぶん、あっちへ行き話を聞いてもっともと思い、こっちへ来て話を聞いてもっともと思い、考えているうちに、小沢対管の対立(?)というか、対決は、避けられなくなった。調整というより、火に油を注いだようなものだったのではないか。
 次に、今回の次期衆議院選挙への出馬である。まだ、やらねばならないことがあるという。それは、あるだろうけれど、あのとき辞めると言ったのは、一体何だったのか、ということになる。人間だから間違えたり、決意を変えることはたくさんある。私は、そういう朝令暮改的な人間が、人間らしくて好きである。それにしてもと思う。
 東京大学理学部で学び民主党の代表として君臨し、政権交代を果たし、圧倒的多数の国民の期待を受けて、総理大臣に就任した。その立場でできなかったことが、一政治家としてできるのだろうか、これが率直な疑問である。普天間の問題だって、もう一度日米安保条約を見直し、新たに日本の防衛を考えるといえば、できたのに、と思う。これは、政権交代したからできること。公務員給与のカットにしても、政権交代したときならできたのではないか。どうせ辞めるなら、鹿児島県阿久根市の竹原市長くらいやって、やめてほしかったと思っている国民も多いはずである。批判ばかりでなく、同情していえば、きっと性格がやさしい、うんと人のいい人なんだろうと思う。
 では、翻って自分はどうか。鳩山さんを批判する資格はなさそうである。4年前の村長選挙のとき、これが最後の4年といったが、結局それは反故にして5期目の今日を迎えている。先輩から、「政治家は、出処進退について先のことを語るな」とよく注意されていたにもかかわらず、その時の感情でしゃべってしまう。これがよくない。政策的なことでも、わかるまで説明しようと思ってしゃべる。多く言葉を使えば、使うほど、墓穴を掘る。決断は、黙って実行することが大切である。隣の村長に、公務員出身の町村長は、まず議論ばかりで結論出すまで時間がかかる。それでも結論が出ればいいが、議論するだけで時間の無駄だ、ということを言われるが、あながち外れていないように思う。
 鳩山さんが批判された新聞記事を読みながら、政治家の言葉は、大切であることと、しゃべっていいことと悪いことの区別をつけなければと。還暦を迎えても、イラ管ならぬイラ松で、一言言わないと納まらない性格も改善する努力をしなければとも感じている。悪気のない、優しい鳩山さんが総理大臣であるような国であってほしいと思うのだが、この難局、誰が総理大臣でもそう簡単に舵をきれるものでない。
 私は、村の仕事に関し、村長辞めてから回顧はいいが、いろいろ言うのだけはやめようといまから言い聞かせている。村長のときにやってできないことが辞めてからできるはずがないからである。それは、実行する力がなかっただけのことで、力の無さを内外に知らしめているだけになる。だから、管首相も阿部知事も私もやりたいと思ったことは、いまやる以外にない。片山総務大臣も、知事を辞めてからテレビでかなりのことを言ってきた。だから大変だと思う。政治家は、やはり今やろうとしているそのことだけを言えばいいのだろう、そうすれば具体的であるし、相手にも届くと思うのだが。

03:00 午後 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.09.09

鈴木宗男を考える

 最高裁判所の上告棄却が確定し、鈴木宗男代議士の刑が確定し、収監されることになった。異議申し立てをするというがこの判決は覆ることはないと思う。受託収賄などの刑だが、最高裁判所まで審議されての結論なのでその通りなんだろうと思う。しかし、この件に関しては、鈴木氏に同情している私が存在している。
 私は、役場職員、そのあと村長として40年以上、行政にかかわり、地方政治をみてきた。国会議員を通じ、霞が関にも陳情にいった。そして、貧しい山村に生きてきた。「利益誘導」という言葉があるが、政治家が地元へ一円でも多くの補助金や一つでも多くの事業をとってくる、というのは、当たり前の政治活動だと、考えてきた。「この道路は、私がやった」というような話に対し、うちの家内は「自分のお金じゃなく税金なのに、自分のお金でやったように言うのはおかしい」という。全くその通りであるが、政治家にしてみれば、自分のためではなく、地域の要望に対し、他の政治家との戦いの中で、わが選挙区へ補助金を持ってきたのだから、そう言うのも、私は理解できるのである。
 田中康夫元長野県知事が誕生し、県会議員や市町村長の口利きや働きかけを廃止する、という方針にした。それがあった場合は、報告するよう義務付けた。それでほとんど無くなったようだ。ここでも「しかし」なのだが、私は、わが村の主要地方道飯田富山佐久間線の改良促進という働きかけがあった、と報告してほしいと言った。泰阜村の村民で県職員試験の一次に合格すれば、二次試験はよろしく、と村長から働きかけがあったと言ってほしいと。それもできないようでは、というか、しないようでは政治家ではないのでは、という思いを今でも持っている。
 北海道開発庁も沖縄開発庁も、早い話地域振興のための公共事業をいかにたくさん確保するか、これが地元選出代議士の大きな仕事であったし、今もそうであろうと推測している。その仕事を、地元の業者にやってもらう。設計価格で地元の業者が仕事を分け合うことを談合といって批判することは簡単だが、地域におけるワークシェアリングまで排除されるのだろうか。こういったことまで否定されているような気がしてならない。
 政治家のクリーンさ、というのは、何をもって判断されるのであろうか。私など、クリーンといわれなくても何とも思わない。一円でも補助金を多くもらえるならば、出来ることはなんでもやろう、と考えている。そんな意味でいえば、どろどろした政治の世界で生きているし、そういうものだと思っている。
 鈴木宗男氏は、北海道の振興のために、骨を折ったと思う。ただ、官僚を脅かしたり、政治資金としての正規の方法でなくお金を要求したり、もらったとすれば、それは間違いであったということ。
 最近の事業仕訳けで、カッコよく官僚や公務員を攻めている代議士より、地元のために、補助金を一円でも多くといって、省庁を頼み歩く政治家の方が、私は政治家らしいと思う。もしそれを「利益誘導型」の古い政治家という一言で片づける時代になったとしたら、私自身も古い政治家なのだと思わざるをえない。
 ただ、利益誘導あってこその政治といっても、その利益は、自分のための私利私欲ではない。ここがいい政治家と悪い政治家の分かれ目であることは間違いない。鈴木宗男氏があのように強く出て、あたかも脅かしているような手法をとったのは、ほんとうは弱い人間だったのだろうと思う。この下伊那郡の大先輩県会議員に、今は亡き松下逸雄氏がいた。下伊那の山村で育ち、村長になって、県庁へ行ったが、相手にされなかったという。そんな県庁をいつか見返してやる、と思い続け県会議員になり、たまに県の部長たちを怒鳴りつける姿をみた。鈴木宗男氏と重なるのだが、警察のお世話になったことはなく、私利私欲もなかった立派な松下先生に失礼だろうか。

04:50 午後 | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)

2010.08.19

参議院・県知事・県議補選そして泰阜村長選挙

 7月11日から8月8日までの間に、参議院、長野県知事、長野県議会議員下伊那選挙区の補欠選挙、そして泰阜村長選挙が実施された。選挙は、民主主義の原点といっても、これだけ多いと大変。というのは、期日前投票という制度になり、ずっと投票所を開いている。田舎の村にとって、これほどの無駄はない、と思うのだが、国が決めたことはやらなければいけない。投票率70%を超えている自治体には、選択権を与えて、期日や時間を自由に設定できるようにしてくれれば、経費節減につながると思うのだが。政権与党も代表選挙にばかり熱中せず、少しは現場のことも考えて政治をやってほしい。
 さて、参議院選挙では、管内閣で過半数をとれる、というはずが、うまくいかなかった。消費税発言が影響したと個人的には思うのだが、各種評論を読んでいると、消費税だけでなく、政治と金の問題や鳩山内閣、つまり民主党政権の不安定さなど、複合的な要因らしい。政権交代一年で結果を出すのは、無理でもう少し長い目で見ることはできないのかなあ、と感じているが国民の選択だから冷静に受け止めることにしよう。
 長野県知事選挙は、政党で色分けされることになり、我々も難しいことになった。長野県民としていえば、政党対決などということではなかったはず。国会議員が応援に来るような選挙になってしまって、何か違うなあ、という感じを持った人が多かったのでは、と思う。私の思い過ごしであればいいのだが。南北に長い長野県は、それぞれの地域にそれぞれの課題があり、民主党だからいいとか自民党だからいい、という話ではない。また、田中、反田中といった話もでるが、世の中の動きをみていると、田中時代がよくて、そのあとが悪いとか、田中時代が飛んでもない県政で、そこへ戻っては困るなどといった見方は古く、もう時計の針が戻るようなことはない。つまり、新たな県政は、県民こそが作り上げていく、ということではないのか。選ばれた阿部知事を中心としてみんなでいい長野県にしなければということ、それが大事だと思う。
 県議補選は、下伊那の事情があって、下伊那南部から候補者を出したい、これが私ら南部住民の意思であった。そのため、私の名前なども上がったのだが、気持ちとしては誰か南部から、これはいまでも変わらない。故佐藤県議の後継者として川久保君が出たので応援したが、残念ながら吉川候補に一位を譲った。地元から生え抜きを、という点でいえば、吉川候補に一日の長があった。吉川県議には、下伊那のためにがんばってほしい。
 そして泰阜村長選挙。これは、私が県議補選うんぬんということもあって、態度表明が遅れたため、新人が出るタイミングを失ったのかもしれない。私の後援者は、松島が出ても出なくても、新人は腰を切らなくては、という。現実に選挙をやる候補にとっては、無投票の方がいい、これが本音であるが。ともかく、無投票で5回目の当選をさせていただいた。今回は、もう少し頑張れという声が多く、中には、絶対出なければいかん、と何回も声をかけてくれた人もいた。その意味では、無投票の中でも、今回が一番安定した選挙であったように思う。選挙の安定とその後の村政の安定とは関係ないが、ここが苦しいところである。期待されても期待に応えられないのでは、という不安が大きい。また、長くやっているのでマンネリ化も怖い。今回の選挙でも改めて感じたが、村民は、直接選ぶという点で「村長」は、俺たちの仲間。しかし、職員は、違う、ということ。そこで、初登庁で職員に「私は、職員の代表でなく、村民に選ばれたリーダーである」という言い方をあえてした。つまり、村長と職員の会話は、単に組織の長と社員の話でなく、村民の代表であるものの声、という聞き方を職員はしなければいけない。このことをを職員にわからせないと、あれは村長が言っていること、俺はそうは考えない、といった職員が現れる。そんな職員が肩で風を切って歩くようになると、あれじゃ村長もだめだ、となる。そして、住民との信頼関係を失っていく。
 それにしてもリーダー受難の時代である。発言などぶれてこそ人間らしいと思うのだが、説明すればするほどぶれると言って批判される。かといって、鳩山さんのようにすばらしい理想をしゃべっていても、現実の政策が動かなければ政治とはいえない。しかし、一つの新たな政策を実行することがいかに大変か、だからこそ長い目でみてほしい、これが政治家のもっとも言いたいことではないのだろうか。私も16年間という時間を与えてくれた村民のみなさんのおかげで少しは村長という職にもなじんできたように思う。
 選挙は、終わったのでどうか長く冷静な見方をしてほしい、そして判断してほしいものだ。

05:44 午後 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.06.17

普天間基地の問題に思う

 鳩山首相が辞任を発表し、鳩山内閣が総辞職した。首相と村長を同じに考えては、総理大臣に失礼ではあるが、鳩山首相には同情している。まじめに一生懸命やろうとして、低姿勢に訴えれば訴えるほどリーダーシップがないようなことを言われてしまって、と。この退陣には、いくつかの理由があると思うが、最終的に普天間基地の移設問題が決定打になったと思う。確かに、抑止力をいまさら認識したとするなら、国会議員として防衛問題をどう考えてきたのだろうか、と考えてしまいますが。
 さて、1960年6月15日は、安保反対デモの中で、樺美智子さんが亡くなった日でもある。1950年生まれの私は、その出来事が記憶にないが、1970年安保は、学生運動と重なり、私どもの青春時代である。樺美智子さんのこともその頃に強烈な物語として知ることになった。日本は、敗戦とともに戦争放棄を掲げ、戦力は持たない憲法を制定した。その後、安保条約、自衛隊の設置、PKO,PKFなど、その変化は説明する要もない。
 普天間基地の議論の中で、改めて日本の防衛ということに対して、軽薄な議論しかされていないことに気づかされた。普天間の移設結論を5月までに出すといったのに出さない首相にリーダーシップがない。最低でも県外と言っておきながら、結局沖縄ではないか、約束を守れない首相。これらの指摘は、鳩山首相の言動という面では、その通りであるが、その議論の中になぜ沖縄を中心としてアメリカ軍の基地があるのか、そして、それが必要なのか、という話は、ほとんど聞こえてこなかった。もちろん国会でも少しは取り上げられていたが。
 私も冷静な識者の意見を新聞で読みながら考えさせられた。5兆円ものお金を使って、自衛力(戦力)を保持している我が国。その防衛力は、どのくらいのものなのか。すなわち、どのくらいの攻撃に耐えられるのか。現在の戦争を想定したときに、どの部分を安保条約に基づくアメリカ軍の戦力の応援を得なければならないのか、わからない。沖縄の米軍は、日本を守るためでなく、極東を抑えるために配置されているとしたら、それは「困る」沖縄以外を使ってくれ、と言えるのかもしれない。それすらわからない。
 どこの国でも、自分の国を守る気持ち(愛国心という中に含まれるのだろうか)は強い。攻められれば戦う以外にない。日本は、徴兵制もない。だから、自衛隊とアメリカ軍が守ることになるのだが、どのくらいの力があるのかわからなくていいのだろうか。
 憲法の精神は、非武装中立だ。護憲党の社会党は、村山政権、鳩山政権で組めるはずがない政権党と組んで社会党を破壊してしまった。私も自治労運動を通じ、非武装中立を支持してきた。これは、攻められたら自決するという覚悟で国家を維持するということになる。社会党は、そういわなければいけないと思うのだが。
 しかし現実の問題として、自衛隊と安保で守る日本を認めるなら、その戦力を分析し、だから「基地」をここにお願いしたい。その負担を受けてもらう代わりに、他の国民は何をするのか、そこの議論から始めたいものである。
 これを原点から考える、というのではないだろうか。いまの政治にもっとも足りないのが、こういった議論であることは現場で行政に携わっている人は、みな考えているはずだ。

09:38 午前 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)